goo blog サービス終了のお知らせ 

京恋し

頑張った時のご褒美は京都。ずっと憧れ。

長浜再訪

2012-12-04 22:44:34 | 
昨年に続き再度の長浜まち歩き。

   

        
        「秀吉が作ったまち」が長浜のかんむり。マンホールの蓋も秀吉のひょうたん。

              
              通り沿いには店舗ごとにステンドグラスの照明灯が並んでいる。
              灯がともったらきれいだろうなあ。

        
        「ラッテンベルク館」 去年、ガラスのクリスマスリースを買った店。
        とても繊細なガラス製品が並んでいて、また、ゆっくり見てみたかったので。
        今年は星がきらめいているようなビールグラスを2つ買った。

        
        「ラッテンベルク館」の奥の中庭に見事な紅葉、さらに右手奥は美術館とカフェテラス。

        
        「オステリア・ヴェリータ」は100年を超える古い家を利用したイタリアンの店。

              
              「毛利志満」は近江牛の名店。次回は!

        
        黒壁6号館の「青い鳥」のウインドウ。ガラス製品がいっぱい並んでキラキラ。
        地ビールを扱っているコーナーがあり、今年も4本セットを買い込んだ。

              
              メインストリートとも言うべき大手門通り。アーケードの
              始まる門は曳山をかたどっている。
        
              黒壁スクエアーのほとんどのお店を覗いてしまった位、
              ゆっくり見て回った感がある。でもなんか楽しい。
              今度来ることがあったら、あちこちで開催されている
              ガラスの製作体験をしてみたい。                 

ポルトガルの料理とお菓子の総括

2012-11-21 21:36:07 | 
ポルトガルの味は馴染みのあるような違和感のない味

      
      バカリャウという干しダラを玉ねぎと炒め、千切りのフライドポテトとあわせて卵で
      とじたものだそうです。ピラフかと思った!ライスが入っているように見える(入ってない!)
      あっさりしていて美味しい。

      
      オリーブは日本料理の漬物的な感じでテーブルごとに。これは美味しい~!

      
      サルディーニャス・アサーダス
      鰯の塩焼きです。大きくない鰯だけれどボンとお皿に3尾づつ 私、魚一尾ごとを食べるの
      ヘタクソだし… 頭と骨一本だけ残してきれ~いに3尾ともたいらげた御仁もいました。
      それにしても素朴というかワイルドなディナー。

      
      タコのリゾット
      大きなお皿から一人ひとり取り分けてくれます。食べ終わる頃、もっと食べるか?と継ぎ足しに
      きます。ほとんどの人がおかわりしました。
      どこのレストランでももっといらないか?と回ってきます。あるお店では日本語で「sukosiィ?」
      って聞きながら。

      
      唐辛子のソース。どこでも出てきます。ご随意にと。その名も「ピリピリ(piri piri sauce)」
      ちょっと足すと美味しい、とみんな言ってましたが私はゴメンナサイ。

      
      イカのソテー。塩味でさっぱりとして美味しかった。

      
      アサリと豚肉とポテトの炒め。不思議な取り合わせだと思うけれど、ポルトガルでは
      定番的な料理のようです。アサリのだしが効いていて美味しいけど。
      
      
      ポルトガルはお菓子も豊富。これは日本ではエッグタルトといって、一時ブームになった。
      「パステル・デ・ナタ」という定番中の定番のお菓子。朝食のビュッフェに置いてあるホテルも
      あったし、デザートで出たこともあった。

      
      
      アーモンドプードルで焼いたクッキーだと思うけれど、ナッツ類がふんだんに入っている。
      どこでも似たようなクッキーを売っているけれど、ガイドさんがここの店が美味しいという。
      が試食がなかったので、決心つかず。なぜならかなり大きな箱だったから。
      日本に帰ってきてから食べたら美味しかった!

      
      そして、絶対買ってこようと思っていたのがコンペイトウ。金平糖はポルトガルから伝わってきた
      ものですもの、元祖を食べてみたいと思っていた。でも、今はイースターに作るお菓子だそうで、
      どこにでも常に売っているものではないという  コインブラ(大学の街)で見つけたので
      大量に仕入れてきた。その名も「コンフェイト」、お味も金平糖の原型そのままという感じ。

      ポルトガルから日本に入ってきたお菓子はたくさんあります。トルタ=トルテ、ボーロは日本でも
      ボーロですネ、カスドース=カステラ、などなど。その原型の形が今でも
ポルトガルには
      存在していて、日常食べられているところがすごい。一様にすごく甘い!

      おしゃれな料理ではなかったけれど日本人には親しみのある味つけでした。
            

ポルトガルのりんご

2012-11-20 22:09:59 | 
ポルトガルでこんなにリンゴが食べられるとは

      
      旅の2泊目、朝食はホテルのビュッフェ。ツアーメンバーのおじさんが、リンゴが美味しいよ、
      と言うので取ってみた。ウインナを切ったナイフで少々苦労して皮をむき、食べてみたところ
      ん、美味しい~ 以後、リンゴは必ず取ることにしました。

      
      ファティマのランチ、修道院が経営 するレストラン。修道院の食堂を開放して食事を
      提供しているわけだけど、そのデザートがこれ ワイルドだろ~
      でもどの果物も美味しかった

      
      ナザレのディナーを食べたレストランのデザートは焼きリンゴ。ポルトガルにも焼きリンゴが
      あるんだぁ  なんだか懐かしい。もう紅玉が出ている頃だろうなあ、東京に帰ったら
      紅玉で焼きリンゴをつくろ~、なんて思いながら…。

      
      そしてナザレのあくる朝の食事。バナナも登場、うれしい!

      
      カルダス・ダ・ライーニャの朝市には、リンゴがいっぱい。日本のリンゴみたいに美人揃いでは
      ありません。少し小さめ、傷もあるし、形もいびつだったり、でもとても健康で素朴な村娘と
      いうイメージ。そしてリンゴ本来の甘さでどれも美味しいのです。

            
            ポルトガル・ラスト・リンゴ
            帰る日、ホテルを出発したのは早朝4時50分。朝食はこれらと
            瓶入りのジュースとヨーグルトを紙バッグに入れて持たせてくれた。
            ヨーグルトとジュースは部屋でパッパと食べて飲んでしまった。
            水分は(ヨーグルトも水分なんですって)飛行機に持ち込めないから。

      
      イギリスのヒースローで乗り継いで一路成田へ。サンドイッチはポツポツ食べましたが、
      リンゴは東京まで、はるばる長旅をしてきた。
      次の日の朝、ポルトガルをしのんで、食卓に並びました。器量は悪いけど、やっぱり
      美味しいリンゴでした。

      ポルトガルは果物も野菜も豊富で、毎日ビタミンをたっぷり摂取。想定外の喜びでした。
      今まで海外でフレッシュな果物をふんだんに食べたことなかったので。                          

ポルトガル No.10 シントラ

2012-11-19 21:59:37 | 
シントラはリスボンに隣接する街、王宮を中心にヨーロッパ各国の貴族たちがこぞって別荘を建てた所。

      
      シントラ宮殿(王宮)
      14世紀、ジョアン1世が建てた宮殿。夏の離宮として使っていた。2本の巨大なコーンのような
      煙突は街のどこからも目に入る。これは調理場の煙突だそうだ。

      
      ぺナ宮殿には麓の城門から送迎バスに乗る。このバス、昇降口にはドアがない!
      カーブ続きの細い急勾配の道なのに

      
      海抜500mの山の上、ジェロニモス派の修道院の廃墟を改築して、フェルナンド2世が建てた。

      
      ゴシック、イスラム、マヌエル、ルネッサンスの様式がごちゃ混ぜになった、統一感のない建物。
      内装や調度品は手が込んでおり、極上食器類はかなり盗難にあっているとか。

      
      城門の前にさざんか。不思議な感じ。

            
            案内&お土産物販売所の前にはアジサイ。ヨーロッパでは秋が
            アジサイの季節だそうです。

            
            2階のテラス通路からの入り口。

            
            入り口を通り抜けると右手にまた雰囲気の違う建物に登っていく。

            
            このテラスからは眼下はるかにシンドラの街が見下ろせる。

      
      宮殿から目の下に見えるムーアの城砦。8~9世紀、ムーア人によって建てられたもの。
      改修されたこともあったが、今は跡を残すのみの廃墟となっている。

      シントラの街は立派な家が立ち並び、水道がひかれた美しい街ということだが、リスボン観光の
      ついでなので、ゆっくり街歩きができず残念。
      リスボンに戻って、明朝はものすごく早く出発しなければならず、リスボン最後の夕食もそこそこに
      荷造りとなりました。
                   

ポルトガル No.9 リスボン

2012-11-18 23:57:37 | 

首都・リスボンは15世紀、大航海時代に繁栄を極めた。7つの丘の街と呼ばれている坂の街。

      
      べレンの塔。
      テージョ川を行き交う船の監視と河口を守る要塞として、マヌエル一世の命により建てられた。
      貴婦人がドレスを広げているような姿を「テージョ川の貴婦人」と称したのは司馬遼太郎。

            
            発見のモニュメント。
            エンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた。
            海側から見ろと大海に乗り出す勇壮な帆船。乗っているのは
            エンリケ王子を先頭に大航海時代を切り開いた偉人達。

      
      ジェロニモス修道院。
      エンリケ王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、航海の安全を祈願して1502年から
      1世紀をかけて建てられた。

            
            マヌエル様式の壮麗な建物は大航海時代の栄華をしのばせる。
            
      
      中庭を囲む55m四方の回廊。マヌエル様式の最高傑作と言われている。

      
      バスで移動中、衛兵の交代儀式を窓から垣間見られた。

            
            丘の上に見えるのはサン・ジョルジェ城。
            1500年頃、ローマ人によって建てられた要塞。

            
            サンタ・ジェスタのエレベーター。
            街の大通りの真ん中に突如エレベーターが。展望台になっているが、
            反対側の高台にでられるとか!?

            
            アルファマ地区は「リスボンの下町」と呼ばれ、イスラムの
            影響を色濃く残している周辺。細い路地がおおい。この奥に
            美味しいレストランがあるとか。
            
      
      4月25日橋。
      1966年に開通した2277mのつり橋。1974年4月25日、クーデターにより新政府が誕生。
      「リスボンの春」と称されるこの革命を記念してそれまでのサラザール橋を4月25日橋と改名した。

      
      ローマ時代の水道橋も立派に残っています。

      大きな街は初めての時は、バスでぐるぐる移動されると位置関係がわからなくなる。
      地図と比べてみても覚えが無かったり…。で、ただの観光名所案内的になってしまった
                                

ポルトガル No.8 ロカ岬&カスカイス

2012-11-17 22:28:04 | 
ロカ岬はユーラシア大陸最西端の岬です。

         

            
            ポルトガルの詩人・ルイス・デ・カモンイスの詩の一節「ここに地 終り、
            海 始まる」と刻まれた石碑。バックはロカ岬灯台。

      
      岬の果ては大西洋。崖がドスンと海に落ち込んで地の果てを感じさせる。

      
      大西洋の荒波が初めに打ち付ける地ということかァ、風があまりなく、珍しいと言われた。

             
             
             希望すれば観光案内所で最西端到達証明書を書いてもらえます。
             紙一枚のこのタイプは5ユーロ。見開きの立派な証明書は10ユーロ。
             名前をきれいな飾り文字ですらすらと書き入れてくれました。
             裏には9カ国の言葉に翻訳された証明文が。ちゃんと日本語もありました。

      
      こちらはコスタ・デル・ソルの西端の街・カスカイス。今はおしゃれなリゾート地に。
      海食洞の「地獄の口」が観光名所。

      
      大西洋の荒波が断崖を浸食、大きな洞穴が海水を飲み込んでは吐き出す、確かに地獄の口みたい。

      
      海岸沿いを走って一路リスボンへ。カスカイスの港を是非見なさいと、バスの運転手さんが車を
      停めてくれた。リスボンの市内は混むといやだからそれまではせかされていたのに。
      
      
      運転手さんご推薦の港はたしかにきれい! 

      
      街の中を走っているときに、運転手さんがまたもや言う。「アレがカジノだよ!」って。
      (ポルトガル語だから、添乗員さんが通訳してくれたわけで あわてて窓越しにパチリ)

      夕焼け空が真っ赤に染まる頃、とうとう最終観光地・リスボンに入りました。    
            

ポルトガル No.7 オビドス

2012-11-16 21:24:31 | 
オビドスは14世紀に作られた丘の上の町、「谷間の真珠」と呼ばれている美しい町です。

      
      リスボンから北へ80k、バスのフロントガラスの中に、城壁に囲まれた町が見えてきました。

      
      正面の城壁が西の門。トンネルをくぐると町のメインストリートへ続く。
      通りの上には豆電球が張り巡らされて、クリスマスのイルミネーション準備です。

      
      門のトンネルの中には美しいアズレージョが施されている。トンネルの中で
      おばあさんがレース編みをしながら自作のレースを並べていた。

      
      通りの両側にはおみやげ物屋さんやレストランが並ぶ。

      
      幹から分かれる枝のような道の先は白い壁の住宅街。

      
      とあるレストランの駐車場 ちいさな車しか入らないヨ。番猫ちゃんかな?
      どこの国でも猫は車の屋根が好き。お、見ればマツダの車だ!

            
            
            ジンジャというさくらんぼを漬けたリキュールをチョコレートの
            ちっちゃなカップで飲ませてくれる。1カップ1ユーロ。
            カップは勿論食べられます。
            (私たちが近くの店に入ってお土産を物色している間にOTTOは
            一人でちゃっかり飲んでました。美味しかったって。
            早く言ってよ 飲んでみたかったのに…

      
      陶器を売っているお土産物屋さん。ディスプレイの仕方がかわいい。

            
            街の中はお花がいっぱい。ブーゲンビリヤやランタナが白い壁によく映る。

      
      サンタ・マリア教会。中に見事なアズレージョがあります。

      
      こんな風に城壁が町を取り囲んでいます。

      
      幅1m無いであろう城壁の上を歩いてみた。かなりの高さがある。大半の人たちが内心コワ
      思いつつ(思わないってか)果敢に挑戦。

      オビドスはドン・ディニス王が1282年、イサベラ王妃と結婚するときに、王妃にこの村を
      プレゼントしたのだという。以来「Wedding Presento Town 」として、1834年まで代々の
      王妃の直轄地となり、「王妃の村」とも呼ばれていた。
      中世の面影の残る素朴で美しい町でした。
                                  

ポルトガル No.6 カルダス・ダ・ライーニャ

2012-11-15 23:15:38 | 
「王妃の温泉」と言う意味の名の街です。

      
      この村の農民達がが村から湧き出るお湯に入って、体の悪いところを治していることを知り、
      王妃は自ら実行してしたところ足の痛みが治ったという。それで、この地に温泉病院を建て、
      多くの人が温泉治療を受けられるようにしたというのが、村の名の起こり。
      多分この像がその王妃、レオノール・デ・ヴィゼウでは…。

      
      街の中心、レプブリカ広場の朝市。

      
      この朝市は果物広場とも呼ばれるくらい、果物が多く並べられている。
      わ、柿!マンゴーもある、キウイ、リンゴ、オレンジ、ブドウ、洋ナシ、ざくろ、も!

      
      
      わ、オリーブ。いろんなオリーブが。ピクルスになっているのも。

            
            トマト、それもプチ、へたが付いているなんて、新鮮!
            左側の箱の中はイチジク。

      
      近隣の農家から朝採りの果物や野菜が並べられているが、日本と変わらない。

      
      カボチャ。わ、ピーナッツカボチャもある~!買って帰りたい(ムリ

            
            わ、これ、うずら豆じゃない

      
      花もアレンジして売られている。このままポンと置けばいいから便利な時もあるネ。プレゼント用かな?
      勿論切花もある。菊もいっぱいあったり、日本の市場と変わりないけれど、値段は超安い。
      み~んな買いたくなってしまうくらい。

      ちなみに、カルダス・ダ・ライーニャと言えば、ボルダロ・ピニェイロ社の陶器でも有名。
      キャベツの器、目にしたことがある人は多いと思うけど。でも、全然寄る気配もなかったけど。
      

ポルトガル No.5 ナザレ

2012-11-14 20:55:31 | 
ナザレは特に楽しみにしていました。
パレスチナのナザレから、ある聖職者が聖母マリア像を持ち込んだことから、パレスチナと同じ
ナザレの名がつけられたとか。

      
      ここは丘の上の展望台、断崖の上です。旗の立っている海に突き出した展望台から下を覗くと…

      
      左手は町の家並み。

      
      右手には白いレースのような波残りに縁取られた砂浜と海。

      
      絵葉書のように美しいナザレの町です。今は人気のリゾート地となりました。
      コスタ・デ・プラタ(銀の海岸)と呼ばれる優美な海岸です。

      
      あくる朝は早く起きて散歩。なんだか懐かしいような砂浜の光景、今は誰もいない海だけど、
      夏はパラソルが立ち並び、海水浴客でにぎわう海辺です。

      
      海岸からメイン道路のソウダ・オリベイラ広場。レストランやカフェで夜もにぎわっていた広場、
      まだ眠りから目覚めていません。

            
            ナザレの町は海辺のプライア地区、北側の丘の上がシティオ地区、
            プライア地区の南東の斜面がぺデレネイラ地区と分かれています。
            海岸地区から丘の上にはケーブルカーで上ります。観光用ではなく
            住民の足だそうです。もう少し早く来て乗ってみればよかった。
            上って降りると30分かかるとか。ぎりぎり?かなと諦めた。

        
        その代わり少し坂道を登ってぶらぶら。おしゃれな家、屋根の△の頂点にカモメ。

        
        このあたりは漁師さんの家が多いそうです。細い坂道の向こうに海。

        
        ん、cine teatro って、映画館かな?

        
        「カーザ・オ・サントス」って、何かに書いてあった。あさりや海老をつまみながら
        ワインやビールが飲めるリーズナブルで美味しい店だって。

        
        ここはレストランね、かわいい店。

        
        ホテルに帰って朝ごはん。明るい日差しがまぶしいダイニングでカモメに見守られて、
        パンを食べてお茶を飲んで、気持ちのいい朝ごはん。

        美しい町と海は期待以上。このコスタ・デ・プラタ沿いに50Kほど離れた所にサンタ・クルスと
        いう漁師町があります。
        壇一雄さんが世界を放浪しながら1年半住んで、「火宅の人」の執筆をしたと言う町です。
        ナザレより素朴な漁村だそうですが、見てみたかった。
                  

ポルトガル No.4 コインブラ&ファティマ

2012-11-13 22:04:09 | 
コインブラは1139~1255年までポルトガルの首都であった街、そして学生の街です。

      
      1290年、ディニス王によってコインブラ大学が設立された。コインブラ大学はヨーロッパで
      最も古い大学のひとつ、小高くなった丘の上に見える塔と建物群が大学です。

      
      医学部だったか文学部だったか…多分医学部

            
            鉄の門。ここをくぐって中庭へ。

      
      コインブラ大学の学生であるステイタスのマント。じつはパンフレット売りのアルバイトさん。
      (ポルトで工場見学をしたサンデマンのトレードマークのマントはコインブラ大学のマント
       なんだそうです)

            
            旧校舎(現在も使われています)階段を上った先の廊下はラテン回廊と
            呼ばれている。ここから中はラテン語しか使えなかったとか。
            授業はラテン語ですから。高い塔は時計塔。授業の始まりをこの鐘で
            知らせていたのだそうです。

            この左手並びに世界一美しいと言われている図書館がある。なのに
            見学する時間なし

      
      大学からは勝手に降りて行って、この広場に集合、20分ほどのトイレタイムあり。
      私たちはこの前にあるカフェでまた お茶を飲んだ。堂々とトイレを借りるためです。

      
      帰り道で見つけたGパン屋さん

さて、午後はファティマという町に。
  ファティマは聖母マリアが現れ、予言をして奇跡を起こしたことをカトリック教会が公認したことから、
  一躍有名になり、カトリックの聖地となった村。第一次世界大戦中のことです。

      
      聖母マリアに捧げるために建造されたバジリカ。前の広場には30万人が収容できるそうです。
      熱心な信者は膝をついて歩いてお参りするとか。実際に膝当てをして膝で歩いている人を
      何人も見かけました。

            
            この木何の木、気になる木
            コルクの木です。初めて見ました。太い幹の下の部分、コルク質の
            皮を剥いだ姿です。剥いだ幹には7の数字が。2007年に剥いだ
            と言う意味。コルクは10年くらいで再生するそうで、剥いだ年を
            記しておくのだそうです。
            オリーブ、小麦、ワインと並んで生産量の多いコルクです。
            ちなみに日本のワインのコルク栓の80%がポルトガル産だそうです。
            
            薄い皮状にしたコルクのバッグもさまざまたくさんありました。
            コルクのブレスレットを買いました。

            コインブラもファティマも知らない名前でした。古い歴史があるんですねえ。
            そして宗教っていろんな意味で凄い、と感じた。