私は4月から10月まではだいたい下駄を履いて過ごし、それ以降はブーツになる。
山谷ではこの下駄からブーツになる季節に、私がブーツを履いていくと多くのおじさんたちは私の足元を見て「あれ、下駄じゃないんだ」と突っ込む。
その度、私は「もう寒くて下駄を履けないよ。風邪引いちゃうし」と笑いながら言いかえす。
今年のこの時期にあるおじさんからあることを教わった。
そのおじさんは体格は良く、洒落た帽子をかぶり、首から金色の鎖をまき、グラサンをして作務衣を来ていた。
そのおじさんの足元は素足に蛇柄の雪駄だった。
彼は私に言った。
「向島では粋な男は冬でも素足に雪駄を履くんだよ。それが粋なんだよ」
それもブーツを履き始めた私の足元を見ながら言うから、私は恥ずかしくもなった。
恥ずかしくなるその心とは私も粋に憧れ、真冬でも素足に雪駄を履く寅さんに憧れているからである。
「そうなんだ。いや、自分はもう寒くなると下駄は履けないんですよ。おじさんは寅さんみたいだね」と苦々しい思いや恥ずかしい思い、そのもろもろが混じりながらもやはり冬に素足に雪駄を履く粋がない自分を結局恥じた。
面白いのがそれからしばらくして、またそのおじさんに会うと、なんと今度は普通の洋服を着てスニーカーを履いて現れた。
今度は立場が逆転とは行かないまでも、以前の私のようにそのおじさんはなっていて、ニコニコ笑いながら照れを誤魔化していた。
それからおじさんは何週間かスニーカーでカレーの炊き出しに現れた。
がしかし、先週の土曜日だった。
そのおじさんはまた作務衣に雪駄で現れた。
寒さをやせ我慢していることは明らかだが粋だった。
そこでまたおじさんの粋の饒舌を私は賜わった。
でも、おじさんは言った。
「今日でここに来るのは最後なんだよ。引っ越すんだよ」
「えぇ、そうなの・・・。それじゃ」と私は言いながらおじさんに右手を差し出し、握手を求めた。
「またいつか遊びに来てね」と言うと粋なおじさんの顔に少し寂しさが表れたように思えた。
このおじさんがどんな人生を歩んで来て、どんな毎日を暮し生きているのかは分からない、きっと私の想像以上にドラマチックな人生を生きて来たのだと思う。
どうしても外見などで何かを判断しがちになってしまうことがあるが、私はその出会いに意味と価値をいつでも見い出し、愛を持って目の前のその人に接することがいつも、いつまでも出来るように願わずにはいられない。
粋なおじさんがいつまでも粋であることを願いながら。
おじさんは最後のはなむけに私と別れるためにやせ我慢をしてまでもその粋な姿を見せたかったのだろう、その心がやはり粋でカッコ良かった。