闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

あれから10年・・・

2021年03月10日 20時05分31秒 | Weblog
東日本大震災から明日で10年。
まず最初に、東日本大震災で亡くなられた方々、行方不明の方々に黙祷。

明日であれから10年、長かったのか短かったのか・・・
私は震災後の状況をどうしてもこの目で見たかったので、約3年半前に福島まで行きました。
(その時のブログはこちら→https://blog.goo.ne.jp/sapi2001/e/be12a38f13a9e0b25255ce94de61d9d9

福島第一原発には近づけなかったのですが、行く事ができて原発が見える請戸漁港に行きました。
初めて見ました、広大な荒野。 しかもただ風に吹かれる雑草の音しかしない・・・。
震災前には、行きかう車の音、子どもたちが元気に遊ぶ声、みんなが笑っている声が
毎日とめどなく聞こえていただろうし、沢山の家が密集して建っていたのに
その時は、荒野しか見えず、風に吹かれる雑草の音しか聞こえなかった。
私は荒野の真ん中でただ立ち尽して、TVで見た津波の様子を思い浮かべていました。

しばらく荒野の中をさまよった後、国道に向かう道すがら
新しいお墓が沢山建っているのを見つけました。
多分、震災でお亡くなりになった方々のお墓だとすぐに分かりました。
新しいお墓は沢山ありました・・・。

私は福島までオートバイで行ったのですが、
今まで道があれば、どこでもオートバイで行けたのに、
福島に行った時は何度も警官に止められ、オートバイでは通行できないとの事で
かなり山側を迂回したりしました、そんな経験は初めて。
勿論、通行できない理由は、放射線量が強いので被ばくするからです。
高速道路では至る所に線量計があり、リアルタイムに線量を表示していました。

私は福島への旅で、自然災害や原発は決して人間に幸せをもたらさない事を。
それと同時に、津波が来たら原発が危険な状態になる可能性があるという報告を無視し、
何も対策しなかった東電に強い憤りを覚えます。
東電の経営陣は、今すぐ福島第一原子力発電所に行って、
放射線計を見ながら、実際に自分で廃炉作業を手伝うべきだ。
原発から離れた安全な東京で、本当の放射線の恐ろしさを知らないから
被災した人の気持ちの万分の一も分かっていない。

私が望む事は、すべての原発が日本からなくなり、全部自然エネルギーに代わることです。
そして高い防波堤を造るのではなく、津波が来た時には
どうやって住民の命を守るかという事に注力するべきだと思います。

東日本大震災は、数百年、数千年に一度しか起こらないと言われています。
しかし、それは東日本大震災を予測できなかった研究者が行っている事であり、
東日本大震災ですら予測できなかったのに信じる事ができますか?
地震列島に住む私たちは、次の瞬間、東日本大震災より大きな地震に襲われない保障などどこにもない。
次は自分が被災する番であるという気持ちを持つことが必要だと思います。