情報化時代の昨今は、日常「カウンセリング」と言う言葉を見たり聞いたりすることが実に多い。なんのカウンセリング?と言う人も珍しくない。カウンセリングを受けたいと思い立ったとき、料金が決め手になっているようだ。うなづける。それ以外選びようがないであろうから。長年カウンセリングに学ばせていただいてきて、私の出会った師で有難かったと今しみじみ想う。奥深さと限りなさが、カウンセリングのいのちなのだから。しかし、行き詰まり苦しみに耐えられないような身になっているとき、カウンセリングと名付けられているものに、違いがあろうとは全く分かるはずもない。やってみて気づかせていただいたカウンセリングとはの意味。単なる方法・知識・観念に陥ったまま、その陥っているわが身のところに気付けずにやっているカウンセリングのなんと多いことか。そこでは人間は育まれやしない。その方法から抜け出せる人間は、徹底してやってみて限界に実感させていただけたときだ。実感になったら道はおのずと開かれてゆける。方法・手段に終始しているところで関わられては、失礼だ。意図的に関わられて人間は、救われてゆけないようになっている。そこに気付かせていただけたのは、その人間であった。その人間を、師・カウンセラーと私は呼んでいる。
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