一昨日の夕刊のトップで[奈良の鹿 頭数管理へ]という見出しを見た時、やはり来るべきものが来たと思った。先日、動物との共生についてふれたが、日本のいろいろな場所に旅をすると必ず、猿、イノシシ、鹿などの食害被害を聞く。奈良公園の鹿は別天地かと考えていたが例外ではなかったということだ。
鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島含め3社の分霊)。それゆえ、奈良公園の鹿は古くから手厚く保護されてきており、不慮の事故も含め、殺めると厳しい刑罰を受けた。
落語にも「鹿政談」という演目があるぐらいである。
しかし、明治維新からは手厚い保護への反発から、戦中から戦後しばらくの間は食糧確保のため狩られ、その結果頭数が二桁まで激減した。その後は奈良市が「財団法人 奈良の鹿愛護会」を作り、保護に努め、その結果今日は約1000頭が生息するという。この鹿は野生鹿として国の天然記念物に定められ、域内での無許可での捕獲や傷痍行為が罰則をともなって禁止されている。
頭数の増加に伴い、近隣の農家への食害被害や世界遺産である春日原生林の生態系を崩す恐れが出てきた。新聞によれば2008年に県や市、春日大社などで設立された「鹿のあり方検討会」では市中心部を除く地区で、捕獲も含めた適正頭数の維持を目指す意見が出たが、一方で動物愛護団体からの反発も予想されるため保護管理の決め手に欠くというのが現状みたいである。
難しい問題だが県が設置する予定の有識者による第三者委員会を中心に、共存できる保護管理計画を作って欲しいと切に願う。伊勢神宮の遷宮での用材は200年先を見据えて準備されているという話に感動したが、奈良公園の鹿の問題も同じことだと思う。今だけの急場しのぎの計画ではなく百年単位の先を見据えて考えてもらいたい。
観世清和さんと内田樹さんの話の中でも、観世さんが650年前から650年後までを見て今自分がするべきことを決める。ということが印象に残った。そのことを受けて内田さんも過去と未来の長いスパンの中で、今何をすべきかを考えることが大切だと強調されていた。
「たかが鹿、されど鹿」である推移を見守っていきたいと思う。
鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島含め3社の分霊)。それゆえ、奈良公園の鹿は古くから手厚く保護されてきており、不慮の事故も含め、殺めると厳しい刑罰を受けた。
落語にも「鹿政談」という演目があるぐらいである。
しかし、明治維新からは手厚い保護への反発から、戦中から戦後しばらくの間は食糧確保のため狩られ、その結果頭数が二桁まで激減した。その後は奈良市が「財団法人 奈良の鹿愛護会」を作り、保護に努め、その結果今日は約1000頭が生息するという。この鹿は野生鹿として国の天然記念物に定められ、域内での無許可での捕獲や傷痍行為が罰則をともなって禁止されている。
頭数の増加に伴い、近隣の農家への食害被害や世界遺産である春日原生林の生態系を崩す恐れが出てきた。新聞によれば2008年に県や市、春日大社などで設立された「鹿のあり方検討会」では市中心部を除く地区で、捕獲も含めた適正頭数の維持を目指す意見が出たが、一方で動物愛護団体からの反発も予想されるため保護管理の決め手に欠くというのが現状みたいである。
難しい問題だが県が設置する予定の有識者による第三者委員会を中心に、共存できる保護管理計画を作って欲しいと切に願う。伊勢神宮の遷宮での用材は200年先を見据えて準備されているという話に感動したが、奈良公園の鹿の問題も同じことだと思う。今だけの急場しのぎの計画ではなく百年単位の先を見据えて考えてもらいたい。
観世清和さんと内田樹さんの話の中でも、観世さんが650年前から650年後までを見て今自分がするべきことを決める。ということが印象に残った。そのことを受けて内田さんも過去と未来の長いスパンの中で、今何をすべきかを考えることが大切だと強調されていた。
「たかが鹿、されど鹿」である推移を見守っていきたいと思う。