サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

幸せの残滓

2022年12月01日 | サカタだよ

2022年もやはり、2021年や2020年と同様ろくなことがなかった(さらに悪いことばかり起きた)もんだから、7月の終わりごろ「このままじゃ世の中ヤバイのでは?」と感じ、せめて個人的に少しでもいいことや幸せを感じることがあれば、どんな些末な事柄でもメモしておこう。そうすれば、悪いことばかりでも時々いいことがあったように錯覚できるかも……と思って、心に残ったことを書き溜めてみました。4か月でこれだけです。

 

新島々駅(へんな名前)から乗ったバスみたいな電車の窓から見渡す夕景があの世から戻った瞬間のように美しかった。

 
民芸旅館の一部を喫茶店にした珈琲まるもでブラジルを飲んでいたら西洋音楽が地獄のように美しかった。
 
 
桃狩りなど気が進まなかったが騙されたつもりで1個もいで食べたら天上の果実のごとく美味だったので3つ食べた。
 


 
暦の上ではもう秋だというのに暑い暑い思いをして滝壺の方へと近寄ったら、ほんの束の間だけ冷んやりと涼しかった。
 


 
台風を警戒せよと過剰に報じられた日は朝から晩まで外出の予定だったが、雨が降るのは屋内とか車内にいるときばかりで外に出ると止むから天地人のつながりを強く感じた。
 
 
1時間に1本の路線バスで90分かけて登山口へ移動中、さっきトイレは済ませたのに便意が兆し、これは終点まで保つだろうか? と思案してるとバスが営業所に停車したから下車して用を済ませ、待合所で1時間後のバスを待ちながら本を読む時間が黄金色に光り輝いてまぶしかった。
 


 
左足首をひねりそうになった瞬間、左脚で踏ん張ると捻挫するので反対側の右脚を地面に踏み下ろし、浮いた左足で普通に着地することができた。先天的に備わる本能のおかげか後天的に習得した反射のおかげか、どっちにしてもケガしなくてよかったと人気のない山道で思った。
 
 
滝を眺める人々が当たり前のように男女一対で寄り添ってるのを後ろからジッと眺めながら、こうでなきゃいけないわけじゃないし実際どうなのか知る術もないけど、そこに一つずつ幸せが介在してる可能性について想像をめぐらせた。
 


 
用事がはやく片づいたので観るつもりのなかった映画のチケットをネットで予約して入場開始までそこらのカフェで本を読んでいるとき幸せを感じた。
 
 
夜行バスで朝5時ごろ登山口に着いたので仕方なく2時間半あまり歩いて山小屋でカレー食べたら昭和の味が懐かしく、そのあと人が増えるにつれて空いてる道をのびのび歩けた朝の時間が幸福だったと思えてきた。
 
 
遅めだけど昼ごはんを食べないと夜までもたないから飛び込んだそばやで頼んだかき揚げそばのかき揚げがゴボウ入りで思いがけず幸せにつつまれた。
 
 
観たい映画の公開終了日、最終の上映が11:30〜25:00なので終電がなくなり、タイミングが合えば視聴したいと思ってた深夜アニメの新番組の放送スタートが25:45だから間に合わないと思ったけど雨なので濡れたくなくてタクシー拾って帰宅してみると意外に早く帰宅できて、映画の最終上映も深夜アニメの初回放送も両方うまいこと鑑賞できてよかった。
 
 
山を目指して住宅や田畑の脇を歩く途中いろいろな花が咲いていて、後から思い出すと山登りよりも手前の道を歩いてる時のほうが楽しかった。
 


 
日本の社会はおそらく取り返しがつかないにもかかわらず今日は何か体調よかった。
 
 
寿司もそばも出すような店は寿司もそばも二流か三流だけど近隣のビール工場で生産してる生ビールを大ジョッキで飲みながらそばを手繰ったら生ビールが一流のように感じた。
 
 
うちの家族は長風呂なので夜ゆっくり入ってもらうため追い出したりせず自分は朝シャワーで済ませがちだけど留守の晩にチャンスと思って入浴したら気持ちよかった。家で風呂に入れるなんて幸せ。
 
 
箸でハンバーグ食べつつ、添え物のトウモロコシやグリンピースを1粒ずつ箸の先でつまんで口に運びながら、こんなことが普通にできるのは全人類の1/3たらずの箸文化の人間のなかでも少数派だろうと考えたら、おだやかな気持ちになった。
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