3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

もうすぐ一葉忌 樋口一葉を歩く

2013-11-21 16:09:28 | 文学ノート
もうすぐ一葉忌、11.23 毎年、法真寺で法要が行われる。
一葉ファンが集う。楽しみである。

本郷、菊坂界隈は一葉の香りであふれている。
とくに菊の季節になると一葉を思い出す。
 一葉旧居跡、菊坂あたり

 一葉旧居跡、炭団坂下

先日、炭団坂下にある「一葉の井戸」に行ったこともあり、一葉の作品をいくつかあらためて読んでみると、その着眼点の斬新さに驚くのである。
それは、西洋のオペラの世界の一断面に匹敵するようなな物語でもあり、ジェンダーで読むとますますもって先鋭的である。

作品を通して女性の性と身体を語っている。
没落士族のプライドに裏打ちされた他を寄せ付けない強い生き方、没落といってもぎりぎりの士族だから、そこにこだわる一葉の執念を感じるのだが。

その一方で貧しい、というどうしようもない現実、当時のトップハイソに迷い込んでしまった一葉の階層コンプからくる屈折した上流への憧憬と対抗意識。
上等の着物など着られなくても才能があるという自負に裏打ちされたどうどうとした自信、存在感。

年若い女性戸主として母と妹を養わなければならないという重圧、

自らの才能を信じ小説家として筆で食べていこうとするチャレンジ精神には頭が下がる

そして、永遠のテーマ、一葉と男たち、半井桃水と怪しい金貸しとの関係。

桃水との関係はどうだったのだろう?金貸しとの関係は?


一葉はジェンダーの人である。
男によって言い寄られてはじまる恋ではなく、自ら選んでいく女である。

だから、桃水から誘われて、ではなく、絶対、どんなときでも主体は一葉、選ぶのは私、なのではないかと思う。
源氏物語や江戸文学などを読みすぎた一葉が描くのは、男女の自由な関係、社会制度などに縛られない自由な関係だったのではないかと思うのである。

家のための結婚でもなく、男性に寄り添う女の一生ではなく、もっと自由な男女の在り方を書きたかった。

姦通や吉原や貞淑な妻を描きながら、婚姻制度から解放された男女の在り方、金で買われる男女関係が社会システム化した吉原を舞台にしてみたりして、さまざまな男女の関係の本当の姿から自由な男女の在り方を書いてみたかったのである。

それは、女性の生きた姿をどこまでも追求しようた姿であり正真正銘のリアリズムである。

鴎外などは甘ったるくてどうしようもない。マザコンの優等生の立身出世で成功した男の胡散臭さが後ろに透けて見えていやになる。
漱石だって、デレッタントで、一葉のドロドロ感からすれば、あっさりしたものである。
だいたい漱石にでてくる若い女性はマリア様のように偶像化された女性ばかりである。後は、人生終わっているような口うるさい妻みたいな女性。

一葉の女性像はもっと煩悶する女性像である。
行きつ戻りつ、でも、一歩前に踏み出す女性像である。
一歩前に出たいができない、そういう女性たちの願望を物語によって描いて見せた。

それは本当に先鋭的だと思うのである。






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ドリアン助川=明川哲也、孤独を楽しむ(再掲)+α

2013-06-22 14:45:51 | 文学ノート
2011年10月の本欄で、明川哲也について、次のように書いた。

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明川哲也が、朝日新聞の毎週土曜日夕刊で、29歳までの投稿者の悩みに答える 「悩みのレッスン」 というコーナーを受け持っている。かつてNHK番組「つながるテレビ@ヒューマン」に 『哲也の陽はまた昇る』というコーナーがあって、これがとてもおもしろかったので、以来、注目して読んでいる。

朝日新聞の夕刊は投稿対象が29歳までなので、私は投稿の権利がないので残念である。とにかく面白い。明川哲也はドリアン助川という名前でバンドもやっている。生まれながらの吟遊詩人!

10月24日付夕刊、「孤独を楽しむ」だった。
・・・何年か前、ボクはよく自転車を漕いでいた。仕事にあぶれ、自信も失い、消え入りたいような気持ちで多摩川の土手を行ったり来たりしていた。ある日、河原の一面のコスモスがみなこちらを見ていることに気が付いた。いや、見ていなかったのかもしれないが、少なくともその囁きを聞いた気になった。「人間の社会で、今あなたは孤立していますね。でも私たちは、あなたを嫌いません」何万という花が風に揺れながら手を振ってくれていた。「生きていけばいいのですよ」と言ってくれているようだった。・・・。ランボーが、希望と絶望のない交ぜとなった瞳でこちらをじっとみるのは、ボクが孤独である時だけだ。古典の作者がいきいきと蘇り、微笑みかけてくるのは魂が騒がしい時ではない。・・・孤独こそが、力だ。・・・

大衆におもねることはなく、孤独を力に、我が道をゆく詩人明川哲也。
その言葉はさりげないものの、選り抜かれている。気負いもない。文学を読み込み、創り、そして歌ってきたものだけが得られる独自で繊細な文学感覚。
彼の人生案内こそ、若い人に読んでもらいたいものである。

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最近、ドリアン助川は売れているようだ。
「あん」という小説を書いたようである。まだ、読んでいないが、ハンセン病の高齢の女性が出てくる話とのこと。
70歳で老女と表現するところにちょっと違和感があるが、
それでも楽しみにしている。

人は、大震災などの経験から、絆とかともに生きる、とか、そういう、聞こえのよい言葉を多用するようになった。
でも、明川がいうように、たしかに、「・・・ランボーが、希望と絶望のない交ぜとなった瞳でこちらをじっとみるのは、ボクが孤独である時だけだ。古典の作者がいきいきと蘇り、微笑みかけてくるのは魂が騒がしい時ではない。・・・孤独こそが、力だ。・・・」
絶望のなかではじめて希望は見える。

口先だけの絆とか支えあいなんていらない、と、いおう。

孤独に身を置く、そのなかで、みえてくる希望もあることをむしろわれわれは知るべきなのである。

地域から孤立し・・・、それでもいいじゃない。





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山田登世子さんの「月の別れ」日経の文化欄

2012-10-28 17:09:43 | 文学ノート
私は、山田登世子さんのエッセイが大好きである。
いつも年齢をまったく感じさせない官能的なエッセイ。
魅了される。

10.28の日経の文化欄に「月の別れ」というエッセイが掲載されていた。
月をめぐるエッセイ
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きっと私は月見る齢(よわい)に達していたのだろう。三十代、夜は書にいそしむためにあった。恋愛も研究も、大学勤務も、天を忘れたまま過ぎていった。四十になり、夜は物書く時間になった。書物の海に溺れて、月など見もしなかった。

 それから住まいを変えたとき、五十半ばにさしかかっていた。半世紀、じっと私を見ていた月は、時こそ今と恩寵の滴をそそぎ、ついに私を捕えたのである。以来、私は月の囚(とら)われ人となった。時は五月、春と夏のあわいに眺めた月は、おおきく赤くにじんで、ときに悩ましく官能の色にきらめいた。


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月はいつも文学の基本である。
人は月をみつめ、月を歌い、月を愛でる。

私も月をじっと見るそういう年齢に達したのだろうかと思う。
9月30日の台風の夜は十五夜だった。
雨風が気になり、なんとなく、カーテンを開け放ってそのまま眠ってしまった。
夜中にふと、だれかが呼ぶような眩しさを感じ目をさますと、月の光が静かに私の顔面を照らしていたのだった。
静かに静かに降り注ぐ月の光

私はじっとしばらくの間呆然と月の光に照らされながら、言葉もなく不思議な気持ちになった。
冷たく揺らめく心のような月、
それは、けっして弱々しいものではない。
まるで人目を忍び、恋人にあっているような気持ちになった。

私も月を愛し、ものを考える年齢に達したということだろうか。



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野菊の墓-本を読んで泣きたくなったら

2012-09-23 13:38:31 | 文学ノート


金曜日の夕方、花屋の店先に野菊が並んでいた。思わず一鉢買う。
土曜の朝日の高橋睦郎「季をひろう」は「野菊」だった。

野菊といえば、日本人ならだれもが思いつくのが、伊藤左千夫の「野菊の墓」だろう。
筆者も小学校6年ぐらいだったか、ちょうどいまぐらいの季節に読んだ記憶がある。
ボロボロ泣いた。
あまり感動したので、自分もひとつこういう悲しい物語を書いてみたいと思った。
その時構想した物語のあらすじは、次のようなものだったと記憶している。

タイトル:橋
時代背景等:明治後半、地方の田舎町
主な登場人物
  政夫:旧制中学に通う青年、母は再婚して橋の向こうにある医師のもとに嫁いでしまった。
  洋子:政夫の美貌の母、東京の女学校を卒業し、親の決めた結婚に馴染めず、泣く泣く嫁ぐ。政夫を産んだが、その後夫が精神的錯乱となり、実家に戻る。東京の女学校時代に知り合った医師と再婚、4男2女を産む。
  丈吉:洋子の元夫、素封家の生まれだが、精神に異常をきたし廃人となる。
  雄二郎:東京の医学校を出て、田舎で貧しい人のため医療に従事

政夫がすでに嫁いで別の家の人になっている母に会いたくなって、橋を渡る。こっそり母の姿を覗いている。それを雄二郎がみつけて、暖かく迎え入れてやるというはなし。政夫はその後結核になって亡くなってしまうという悲しい物語。遠い親戚の話を題材にしているのだが、これを何代にもわたって書き続けるとおもしろかったかもしれない。

ずっとあとになって、大人になってから、テレビで「野菊の花の君なりき」主演、笠智衆、をみて、やはりボロボロないてしまった。
どうしても欲しくなりDVDを買った。
今日は一つこのDVDで秋の一日を泣いてすごしてみようか。


       


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河野裕子『蝉声』の刊行に寄せて

2011-07-08 09:49:17 | 文学ノート


河野裕子さんの遺歌集『蝉声(せんせい)』(青磁社)が、没後1年を前に刊行された。
悲しいことだ。河野裕子といえば、第1歌集『森のように獣のやうに』だろう。「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」
みずみずしい青春の一瞬をいつまでも残しておきたいと思うとき、詩歌以外の手段を私は思いつかない。

歌人とは死の直前まで歌い続けるものなのだろう。
200首以上が、最後のわずか3週余りの間に詠まれたとのことだ。枕元のティッシュ箱に鉛筆で走り書きされた歌もあったとのこと。
辞世となった歌は「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
平均寿命に照らすとあまりにも早い死だ。心が痛む。


河野裕子は、戦後の女性歌人で好きな歌人の一人である。三人あげよといわれれば次の歌人をあげるだろう。
大西民子。その第1歌集『まぼろしの椅子』(昭31)「かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は」に感激し、いわゆるファンレターを出したことがあるくらいだ。大西民子氏から頂戴した美しい直筆の丁寧なお返事をいつまでも大切にしていた。

それから、道浦母都子。何と言っても学生運動の女性闘士として、恋と闘争を詠んだ『無援の抒情』は素晴らしい。「ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に遭いにゆく」

そして河野裕子。

女性が強固な家父長制のもとで抑圧されていた時代、短歌を通して社会に挑戦し、別離の苦しみを、そして愛と性を自由に表現することによって、青春をみずみずしく歌いあげ、女性の解放をめざした彼女たち。均等法制定25年、男女平等が白々しく聞こえる今日、色褪せることはない。戦前からつながる歌を通してみえてくる男女の関係性を情念の歴史という視点から、いつか問い直してみたい。
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