新潟カウンセリング研修センター

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「鬼は外・福は内」 で 真の和になれるか

2015-02-10 09:30:17 | 私の声
 節分そして立春のことばを聞くと、ホッと感が訪れる。昨日の冬が今日の春に変わるのではなかろう。冬は春に迎えられ、春に摂め取られてゆく冬なのでありましょう。陽の光・空気・虫や草花に感じさせてもらえている季節の移ろいである。一年に4回ある節分だが、冬から春へのときにだけ生活の中で取り上げられているのは、春を待つ思いからか、と。
 「鬼は外・福は内」は、毎年このときにテレビの映像等を通して聞こえてくる。学校では行事化のようになされていたことが、思い出されてくる。鬼に見立てた相手やことばに対して、おもしろそうに豆をぶつけて追いやる情景が。「鬼は外・福は内」ということばの相(すがた)を、表面的に捉えてしまっている感は否めない。その後味の虚しさに語らせていただこう。
 教師が保護者が全ての人間が、「鬼は外・福は内」のことばに立ち止まり、このことばに託されて在る大いなる意図に気付けたら・・・・・・・。現に人間と人間の悲劇になっている関係が見えてくる。よく聞かせていただくんだよ!と、しきりに呼びかけてくれていることばだ。「摂取不捨・自利利他」「相手のためにならない私のためはない」「かけがえのないあなた・私」は、師に聞かせていただき私をして質させていただいている。自分が気に入る・気に入らないレベルで、邪魔に思っているものを追いやれば解決でもするかのような思い込みが見える。真の平和は、敵を作ったり味方を作ったりのようなありようのところには訪れやしないことに気が付かなければならない。肉眼に見える・見えないところに破壊が興っている現実。学び合い・分かち合い・育まれ合いを、いつだっていのちは求め続けているのだから、いのちの声に順おう。
 2月中旬 東日本大震災の被災地に足を運ばせていただく。そのお独りの肉声に分かち合わせていただきたい・真の平和に値遇(であ)わせていただきたい一念に。