素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」

2022年12月06日 | 日記
 今日のクロアチア戦、自己満足の「験をかついで」キックオフ直前に風呂に入った。風呂から出てテレビのスイッチを入れると前半も半ばを過ぎていた。0対0で、実況放送の中身から押され気味だがよくしのいでいることが分かった。すると、徐々に日本側のボール奪取率、支配率がアップしてきたように感じた。相手キーパーとディフェンスのちょっとしたコミュニケーションの食い違いでコーナーキックを得た。いい流れのコーナーキックだった。1回目のニアサイドへのキックは相手ディフェンスがヘッドで難なくゴールラインの外にクリアされたが、2回目は絵に描いたようなショートコーナーで先取点をもぎ取った。前半を1対0で終えた時、「験をかついで」布団に入ることにした。

 5時に目が覚めて、テレビをつけるとPK合戦の末、念願のベスト8進出ならずの報。PK合戦の映像を見ながら、思い起こしたのは1990年代にW杯に3度出場し、「イタリアの至宝」と呼ばれたロベルト・バッジョのこと。

 1994年のアメリカW杯。イタリア代表はブラジル代表と決勝戦でぶつかった。延長戦の末、PK戦にもつれこんだ。両チームとも1人目は失敗、2、3人目は成功。4人目はイタリアの選手が失敗してブラジルの選手が成功した。PK戦3-2、失敗すれば負けが決まる場面でイタリアの5人目を任されたのが切り札のバッジョだった。

 バッジョが放ったボールはクロスバーを大きく越え、イタリアは敗退。準優勝に泣いた。このシーンは脳裏に刻まれている。「あの技術を持っている
バッジョでさえあんなボールを蹴るんだ」と私の中で、PK合戦への考えがガラリとひっくり返った瞬間だった。

 サッカー部顧問として数多くPK合戦に遭遇し喜怒哀楽さまざまな感情を経験してきたが、それ以来自分の中に悲壮感というものが取れ現実をどっしり受けとめる心が出現した。

 バッジョの言葉「「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」が心に刻まれ、PK合戦に挑む双方の選手へのリスペクトが
第一となった。サッカーは不確定な要素がいっぱいあるからこそ面白いのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする