私が小さいときに影響を受け、今も好きなマンガ(アニメ)が二つあります
宇宙戦艦ヤマトと北斗の拳です
二つは戦いのマンガではあるのですが、共通したものがあります。
宇宙戦艦ヤマトは、地球のためにボロボロになりながら戦い、巨大な敵にギリギリのところまで追い込まれるのですが、最後はスターシア、テレサなど美しい女性=愛の存在が前面に出てきてヤマトを救い、地球人類は助かるというストーリーです。
北斗の拳は、漢(おとこ)たちの究極の技の競い合い=力を誇示することのように思えますが、結局はユリアという美しい女性を求め合うラブストーリーなのです。ユリアは漢たちの中に潜む全てのものを包み込む愛そのものであり、それを奪い合う=求め合うストーリーです。
説明が簡単すぎるとファンの皆様には怒られそうですが、そこは許してください。
共通するもの、それは女性=全てを包み込む愛、ということです。
私たちの仕事である鍼灸マッサージ師は、苦痛ある人に寄り添い、それを理解し、それを鍼や灸や指をもって施術し、癒やし、少しでも痛みや症状で苦しむ人の症状を軽減、消失させ、そこから解放させる仕事です。
そこには愛がないとできません。
どの仕事も一緒だろうと思いますが、人の身体に触れる仕事=心に触れる仕事は、とくに人間性や心の在り方が重要となる仕事だと常々思います。
日々、刹那、多くの患者さんと出会う時間の中で、いろんな経験をさせていただきます。
悩むこともあり、壁にぶち当たることもあります。
それらを乗り越える大きな力は、心の深くにある、それらを包み込む愛のパワーなのかなと感じます。
尺度を捨てるということ(抜粋)
愛はこだまする ―。
人の心は、愛に感応する力を持っている。我欲を捨てた人は、相手にも我欲を捨てさせる力を持つ。愛は美しい音楽のように相手の心に浸透し、さらに美しい音楽として送り返されてくる
ここでは癒す人、癒される人の関係はなくなり、お互いに愛をたたえ合う人として等しい立場にあります。そこには人と人との境界もなく、価値判断による上下関係もない。このような関係が築かれるとき、人間は相手に感化され、精神的に成長する可能性が開かれるのです。
癒やしは、一方が他方に与えるだけのものではなく、お互いの心の中で育っていくものです。したがって、援助を必要としている人に出会えることは、幸せなことなのです。
このように癒しの過程を考えてみると、それは自分とか他人とか、癒す人とか癒される人であるという尺度を捨てることだと思います。
もっと正しくは、「捨てる」というよりは「超える」ことである、と私は考えています。
理性に抑えられた私たちの感情を解き放つとき、そこには大きなエネルギーがあふれてきます。この理性の中には、医学その他の科学的な思想も含まれます。
理性を否定するのではなく、理性に必要以上に縛られることなく感情の解き放つことを、「理性を超越する」と私は表現したい。
科学の思考はすべてを分析し、尺度ではかり判断しようとします。そのような思考では、苦しむ人と心を通わすことはできない。科学的な思考を超越したときに初めて、あるがままの苦悩する人を受け入れることができるのです。
人の心は、空になることはありません。一つを捨てると、必ずそれに代わるものが満ちてきます。
自我を捨てれば愛が、愛を捨てれば憎しみが、執着を捨てれば活力があふれてくる。苦しみの極みに立つことさえも、希望への道を開くことにもなり得るのです。
『1/4(よんぶんのいち)の奇跡~「強者」を救う「弱者」の話~』柳澤桂子さんの担当より
生命科学者であり、若き日は研究の道を目指していましたが、途中、原因不明の難病を発症し、以後40年以上も闘病生活を送ることになった柳澤さんならではの「愛」の解釈からもしれません。
しかし、私のように患者さんの病気や症状と向き合う仕事をするものにとって、たいへん参考になる考え方です。
医学や医療で言えば、科学的根拠(エビデンス)など蓄積されたデータを尊重し、知識を重ね、それを活かすことは重要ですが、それに縛られることなく、相対する患者さんの奥に潜んでいる苦悩を、施術者と患者を超越し、理解してあげることも大切なのかなと捉えました。
鍼灸施術は東洋医学。東洋医学の考え方は、易経や老子など東洋哲学が基盤にあります。だからかもしれませんが、自身の実体験から書かれた柳澤さんの言葉には腑に落ちるものが多くあります。
素敵な文章に感謝でございます
これを胸に秘めて、今日も経絡秘孔をつきながら、愛の波動砲を発射していきたいと思います(冒頭のアニメを知らない方、すいません)。
最後までお読みいただき、ありがとうございます
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