連日の猛暑日、家にいても朝からクーラーのお世話になるばかり。一旦クーラーの涼を味わってしまうと部屋から出る気がしなくなる。人間の感覚は相対的なところがある。同じ温度でも風呂から出た時の脱衣場は涼しく感じる。したがって原則的には我が家のクーラーのスイッチが入るのは夕方である。
今日は映画を見に行くことにした。朝の用事をサッサと済ませて陽が高くならないうちに東寝屋川駅まで歩いた。梅田のステーションシネマで『少年H』を見る。9:05からでも8割近く席は埋まっていた。同じように考えている人が多いということか。
8月は戦争と平和について考えさせられる月である。どの視点から見るかで ずい分違うのだが、あくまでも市井に生きる人間にとってということを忘れないようにしたい。その点から言えば『少年H』の映画は見事に描いているように思えた。ローラーで押しつぶされるように日常生活が壊されていくさまに、やりきれなさを感じた。
原作者の妹尾河童さんを知ったのはずい分前である。『河童が覗いたニッポン』(新潮文庫)を読んだ(見た?)時である。京都の地下鉄工事、長谷川きよしの周辺、愛のコリーダ裁判の傍聴、皇居、刑務所など全部で14編のルポである。細密イラストも文章もすべて手描きという後にも先にも見たことがないものであった。特に、独特の俯瞰図は職人もので何度か真似をしようと思ったが無理であった。
あくまでも自分のアンテナが指す方へ足を向け、自分の目で見て、徹底的に調べ上げたものをいっさい手抜きをせずに伝えてくださる。その姿勢に大いに学ぶところがあった。映画で水谷豊演じる父親の洋服を仕立てる姿が河童さんのベースにあるように思えた。この『覗いた』シリーズの他にも『河童の(対談)おしゃべりを食べる』(文春文庫)は対談の内容もさることながら料理本としても魅力のあるものだった。その中の和田誠さんと教育につれて語り合っている部分を映画を見てからもう一度読み返すと感慨深いものがあった。
・・・・・・・・・・・・・・
和田:だから、大上段に「教育」なんて言うことが、教育じゃない。
河童:子供に、「いろいろ、あるよ」ってことを、何かその子が興味をもちそうなことで教えてやることができれば、それは素晴らしいことなんだ。世の中にいろいろな人がいること、いろいろな事柄があるわけだから、その「いろいろ、あらあな」ということを、上手に手渡し伝えていくことですね。出来上がった映画だけでなく、作るプロセスにいろいろあることを教えてやるとか・・・・。今の学校は、ぼくたちの時代とかなり違うようだね。ぼくたちは腹をへらしていたけど、今と比べると、個々の違いを認めてもらえる自由さというか、余裕があったような気がする。
和田:いつだったか、飛び降り自殺した子がいたでしょう。彼は映画の感想を担当の先生から何度も書き直させられたんだってね。「典子は、いま」というサリドマイド児の映画。彼は批判的な感想を書いたのね。もちろんその映画はまじめに作られたものだろうけど、どんなにまじめな映画であっても、彼にとっては面白くなかったら、彼は彼の感想を書くことが正しいんだよね。それを何回も書き直しさせるなんて、まずいわけですよね。
河童:そうそう。特に教育熱心だといわれるまじめな先生に多いんだよな。「こうあらねばならない、こう思わねばならない」というのが。教育とは、一つ一つの個性を引き出し育てることで、画一化とは正反対なんだけどね。ぼくは、さまざまある生徒のうちでも、特に落ちこぼれのヘソ曲りで、かなり異端の生徒だったけど、それを圧殺しないで、一つの個性として認めてくれた、内藤先生や小磯良平先生や、藤原義江ダンナなどの多くの人たちによって、今のぼくがあるんだなあって、よく思うもんだから、「さまざまあることを認めろ」ということにムキになってしまうんだ。
和田:「河童の覗いたインド」なんかでも、終始そのことを書いているよね。
河童:そうなの。「教育に何を望みますか?」と聞かれたら、「さまざまな子供たちがいるところから、何か考えてほしい」ということ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
昼食後、ステーションビル付近をウロウロしてから、阪神百貨店8階の催場会場(中古のレコード、CDの市)の一角で催されている阪神ミュージックジャンボリーステージで休憩がてらシモンズ・田中ゆみライブを楽しむ。

帰りは運動がてら梅田からビル陰、木陰を利用して京橋まで小1時間歩く。ちょっといい感じの大阪城ビューポイントを見つけた。このポイント探しも楽しみの一つ。

今日も何とか暑さをしのぐことができた。
今日は映画を見に行くことにした。朝の用事をサッサと済ませて陽が高くならないうちに東寝屋川駅まで歩いた。梅田のステーションシネマで『少年H』を見る。9:05からでも8割近く席は埋まっていた。同じように考えている人が多いということか。

原作者の妹尾河童さんを知ったのはずい分前である。『河童が覗いたニッポン』(新潮文庫)を読んだ(見た?)時である。京都の地下鉄工事、長谷川きよしの周辺、愛のコリーダ裁判の傍聴、皇居、刑務所など全部で14編のルポである。細密イラストも文章もすべて手描きという後にも先にも見たことがないものであった。特に、独特の俯瞰図は職人もので何度か真似をしようと思ったが無理であった。
あくまでも自分のアンテナが指す方へ足を向け、自分の目で見て、徹底的に調べ上げたものをいっさい手抜きをせずに伝えてくださる。その姿勢に大いに学ぶところがあった。映画で水谷豊演じる父親の洋服を仕立てる姿が河童さんのベースにあるように思えた。この『覗いた』シリーズの他にも『河童の(対談)おしゃべりを食べる』(文春文庫)は対談の内容もさることながら料理本としても魅力のあるものだった。その中の和田誠さんと教育につれて語り合っている部分を映画を見てからもう一度読み返すと感慨深いものがあった。
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和田:だから、大上段に「教育」なんて言うことが、教育じゃない。
河童:子供に、「いろいろ、あるよ」ってことを、何かその子が興味をもちそうなことで教えてやることができれば、それは素晴らしいことなんだ。世の中にいろいろな人がいること、いろいろな事柄があるわけだから、その「いろいろ、あらあな」ということを、上手に手渡し伝えていくことですね。出来上がった映画だけでなく、作るプロセスにいろいろあることを教えてやるとか・・・・。今の学校は、ぼくたちの時代とかなり違うようだね。ぼくたちは腹をへらしていたけど、今と比べると、個々の違いを認めてもらえる自由さというか、余裕があったような気がする。
和田:いつだったか、飛び降り自殺した子がいたでしょう。彼は映画の感想を担当の先生から何度も書き直させられたんだってね。「典子は、いま」というサリドマイド児の映画。彼は批判的な感想を書いたのね。もちろんその映画はまじめに作られたものだろうけど、どんなにまじめな映画であっても、彼にとっては面白くなかったら、彼は彼の感想を書くことが正しいんだよね。それを何回も書き直しさせるなんて、まずいわけですよね。
河童:そうそう。特に教育熱心だといわれるまじめな先生に多いんだよな。「こうあらねばならない、こう思わねばならない」というのが。教育とは、一つ一つの個性を引き出し育てることで、画一化とは正反対なんだけどね。ぼくは、さまざまある生徒のうちでも、特に落ちこぼれのヘソ曲りで、かなり異端の生徒だったけど、それを圧殺しないで、一つの個性として認めてくれた、内藤先生や小磯良平先生や、藤原義江ダンナなどの多くの人たちによって、今のぼくがあるんだなあって、よく思うもんだから、「さまざまあることを認めろ」ということにムキになってしまうんだ。
和田:「河童の覗いたインド」なんかでも、終始そのことを書いているよね。
河童:そうなの。「教育に何を望みますか?」と聞かれたら、「さまざまな子供たちがいるところから、何か考えてほしい」ということ。
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昼食後、ステーションビル付近をウロウロしてから、阪神百貨店8階の催場会場(中古のレコード、CDの市)の一角で催されている阪神ミュージックジャンボリーステージで休憩がてらシモンズ・田中ゆみライブを楽しむ。

帰りは運動がてら梅田からビル陰、木陰を利用して京橋まで小1時間歩く。ちょっといい感じの大阪城ビューポイントを見つけた。このポイント探しも楽しみの一つ。

今日も何とか暑さをしのぐことができた。