飲みながらいろんな話をした。
山谷で会ったよしこちゃんの話しもした。
おじさんたちにどう接していいか分からない彼にはこう話した。
「同じ人間だよ。日本人もインド人も、違うのはそれに向かっていく自分の態度や考え、思い込みだけだよ。そうした自分の感情を分かった上で、それを超えて、愛情を持って接する。マザーの言うように{前よりも元気にして帰っていくように}するんだよ。もちろん、それは簡単なことではないけどね」
「大切なことは受け容れること」山谷を歩きながら自分が話したその言葉が彼のなかでは激しい葛藤が生まれていた。
彼は言葉を詰まらせ涙を流した。
インドでは出来たことが日本では出来ないその違いに彼は初めて気が付いた。そこはまだ彼が向き合っていない自身のなかの未成熟なところであり、影であるかもしれない。
それを知り、彼は内省し深く反省したのだろう。こうした自分自身を知ることが今まで以上に愛を強く深いものにしていく。
彼は分からないことが分かった。分かったつもりでいたことがわかった。答えが見つからないことが分かった。そうした自分があることが分かった。
なぜ、そうした自分があるのだろうと考えることを拒否してしまえば、楽なものへ落ち着こうと逃げてしまえば、成長していくことは難しい。彼は初めて向き合おうとしていたその証しが涙のようだった。それは綺麗だった。
酔いや日々の生活からの思いなど、いろいろなものが合わさって涙として現れただろうが、彼は良くなっていくと思った。これからも見守っていこうと思った。
分かったつもりでいる自分もいる。思いを行動に移せない自分もいる。マザーにもあっただろうと思う。ただ彼女は激しく内省し自身に祈りのなかで問い続けていたであろう。神さまが見守るなかで。