新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

涙を聞く

2016-11-10 07:29:10 | 私の声
 「涙が聞こえてきた」とある方が語った後、聞いていたもう独りの方がとどけられていたことばだった。私にはなかったことばだった。感動になっていた。語っているうちに涙される方に、しばしば出会ってきていた。これまではその方の涙は、私の眼に写っていたこの身だったなぁ・・・、このとき気づかせていただいたことばだった。嬉しさ・豊かさがいただけた。語り終えたその方の乾いていた目は、涙に迎えられてゆかれたようだった。私の目に涙が見えた。涙はことばを求め・ことばは涙を求めていたのであろうか。語ったその方・聞かせていただいていたこの身ともどもに、水分に包まれていた。

関係に学ぶ関係

2016-11-05 11:27:51 | 私の声
 「『このように言いましたよね』と言ったら、相手の方の雲行きが変わったんです。『私はこのように聞いたんですが・・・』と言ったら、言いやすかったんです。」と、過日語らいの場で参会されていたお独りに聞かせていただいた。深くうなづけた。その体験こそ関係の在りようを、改めて指し示してくれていた。そのことばに事実が事実として、その方に顕かになったようだ。日常は、「言った・言ったでしょ」で明け暮れていると言えよう。当たり前になっていて、なんの疑いもなく。聞いた自分が存在していないことになってしまっている。語らいの場では、自分の使っていることばに、聞かせていただける人間になってゆけるから有難い。すでに先人は「如是我聞」と遺してくださっている。私たちは人間関係の根本になっている、大いなるルールに気が付けずにいるから、悲劇が絶えない。殺し合いが。共々が尊重し合える・生かされ合う学び合いのお知らせ→12月6日(火)10:30~15:15 上越市民プラザで。詳細は025-230-5320(新潟カウンセリング研修センター)

紫は秋の色

2016-11-02 09:03:54 | 私の声
 紫式部の実に野紺菊・フジバカマにホトトギスとシュウメイギクが、秋の陽射しに遊んでいる。草木の葉は力が脱け、赤く色づけないまんまのトマト、全身を黄ばませて根元から倒れている茗荷、庭はホッと一息ついているように見える。この季節には赤い花や実を、目に止まるそばに無性に置いておきたくなるのだ。これから年賀状を戴きに郵便局へでかけてくる。どんなことばが私にやってきて、賀状でお届けさせていただけるかと、ワクワク・ドキドキになっている。届けさせていただける人さまがいてくださるから・・・・・・・。

高貴高麗者

2016-11-01 07:40:16 | 私の声
 「75歳になったんです。こうきこうれいしゃになりました。高貴高麗と書きます。」と研修会の場に参会している方が、ご自分のところを声にされた。。ほーうと感じ入り、すっかり気に入ってしまった。これまで聞きなれてきた年齢から表されている後期高齢者のことばは、なんと殺風景なことばなんだかと思えた。後期高齢者に関わらず、どの方にもどの方にも言えるし、そしてこの私にも「高貴高麗者」と。マスコミでもこのこのことばが使われたらいいなぁ・・・世の空気が変わっていくに違いない。もともとは、独り・独りは「高貴高麗」なんだから。すっかり忘れ果ててしまっているから、悲劇が絶えないのだ。「人間になるセミナー」の学び合いで、私にいただけたことばでした。 「語らい・育まれ合い」の会のお知らせ→11月4日(金)上越市民プラザで10時30分~15時15分  詳細は025-230-5320(新潟カウンセリング研修センターへ)