雪月花 季節を感じて

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美へのまなざし 千利休と青山二郎

2006年09月28日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 風に木犀の香を聞く候となりました。桜がちらほら色づき始めています。
 夜長にゆっくりと本をひらくのが楽しみです。秋なので、手にとるのは文化・芸術の本ばかり。この夏、松涛美術館(東京渋谷)で開催されていた「骨董誕生」展を鑑賞して以来、稀代の目利き・青山二郎という人物のことを知りたくなり、しばらく関連の書にあたっていました。ところが、読みすすむうちに話は利休の茶のことにまで及んでゆきます。これまでつねづね「利休の茶とは何だろう?」と考えてきたので、理解を深めるよい機会になりました。


千利休と青山二郎
 小林秀雄と白洲正子を骨董の世界に引きずりこんだ天才的目利き・青山二郎を知るには、白洲さんの『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮文庫)が良著です。「骨董とは、美とは何か」を知る前に、一生をかけて自ら選んだモノと人にトコトン付き合ってゆくとはどういうことなのか‥というのがこの本の眼目で、青山二郎の生きざま─彼がいなくなったいまでは、それが彼の思想だったといえるのですが─には、深い「愛」がありました。
 また、青山二郎が、それまで誰も目もくれなかったシロモノに独自の眼力で「美を発見し、創作した」人物であったという点で、千利休とまったく重なります。利休にとって、それは高麗の民器(美術品でなく、ふだんの暮らしに使ったうつわ)であった井戸茶碗や楽茶碗であったし、青山にとっては桃山陶(志野や唐津のやきもの。こちらも民器)でした。青山は茶の湯のことは知らなかったけれども、利休の茶のこころは十全に理解していたでしょう。
 ところが、生前、利休も青山も多くのことを語らなかったし、利休は自分の創作した美の世界を懐に抱いたまま「自分が死ねば茶は廃れる」と言い残し、秀吉の命を容れて死んでゆきましたし、青山はこの世の美を呑み尽くした末に、所有品のほとんどを手放してこの世を去ってしまったので、残されたわたしたちは、いったい利休とは、青山二郎とは何者だったのか、その実態をつかめないでいるのが実情です。

自分が死ねば茶は廃れる」の意味
 『いまなぜ青山二郎なのか』の中で白洲さんがすすめている本が、画家で作家の赤瀬川原平氏の『千利休 無言の前衛』(岩波新書)です。赤瀬川氏は映画『秀吉と利休』(原作は同題の野上彌生子の小説)の脚本を書いたことで知られていますけれども、当時の草月流三代目家元・勅使河原宏氏から脚本を書いてみないかと依頼されたとき、赤瀬川氏自身は茶の湯のことはまったく無知だったそうです。もちろん、引き受けた後は利休のことを調べ尽くして脚本が成ったのだし、彼も青山二郎と同じように茶の湯を知らずとも利休の茶のこころを理解して、そういった意味で、かえって新鮮な目で利休を見つめてなおしており、実に興味深い利休研究の書になっています。

 赤瀬川氏は、利休は前衛作家だといいます。形を構築しながら、つねに新しいひらめきの中に生き、創作しつづけていた人物だからです。「閃きは、言葉で追うことはできても、閃きを言葉が追い抜くことはできない」という直感的世界。そんな微妙なところに生きた利休は、秀吉という時代の権力をもつきぬけていた危険な人物でもありました。
 さらに、利休は「人と同じことをなぞるな」とも言っており、それは文字どおり「あなたは利休ではない、あなただけのことをやれ、新しいことをしなさい」という意味ですが、赤瀬川氏はこれを「芸術の本来の姿、前衛芸術への扇動である。‥‥前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである」と喝破します。また、そんな一回限りの輝きを求めるこころを、「別の言葉では『一期一会』ともいう」という氏の言葉に、はっとさせられました。
 そうすると、利休や青山がなぜ黙して語らなかった(いえ、語ることのできない世界に生きていた)のかが理解できます。彼らは一回性の、一瞬の輝きの継続などありえないことを、知っていたからです。

 利休の死後、彼の遺した言葉や形をなぞってみたところで、その輝きを再現することはもうできません。その結果、茶は形骸化がすすむばかり‥ というのが、「自分が死ねば茶は廃れる」の意味だったのです。

一個の茶碗は茶人その人である」(青山二郎の言葉より)
 茶の湯も骨董の世界も、この世の一握りの人たちだけによって運営される閉鎖的なものになってしまった現代、それでは美をもとめるこころや眼の力を養う機会は失われたかといえば、そんなことはないと信じたいのです。
 道を知ることは大事だけれど、いったん知ってしまったら、そこからなかなか抜けられません。日ごろから柔軟な思考と知識を離れた眼を養わなければとうていむつかしいでしょうが、素人であるわたしたちは、ついふだんの暮らしをおろそかにして、生活を成しているモノ(道具)の重要性を見失いがちです。青山の言うとおり、一個の茶碗がすなわち茶人を、骨董がそれを使う人のこころを映し出す、とすれば、毎日わたし(あなた)が使っているモノや、常にそばに置いているモノこそ、わたし(あなた)自身ということになります。そのことをまったく意識せず暮らして、日本の文化を生きているとはいえない─ ということを、わたしたちは考えてみる必要がありそうです。


 花と花器の関係を「道具が先で、花は従なのだ」と喝破した白洲さんの言です。

 それにしても、この頃の展覧会の混雑ぶりは異様で、ちょっと近よれない感じがするが、日本人の生活力と好奇心の現れと思えば、喜ぶべきことなのだろう。柳宗悦氏は、しきりに「じかに物を見る」ことを説いたが、そこではじかに見ることが、未だ充分に行われているとは思えない。‥知識を持つのはむろんいいことだ。が、物がなくて知識だけあるのは恐ろしいことである。箱書だけ尊重するのと同じように、自分で見たり、考えたりする力をなくし、いつも外の力に頼る。いつの間にか生活のすべてに亙ってそれが習慣と化すからだ。
 鑑賞という言葉も、昔はなかった。鑑賞とは、‥生活の中で、物と一緒に暮らすことを指し、長い間暮らしてみれば、人間と同じように、‥何かしらはっきりつかむものがある。‥知識とか理論とか、間に何も交えない直接な鑑賞法を、柳さんは「じかに物を見る」といったのである。

(白洲正子著 『美は匠にあり』より)

 わたしも、偉人の後ばかり追わずに、一度じっくりと自分の身のまわりを観察してみようと思います。そこから何もかも始まっているのですから。利休のいう六感(=直感、ひらめき)というものは、日ごろから五感を鍛えなければ得られないものであることを、忘れてはいけません。


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【おすすめ展示会情報】
? 滋賀のMIHO MUSEUMで、特別展「青山二郎の眼」を開催中。(2006年12月17日まで)
  図録は青山二郎が所蔵していた本阿弥光悦作「山月蒔絵文庫」をデザインした函に
  入っています。boa!さんのブログに写真が掲載されています。
? 東京日本橋の三井記念美術館で、開館一周年記念特別展「赤と黒の芸術 楽茶碗」
  開催中。(2006年11月12日まで)

※ 『いまなぜ青山二郎なのか』、『千利休 無言の前衛』、『美は匠にあり』は、
  雪月花のWeb書店 で紹介しています。
  今回の絵「紅志野香炉」は、青山二郎から白洲正子へとわたった「This is 桃山」という名品。
  裏にはすすきの絵が描かれていて、形も線も色の味わいも美しい。

 
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