脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

責任

2024年06月30日 | ひとりごと
子育てにはカネが掛かる。
こどもにカネの心配をさせないのも努め(努力)だと思うが、厳しい世の中であり、事情を理解してもらうのも務め(義務)だと思う。

私は、実家が貧乏だと思っていた。
理由は親の発言である。見習うところは一つも無い。
親に対して無礼だと言う人もいるだろうが、息子だから言える。
私の親はバカだ。

これは「ウケ狙いやイジリ」と「イジメ」の差が分からないのに似ている。
自分では面白いと思っている事が、相手には苦痛という事を「理解できない」のである。

親の発言に戻るが、こどもの頃、夏休みの課題か何かで、給料日やボーナスなどを調べる事があった。
母に聞くと「ウチは給料無いから」と笑いながら答えた。
今なら自営業に給料がない事は理解できるが、小学生では理解できない。
「ラーメン屋の息子はタダでラーメンが食べられる」と思っている程度である。
だから、給料が無い=収入が無いと考えた。
借金しているとは言わないが、物々交換みたいな形なのかと思った。
昭和の時代、お下がりは珍しく無かったが、「ウチはカネが無いから買えないのだ」と本気で思っていた。

ある時、支払い場面に遭遇した。
工務店の社長が大金を持って支払いに来たのだ。
父が集金に来ないので、わざわざ持ってきてくれたのだ。

目もくらむ大金。札束である。
貧乏だと思っていたのは吹き飛んだのだが、直後、母は「これは全部持っていかれる」と言った。
同じ日に問屋、下請けの業者が集金に来た。
まとまった金額を渡しているのが見えた。
「全部持っていかれる」を信じた私は悲しくなった。
本当にゼロになると思ったのだ。

時が過ぎ、近所にオモチャ工場ができた。
電柱に求人広告が貼られていて「月給20万」と書いてあった。
月給20万の価値はイマイチ分からなかったが、父に話すと「2万のまちがいだろ(ゼロを数え間違えたのだろ)」と言われた。
何度数え直しても20万である。
すると「それなら俺(父)が働きたいくらいだ」と言った。
父は揶揄っただけかもしれないが、私は「ウチは月給20万無いのだ」と理解した。

だから貧乏が染み付いている。今でも、この感覚は無くならない。
質素倹約ではない。「考え方が貧しい」のだ。
自由に選ぶのではなく、カネが掛からない方法を選ぶ。
効率や将来性など関係無い。

悲しかったのは、実際にはカネがあったという事実だ。
なぜ、わざわざ「無い」を刷り込んだのか。
これは「ウケ狙い」に近い感覚で、特に何も考えていなかったように感じる。
発言が、こどもにどんな影響があるか考えていないのだ。

それもあって、私は大学進学など考えもしなかった。
カネだけが理由では無いが「選択肢に入っていなかった」のではなく「選択肢に入れる事ができなかった」のが正しいと、今なら理解できる。
そう、当時は「自分の意思で選ばなかった」と思っていたが、歳を重ね、親の立場になってみて「そういう方向に育てられた」と気づいたのだ。

幸い、今の人生は幸せだと思っている。
ただ、これは結果論である。
高卒で良かったとか、貧乏な考え方で良かったという、育てられ方の賜物では無いと思う。
もし、何かしら不幸を感じていたら、親の育て方を恨んだかもしれない。

苦労もしたが、ある程度の余裕を生み出せるようになっている。
こどもには「ウチは人並みよりは裕福だ」と言っている(これが正しいかは分からない)
カネの心配せず、自分の好きな道を選んで欲しい。それだけが願いであり、責任である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2024年 上半期の売上と振り返り | トップ | 焦っても仕方ない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ひとりごと」カテゴリの最新記事