雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

光琳の櫛

2006年09月04日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 先月末、関東地方は夏から秋へ大気が入れ替わりました。日中はまだ30℃を越える毎日ですが、風がちがうのです。さらりとしていて、木蔭に入りますととても涼しいのです。すすきの穂も顔を出して、さやさやと風にゆれています。


 九月四日は「くし(櫛)の日」です。古くから、櫛は女性の大切な持ちものでした。

 君なくばなぞ身装はむ櫛笥(くしげ)なる
              黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 あなたがいないのに、どうして装う必要がありましょうか。黄楊の櫛をとる気にもなれません。
 (『万葉集』 播磨娘子)

 母から折あるごとに黄楊の櫛をもらいました。「櫛を粗末にしてはいけない」と聞かされて、子どもごころにうす気味の悪い思いがしたものです。といって、櫛は「苦死」を想像させますからなおざりにできなくて、なおさら厄介なもののように思われました。ところが、光琳の櫛(上の絵)に出合った日から、わたしは長い間日本女性の黒髪を飾ってきた櫛というものを見つめなおしました。


 江戸元禄期に活躍した京琳派の代表、尾形光琳の「鷺文様蒔絵櫛(さぎもんようまきえぐし)」は、東京青梅(おうめ)市にある「櫛かんざし美術館(※)」の所蔵品です。これまで光琳の印籠(いんろう)は数点見つかっているそうですが、櫛は現在のところこの一点だけではないでしょうか。この櫛のことを知ったのは、知人のIさんから紹介していただいた小説がきっかけでした。

芝木好子著 『光琳の櫛』 (新潮社刊、絶版)
 江戸時代から現代までに製作された櫛、笄(こうがい)、かんざしばかり、一時はおよそ二万点も所有していたという経歴と美しい黒髪をもつ料亭の女将、園(その)が主人公です。物語に登場するひとつひとつの櫛の卓越した意匠や美しさのみならず、それらにこもる、かつての持ち主だった女性たちの情念にとり憑かれている園は、ある日知人を介して光琳の蒔絵櫛と出合います。園は、自分の人生そのものである櫛やかんざしのコレクションを一冊の図録にまとめるために奔走しながら、図録の巻頭をその光琳の櫛で飾ることを決意します。そのときから、それまで他人のものだった光琳の櫛は、女性蒐集家の底知れない執念のからんだ糸に手繰り寄せられるかのように、園のもとへやってきます。

 園のモデルは、岡崎智代さんという、若いころは京都の舞妓さんだったという女性です。女史が蒐集した約三千点に及ぶ櫛やかんざしは、すべて青梅の美術館に収められていますが、中でも江戸期のもの(羊遊斎、酒井抱一、梶川、古満など)に多く佳品があります。著者の芝木好子と女史は交流があったらしく、小説はあながち虚構ではないと思われます。

 あるとき、この小説をすすめてくださったIさんから、小説の光琳の蒔絵櫛が東京にあると聞かされてあわてました。光琳の櫛があるなんて初耳だったからです。それも、当時のわたしの住まいから車で一時間もかからない場所にある美術館でしたからなおさらでした。時をおかず、「櫛かんざし美術館」へ車を走らせたことは言うまでもありません。わたしは、光琳の櫛「鷺文様蒔絵櫛」を、この目でしかと確かめました。
 小ぶりのまろやかな半楕円形の櫛全体に、つやの消された金が施され、中央に鋭い眼光と嘴で獲物を狙う姿の鷺が一羽、うるし錆でふっくらと描かれています。小説の一節を借りるなら、「絵師(光琳)と塗師は、一体になっている」みごとな作品です。そして、この鷺の姿は、小説の中でこの櫛を狙う女性蒐集家、園の姿そのものだったのです。

図録 『櫛かんざし』 (紫紅社刊)
 小説と光琳の櫛の存在を教えてくださったIさんは、東京の染司「よしおか」(本店は京都の新門前通)に長い間勤めておられました。江戸の文政年間から続くこの店の五代目が、岡崎女史のコレクションを『櫛かんざし』という図録にまとめており、図録をひらくと、小説の主人公・園の意志そのままに、光琳の櫛が巻頭を飾っています。のちに、芝木好子が、店の先代(四代目)の貴重な染色の仕事の記録にもとづく小説(河出書房新社刊 『貝紫幻想』、絶版)も書いていたことを知ったのですが、そんな染色家と作家の縁からも、五代目が小説にもとづいてこの図録を製作したことは容易に推測できます。

「鷺文様蒔絵櫛」
 「この櫛のよさは形に尽きる。小ぶりだが、まるみが調って、瀟洒で、まさに元禄櫛です。鷺の姿も申分ない。一羽の鷺は一筆描きのように簡潔で、この文様は『光琳百図』に確かにある。箆(へら)を使ってうるし錆を盛り上げた造型のうまさ。光琳自身が気を入れて蒔絵師と一体になって作ったものでしょう。絶品です」(『光琳の櫛』より)
 上記のとおり、光琳にしかできない仕事なのです。ひと目実物を見て雷に打たれたようになったわたしは、東京郊外の、杉木立につつまれた瀟洒な美術館の一室にひっそりと展示されていたこの櫛の前から動けなくなりました。背後には園の亡霊がいる‥、そんな気がしたのは、この櫛に憑かれたわたし自身もまた、園と、この櫛をその黒髪に挿したであろう江戸の豪商・冬木家の妻女や、櫛やかんざしに秘められた多くのむかしの女と同じ業を持っている─ そういうことなのでしょう。

 それ以来、「光琳の櫛」は、わたしから離れないのです。


 * * * * * * *

 「櫛簪(くしかんざし)」 坂東玉三郎

 小さな かわいい櫛簪
 よく見ると
 こまかい細工がほどこしてあって
 このうえもなく
 美しくしあげてある。

 静かにながめていると
 おんなたちの
 せめてもの祈りが
 ささやかな夢が
 せつなくつたわってくる。

 言いたいことも言えず
 したいこともできなかった
 昔の人の
 つらい思いが
 かなしい心が
 そして いつしか うらみごとが
 私の背すじに
 感じられる。

 我が身につける 小さなものに
 あこがれの世界を描き
 たんねんにみがき
 じっと見つめて
 結いあげたばかりの髷にさす時
 小さくて広いはるかなくにが
 頭の上にのっかって
 おんなたちの心は
 春になったのかもしれない。

 昔のおんなたちの
 胸に秘めていた
 はかない夢が
 叶へられなかったのならば
 どうにか叶へられるよう
 舞台のうえで
 私は 身につけてしまう。
 

※ 美術館までお出かけの際は、事前に「光琳の櫛」が展示されているかどうかをお確かめの上、お出かけください。
 
コメント (16)