二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

月を看る 花を看る

2016年05月20日 | 言葉のちから 心のちから

本日は二十四節季でいうところの「小満」です。

 

陽気が増して、万物が成長する「氣」が次第に長じて天地に満ち始めるころです

 

東洋医学「氣」「血」の調整を行うことで、健康に自分の寿命まで長寿を実現する医療だと思います。

「氣」は見えませんが、必ず存在します。

空気は見えませんし、電気は明かりや動力としては「見える」かもしれませんが、電気自体はどなたも見たことがないのではないでしょうか

しかし、そこに確実に存在し、人は特にその恩恵をいただいています。

だから、「氣」というと怪しく思われるのかもしれませんが、存在するのです。

人間の身体も細胞(解糖系ミトコンドリア系)が放出するエネルギーで動いています。これは質量がありません。顕微鏡でも見えません。でも、そこには存在し生理学の常識となっています。

エネルギーは「氣」の一部分ということも言えるでしょう。

としたら人体には「氣」は存在するということです。

 

鍼灸治療は「氣」「血」を調整する治療方法ですが、やはり、その中でも現代の自然科学や宇宙や地球、天体など大自然の物理学、分子生物学など、昔と比較して圧倒的に、人が客観的に捉えることができる範囲は増加しています。

鍼灸治療も現代の中に息づく医療とするなら、科学的根拠やそれに基ずく医療(EBM)とよく言われておりますが、目に見える部分での鍼灸効果の証明ということも、医療の中に入っていくのであれば必要なのだと思います。

 

目に見えるものと見えないものの両方から捉える感性が、私が行っているこの仕事、鍼灸治療には必要なのだと感じます。その時々で対応すればいいのですが、どちらへ傾いてもいけないバランス感覚を持つ存在(調和)こそが、場に適応して進化発展し、生き残っていくのかと感じます。

そんなことを感じつつ・・・本に目を通すと

佐藤一斎さんの言葉が目に入ってきました。

 

  月を看るは、清氣を観るなり。円欠晴翳(えんけつせいえい)の間に在らず。

  花を看るは、生意を観るなり。紅紫香臭(こうしこうしゅう)の外に存す。

 

  【訳】 月を眺めるのは、清らかな氣を鑑賞するのである。

      円くなったり欠けたり、晴れたり翳(かげ)ったりするのを見るのではない。

      花を見るのは、生き生きとした花の心を鑑賞するのである。

      花びらの紅や紫といった色、香りや匂いの外にこそ見るべきものがある。

 

    『佐藤一斎 一日一言 ~言志四録を読む~』  渡邉五郎三郎 監修より  

 

素敵な、深い言葉です。

そのような感性も大切にしながら、仕事に、日常生活に心豊かに活かしていければ、また違った世界や、新たな発見があるのかもしれませんね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます 

 

    二葉鍼灸療院 田中良和


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2 コメント

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こんにちは (おむぅ)
2016-05-27 14:35:27
お返事ありがとうございました。

最近は朝からヘソが苦しくて、全然デイケアに行かれてません。
もうデイケアに行くのは無理かもしれません。

冷たいものを飲むとヘソが苦しくなります。
お腹を満腹にするとヘソが苦しくなります。

以前は、よく障害者手帳で美術館や映画を観に行っていたのですが、最近はヘソが苦しくて行かれなくなってしまいました。

もう遠出は無理かもしれません。
もう何もできません。
なんのために生きているのかわかりません。
人間として、まともに生きていくことが、できなくなってしまいました。

どうしてこんなに苦しまなきゃいけないのでしょうか?
僕は何も悪いことはしていません。
どうして僕の人生は、こんなに悲惨なのでしょうか?
どうすれば、この苦しみから逃れることができるでしょうか?
教えてください。
返信する
少し長くなりますが (二葉院長)
2016-05-31 11:52:41
おむぅさん

コメントありがとうございます。
この苦しさ、本当にご本人しか分からない辛さだといつも思います。私はアドバイス程度しかできませんので、このような考え方があることご紹介します。

POP(プロセス指向心理学)というのがあるそうです。
かいつまんで簡単に引用します。
~引用~
POPの考え方は、病気や症状は、私たちに、何か大切な人生のメッセージを送り届けてきてくれているのだから、それを大切に敬うべきだ。”病気の気持ち””症状の気持ち”になって、その”言い分”に耳を傾けよう。”病気や症状の言い分”に従っていこうと言います。POPの考えでは、病気や症状は、そうにでもならなくては気づけずにいた”大切な何か”に気づくように私たちを促してくれる有難い”贈り物”なのです。したがって、病気や症状を”敵”や”邪魔者”とみなして、すぐに薬を飲んだり治療を受けてなくしてしまおうとするのは、せっかくの贈り物=大切な気づきや学びのチャンスをゴミ箱に捨ててしまう愚かな態度であることになります。
病気や症状も私たちが認めたくない私たち自身の一部なのです。ですから病気や症状の立場に立ち、それになりきって、そこからメッセージをもらおうとするのです。

-喉の痛みのメッセージ(具体例)-
ミンデル(POPの創始者、アメリカの心理療法家)のセミナーに来たある女性は、最初、極度の疲労と発熱でしばらく横になっていました。彼女はひどい”喉の痛み”に慢性的に苦しめられており、それを何とかしようと思って、ミンデルのもとを訪れたのです。

彼女はしばらくこの喉の痛みを感じていました。ていねいに、ていねいに、その感覚を感じていると、それが”氷のように鋭く、冷たい、金属片”であるとイメージが浮かんで来ました。そこで彼女は、この”氷のように鋭く、冷たい、金属片”そのものに”なって”みました。そして、この”金属片の世界””金属片の気持ち”を丁寧に味わい体験したのです。

出てきた言葉は、「あなたは、あまりにもお人よしで、優しすぎる。周りの目を気にしてビクビクしないで、もっとハッキリ自分の意見を言いなさい!」。

彼女の”喉の痛み”は、”もっと自己主張するように”というメッセージを彼女に送るために、からだの症状として現れてきていたのです。逆に言えば、彼女には本来、自己主張的な面があるにもかかわらず、その面を十分に生きて来なかったがために、”喉の痛み”が慢性症状として現れ、彼女に”気づき"を促していたのです。

このメッセージを受け取った彼女は、とても逞しくなったように見えました。自分に本当に言いたいことを、自分の著書でストレートに書いていくことを決意したのです。
すると、彼女の”喉の痛み”は、嘘のように消えていったと言います。
-引用終了-

これは一つの考え方です。受け入れる、受け入れないは別にして、病気や症状はこのような側面もあるということを分かっていただければ有難いなと思います。

心や身体のフォーカスを違った点から見つめてみることも症状改善の方法の一つかと思います。
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