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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

文楽初春公演観劇

2010年01月22日 | 日記
 文楽は一度行きたいと思っていたが、なかなか機会がなかった。知人が急用ができて行けなくなったチケットをいただいたので、国立文楽劇場に出かけた。満員だったのには驚いた。

 第1部(11:00~15:04)の演目は、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)寿連理の松(ことぶきれんりのまつ)日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)の3本。

江戸時代に大坂で生まれた人形芝居で、昔は人形浄瑠璃と呼ばれた。太夫と三味線が浄瑠璃を義太夫節という音曲で語り、人形遣いが3人で遣う三位一体となった音楽劇。太夫、三味線、人形遣いを三業(さんぎょう)という。現在は三業で90人いる。中でも太夫が、ひとりで物語の情景を描写し、多くの登場人物のせりふを語り分ける重要な役を務めている。竹本義太夫が1684年に大坂に竹本座を開き、新しい語り口である義太夫節の人形浄瑠璃を始めたのが草創期。18世紀半ばには「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などの名作を生み、黄金時代を迎えた。明治時代に植村文楽軒が文楽座を名乗り、これに対抗した彦六座系統が大正時代に滅びてからは、文楽がこの人形浄瑠璃を指す正式名称になった。1955年に国の重要無形文化財に団体指定され、63年に国、大阪府・市などにより財団法人文楽協会が設立され、84年には大阪に専用の国立文楽劇場がつくられた。人形は主遣い、左遣い、足遣いの3人遣い。最初は1人遣いだったが、1734年に竹本座での「蘆屋道満大内鑑」の時に、吉田文三郎が今の3人遣いを考案した。人形の動きはよりリアルさを増し、世界でも例を見ない複雑で巧みな表現ができるようになった。
( 山本健一演劇評論家 )

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2007」

知識としてはあったが、生の舞台は初めてだった。思ったより中身がよくわかった。今でこそ伝統芸になっているが、本来は気軽な庶民の娯楽という感じで、気楽に楽しめた。

分業の妙というものも感じた。日本の語り芸の系譜というのは奥行きが深いなという思いが強くなってきた。できるだけいろいろな語り芸を生で聴いていきたいとおもっている。

終わってからも三味線の心地よいリズムが頭の中で鳴っていて、そのノリで御堂筋を難波から梅田まで歩いてしまった。大阪を堪能した一日になった。

 
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