闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

歴史より未来の方が面白い

2016年12月17日 21時56分39秒 | Weblog
京都よりもっと寒くなる地方の方々から、甘いと言われそうですが
今朝の今日は2℃、私の動作可能温度レンジ(20℃~40℃)を、かなり下回っているので
一日中、家に籠って外に出ませんでした。
明日の昼間は、今日より暖かいとの天気予報なので、明日は洗濯します。

さて、今年放映されてきたNHKの大河ドラマ「真田丸」も明日で千秋楽。
私はずっと見てきたわけではなく、断片的にしか見ていませんけど、
真田幸村の最期をどのように描いているのかは、ちょっと興味があります。
特に徳川家康本陣を襲撃した際、家康が死んだのかどうかね。

家康の死については、いろいろな説があるようですが、現在、最も有力なのが
胃がんで死んだという説。
以前は天ぷらの食べ過ぎだという説もありましたが、健康オタクの家康が
天ぷらを食べ過ぎるというのも考えにくいと思います。

あと、大阪夏の陣で死んだのだが、影武者が後を引き継ぎ、大阪夏の陣の翌年
もう用済みになって毒されたという説。
これには根拠があり、大阪の南宋寺に家康の墓があるというもの。

まぁ状況証拠はいろいろあっても、何人とも歴史の真実は知る由もないので、
いろいろ勝手な事が言えると思いますが、
私は、家康はやはり夏の陣で死んでなかったと思いますね。

もし夏の陣で死んでいたとしても、あれだけの人物ですから
影武者が死んだあと、遺言に従て南宋寺から遺体を久能山に運ぶ筈。
しかし、そんな話は全くないようですので。

尚、大阪夏の陣で敗退した時に、秀頼が大阪城を脱出したという説もあり、
長崎に渡って天草四郎と名乗ったという説もあるようですが、
やはり夏の陣で死んだのが史実ではないかと思いますね。
当時、いくら今ほど情報網が発達していなかったとしても
秀頼ほどの人物だったら、どこに行ってもすぐに見つかるでしょうから。

まぁ歴史の楽しみ方は、断片的な歴史的遺物を元に
ああでもない、こうでもないといろいろ推測する事であり、
目くじらを立てて、この説が正しいというのは、どうかと思いますね。

まぁ私の今の立場から言えば、歴史は知れば楽しいが、あまり意味がない。
現在と過去は変えられない。
それより自分の生き方により変えられる未来の方にずっと興味がありますわ。
何しろ、何かで世界を変えてやろうと思っていますから


今日目についた記事:
 ・中国「識別検査」、米は抗議し潜水機返還求める
  完全に強盗や、虐待、殺人、窃盗、強盗、人権侵害、中国は何でも有りやな

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 私が歴史に対してもう一つ興味を持っているのが、戦国武士が如何にして
 自分の死に場所を見つけたかという事ですね。


今日読んだ本:
 ・DUO 3.0 / ザ・カード 第4組
 ・ネイティブスピーカーの単語力
 ・一億人の英文法

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