自分はカルカッタでも山谷でもボランティアをしているときに良く誤解される。
「この人はちゃんと働いているの?何しているの?こんな時間に来て・・・」
山谷へはカレーが出来上がる頃に行っている。自分のなかではその時間に行くことが無理せず続けられる時間だからだ。しかし、遅く来る自分に面と向かっては言わないがそのように思っている人がいるのが確かだろう。自分はそう思われても、それは仕方がないことだと思っている。
韓国のボランティアの子とこのことを話した。
彼女の考えはやはり早く来てカレーをちゃんと作ってから行かなくてはならないと思っていた。
自分はこう言った。
「もちろん、そうだね。でもね、ボランティアは時間が問題ではない。自分の可能な時間で無理なくすることがいい。そして、早く帰る人は何も思われず、遅く来る人が良くないように思われるのはおかしくないですか?」
彼女は頭で分かっていた。しかし、こう言った。
「カレーを作る人がいなかったから配れません」
「もちろん、そうですよ。でも、MCはボランティアがたくさんいますよ」
「・・・・・」
彼女は自分の考えをどうしても正しいものとして認めさせようとしていた。そして、それと同時に自分の話しにもどこかで納得していたので言葉を詰まらせていた。
彼女は呟くように口を開いた。
「私は先週遅れそうになったのでボランティアを休みました・・・」
「他人からどう見られるためにあなたがボランティアをしているのではないんです。おじさんたちに愛を届けるためにしているんですから」
彼女は否応なしに自分と向き合ったが認めることはどうしてもまだ出来ないようだった。
自分はそこで話しを変えた。今はその時ではないと判断した。彼女は自身がどういった思いで行動をしているか、それを知ることを必死に拒否していたことが分かったからだ。
「彼女は何のためにボランティアをしに来ていると思いますか?」
「彼女の心はどこに行ってしまったのですか?」
「彼女は何を恐れているのですか?」
「彼女は必死に誰に認められたいと思っているのですか?」
「彼女の大切なものは何なのですか?」
「彼女は誰ですか?」
あなたはどう思うでしょうか?
自分たちは簡単に他人を誤解してしまうものです。しかし、自分が誤解されることは嫌います。そして、恐れたりもします。
どうか誤解される勇気を持ってください。
他人からどう思われるか不安に思うより、あなたはあなたになってください。
そして、この世のなかには分かり合えない人がいることを認めることが出来るようにあってください。
心のなかで自己の正当性を認めさせなくてはならないと必死に相手を見下す戦争を止めてください。
そこには相手を思いやる愛などありません。現在の出来事以上に過去から引き出した恨みを晴らし、新たに憎しみを生むだけです。
人間は弱いものですから、そうあっても仕方がないものです。過ちや間違いを犯さないものは誰もいません。
もし、そうしているのであれば、そうしてしまうことがあるのであれば、その思いはどこから来てしまっているのか、そこから勇気を持って学んでください。そして、信じれる愛ある人と話をしてください。
あなたは良くなっていきます。まずは気付くことからです。