10月9日の毎日新聞朝刊【くらしナビ】にある「男の気持ち」は神戸市の中田さん(66歳)の『姉と「神田川」』というタイトルの一文が掲載されていた。「オッ!と心が動いた。
南こうせつとかぐや姫が歌って大ヒットしたのは昭和48(1973)年だった。その時、中田さんは中学3年生。野球に明け暮れる野球少年だった中田さんは自分の野球のレベルを試したくて、プロ野球選手を数多く輩出した強豪高校を目指し深夜ラジオを聴きながら受験勉強に励んだ。
その後押しをしてくれたのがお姉さん。毎晩夜食を作って持って来てくれた。その時間帯に決まって「神田川」が流れてきてフォーク好きのお姉さんと勉強の手を止めて聞き入ったという。
姉の作った夜食と「神田川」に癒され苦しい受験勉強を乗り越え晴れて合格し、悔いのない高校野球生活を歩むことができたことに感謝している。お姉さんは他界して十三回忌を終えたところ。中田さんは「神田川」を聴く度に姉と二人三脚で臨んだ受験勉強を思い出し亡き姉に会える。という。
人生の一コマを彩る特別な歌は誰にでもあるだろう。私にとっても♪神田川♪は特別な歌である。ヒットした当時、私は大学4回生。浪人時代から5年間暮らして来た下宿を去る日が近づいて来た頃だ。
歌詞の中の♪・・・窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿・・・♪という下りが胸に響きLPレコードを買って何度も聴いていた。私が5年間暮らした部屋が三畳だったのである。普通どんなに狭くても四畳半で三畳の部屋に住んでいる人間はいないだろうと思っていたのでこの部分はインパクトがあった。
名古屋で浪人生活をするため、中村区大門通で海苔の店を構えていた祖母の弟さんの伝手で近くの成田屋旅館に下宿することになった。もともとは御園座の近くで役者やその関係者の宿だったが、引越しをして商売人の常宿だった。素泊まり1泊1畳100円が宿賃と聞き、1番狭い3畳の部屋を選んだ。1日300円。30日で9000円。ずっと住むので1000円引いて8000円にしてくれた。食事は、歩いて3分の所にある名城食堂というセルフでおかずを選べる店。
第1志望の千葉大学は2年連続不合格となり、愛知教育大学に合格したので引き続き愛知県での生活となった。ちょうど名古屋校と岡崎校が統合されて中間点の刈谷市の新校舎で学ぶことになった。近くで下宿を探そうと思っていたら「8000円で夕食をつけるから、そのまま居てくれないか?」と主人から言われそのまま卒業まで暮らした。
中村区大門通という名前の通り中村遊郭のあった場所なので雰囲気は独特だったが、私には居心地が良かった。旅館に定期的に泊る商売人も個性的で、大好きだった山本周五郎の世界を彷彿させられた。
♪神田川♪を聴く度に多感な5年間の濃い生活が思い浮かんでくる。
南こうせつとかぐや姫が歌って大ヒットしたのは昭和48(1973)年だった。その時、中田さんは中学3年生。野球に明け暮れる野球少年だった中田さんは自分の野球のレベルを試したくて、プロ野球選手を数多く輩出した強豪高校を目指し深夜ラジオを聴きながら受験勉強に励んだ。
その後押しをしてくれたのがお姉さん。毎晩夜食を作って持って来てくれた。その時間帯に決まって「神田川」が流れてきてフォーク好きのお姉さんと勉強の手を止めて聞き入ったという。
姉の作った夜食と「神田川」に癒され苦しい受験勉強を乗り越え晴れて合格し、悔いのない高校野球生活を歩むことができたことに感謝している。お姉さんは他界して十三回忌を終えたところ。中田さんは「神田川」を聴く度に姉と二人三脚で臨んだ受験勉強を思い出し亡き姉に会える。という。
人生の一コマを彩る特別な歌は誰にでもあるだろう。私にとっても♪神田川♪は特別な歌である。ヒットした当時、私は大学4回生。浪人時代から5年間暮らして来た下宿を去る日が近づいて来た頃だ。
歌詞の中の♪・・・窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿・・・♪という下りが胸に響きLPレコードを買って何度も聴いていた。私が5年間暮らした部屋が三畳だったのである。普通どんなに狭くても四畳半で三畳の部屋に住んでいる人間はいないだろうと思っていたのでこの部分はインパクトがあった。
名古屋で浪人生活をするため、中村区大門通で海苔の店を構えていた祖母の弟さんの伝手で近くの成田屋旅館に下宿することになった。もともとは御園座の近くで役者やその関係者の宿だったが、引越しをして商売人の常宿だった。素泊まり1泊1畳100円が宿賃と聞き、1番狭い3畳の部屋を選んだ。1日300円。30日で9000円。ずっと住むので1000円引いて8000円にしてくれた。食事は、歩いて3分の所にある名城食堂というセルフでおかずを選べる店。
第1志望の千葉大学は2年連続不合格となり、愛知教育大学に合格したので引き続き愛知県での生活となった。ちょうど名古屋校と岡崎校が統合されて中間点の刈谷市の新校舎で学ぶことになった。近くで下宿を探そうと思っていたら「8000円で夕食をつけるから、そのまま居てくれないか?」と主人から言われそのまま卒業まで暮らした。
中村区大門通という名前の通り中村遊郭のあった場所なので雰囲気は独特だったが、私には居心地が良かった。旅館に定期的に泊る商売人も個性的で、大好きだった山本周五郎の世界を彷彿させられた。
♪神田川♪を聴く度に多感な5年間の濃い生活が思い浮かんでくる。