もうすぐ一葉忌、11.23 毎年、法真寺で法要が行われる。
一葉ファンが集う。楽しみである。
本郷、菊坂界隈は一葉の香りであふれている。
とくに菊の季節になると一葉を思い出す。
一葉旧居跡、菊坂あたり
一葉旧居跡、炭団坂下
先日、炭団坂下にある「一葉の井戸」に行ったこともあり、一葉の作品をいくつかあらためて読んでみると、その着眼点の斬新さに驚くのである。
それは、西洋のオペラの世界の一断面に匹敵するようなな物語でもあり、ジェンダーで読むとますますもって先鋭的である。
作品を通して女性の性と身体を語っている。
没落士族のプライドに裏打ちされた他を寄せ付けない強い生き方、没落といってもぎりぎりの士族だから、そこにこだわる一葉の執念を感じるのだが。
その一方で貧しい、というどうしようもない現実、当時のトップハイソに迷い込んでしまった一葉の階層コンプからくる屈折した上流への憧憬と対抗意識。
上等の着物など着られなくても才能があるという自負に裏打ちされたどうどうとした自信、存在感。
年若い女性戸主として母と妹を養わなければならないという重圧、
自らの才能を信じ小説家として筆で食べていこうとするチャレンジ精神には頭が下がる
そして、永遠のテーマ、一葉と男たち、半井桃水と怪しい金貸しとの関係。
桃水との関係はどうだったのだろう?金貸しとの関係は?
一葉はジェンダーの人である。
男によって言い寄られてはじまる恋ではなく、自ら選んでいく女である。
だから、桃水から誘われて、ではなく、絶対、どんなときでも主体は一葉、選ぶのは私、なのではないかと思う。
源氏物語や江戸文学などを読みすぎた一葉が描くのは、男女の自由な関係、社会制度などに縛られない自由な関係だったのではないかと思うのである。
家のための結婚でもなく、男性に寄り添う女の一生ではなく、もっと自由な男女の在り方を書きたかった。
姦通や吉原や貞淑な妻を描きながら、婚姻制度から解放された男女の在り方、金で買われる男女関係が社会システム化した吉原を舞台にしてみたりして、さまざまな男女の関係の本当の姿から自由な男女の在り方を書いてみたかったのである。
それは、女性の生きた姿をどこまでも追求しようた姿であり正真正銘のリアリズムである。
鴎外などは甘ったるくてどうしようもない。マザコンの優等生の立身出世で成功した男の胡散臭さが後ろに透けて見えていやになる。
漱石だって、デレッタントで、一葉のドロドロ感からすれば、あっさりしたものである。
だいたい漱石にでてくる若い女性はマリア様のように偶像化された女性ばかりである。後は、人生終わっているような口うるさい妻みたいな女性。
一葉の女性像はもっと煩悶する女性像である。
行きつ戻りつ、でも、一歩前に踏み出す女性像である。
一歩前に出たいができない、そういう女性たちの願望を物語によって描いて見せた。
それは本当に先鋭的だと思うのである。
一葉ファンが集う。楽しみである。
本郷、菊坂界隈は一葉の香りであふれている。
とくに菊の季節になると一葉を思い出す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1e/22/37b6ca3b403c48d80702c8d473f70916_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/03/59/093cede3b9ba7d1537f1033046cbf4a6_s.jpg)
先日、炭団坂下にある「一葉の井戸」に行ったこともあり、一葉の作品をいくつかあらためて読んでみると、その着眼点の斬新さに驚くのである。
それは、西洋のオペラの世界の一断面に匹敵するようなな物語でもあり、ジェンダーで読むとますますもって先鋭的である。
作品を通して女性の性と身体を語っている。
没落士族のプライドに裏打ちされた他を寄せ付けない強い生き方、没落といってもぎりぎりの士族だから、そこにこだわる一葉の執念を感じるのだが。
その一方で貧しい、というどうしようもない現実、当時のトップハイソに迷い込んでしまった一葉の階層コンプからくる屈折した上流への憧憬と対抗意識。
上等の着物など着られなくても才能があるという自負に裏打ちされたどうどうとした自信、存在感。
年若い女性戸主として母と妹を養わなければならないという重圧、
自らの才能を信じ小説家として筆で食べていこうとするチャレンジ精神には頭が下がる
そして、永遠のテーマ、一葉と男たち、半井桃水と怪しい金貸しとの関係。
桃水との関係はどうだったのだろう?金貸しとの関係は?
一葉はジェンダーの人である。
男によって言い寄られてはじまる恋ではなく、自ら選んでいく女である。
だから、桃水から誘われて、ではなく、絶対、どんなときでも主体は一葉、選ぶのは私、なのではないかと思う。
源氏物語や江戸文学などを読みすぎた一葉が描くのは、男女の自由な関係、社会制度などに縛られない自由な関係だったのではないかと思うのである。
家のための結婚でもなく、男性に寄り添う女の一生ではなく、もっと自由な男女の在り方を書きたかった。
姦通や吉原や貞淑な妻を描きながら、婚姻制度から解放された男女の在り方、金で買われる男女関係が社会システム化した吉原を舞台にしてみたりして、さまざまな男女の関係の本当の姿から自由な男女の在り方を書いてみたかったのである。
それは、女性の生きた姿をどこまでも追求しようた姿であり正真正銘のリアリズムである。
鴎外などは甘ったるくてどうしようもない。マザコンの優等生の立身出世で成功した男の胡散臭さが後ろに透けて見えていやになる。
漱石だって、デレッタントで、一葉のドロドロ感からすれば、あっさりしたものである。
だいたい漱石にでてくる若い女性はマリア様のように偶像化された女性ばかりである。後は、人生終わっているような口うるさい妻みたいな女性。
一葉の女性像はもっと煩悶する女性像である。
行きつ戻りつ、でも、一歩前に踏み出す女性像である。
一歩前に出たいができない、そういう女性たちの願望を物語によって描いて見せた。
それは本当に先鋭的だと思うのである。