ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

イーゴリ・オイストラフ&ザンデルリング  ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2009-08-27 | CDの試聴記
数週間にわたって準備してきた年金セミナーが、昨日無事終わった。
いままでで最も多くのお客様が来られたことと、初めてのテーマだったこともあって、さすがに講演前は少々緊張したが、幸い好評裏に終えることができてほっと一息といったところ。
年金の問題集の改訂作業も数日前に終わったし、なんだか急に肩の荷が下りた感じだ。

頭を整理したり、ちょっと根を詰めた作業が続いたので、バッハを聴いている時間がとても多かったが、そんな中でふと気分転換のつもりで聴いてみて、とても感銘を受けたのがこのディスク。
「ベルリン交響楽団 記念BOX~ザンデルリングの最後の演奏会 完全収録~」と題された5枚組のボックスセットの1枚で、何年も前に買っていながら聴いたのは今回が初めて。
他の4枚は一度ならず聴いたのに、なんとこのディスクだけ聴いていなかった・・・

やっぱり、オイストラフはオイストラフでも、ソリストが息子のイーゴリだったことが原因かなあ。
ダヴィッドが弾いていたら、たぶんこのボックスを開けて真っ先に聴いただろう。
しかし、今回聴いてみて、私は自分の不明を恥じた。
父ダヴィッドがロジェストヴェンスキーと共演したBBCの名盤と比べても、決して見劣りしない演奏だ。
演奏のスタイルは随分違う。父ダヴィッドの温かさ・豊潤さに代わって、息子イーゴリには真摯でストレートな感性の閃きを感じる。
しかし、決して冷たくないところがいい。

このコンチェルトのクライマックスは、間違いなく3楽章のパッサカリアにあるのだけれど、あのインディージョーンズにでも出てきそうな冒頭のテーマとコラール風の管楽合奏に続いて、第2変奏でソロヴァイオリンがはいってくるときの表情が儚いくらい美しい。すぐに勇気を出して弾き進めていくものの、どこか寂しげだ。無常感を感じさせるといってもいいかもしれない。
この楽章は最後に難所のカデンツァが置かれているのだが、「さあカデンツァだ。一丁行くか」というよりも、それまで連れ添ってきた仲間(オーケストラ)が一人また一人といなくなって、「とうとう最後に一人ぽっちになってしまったよ」とでも呟いているように聴こえる。
腕に覚えのあるヴァイオリニストが、無音状態さえ武器にしながら自己を強烈にアピールするのとは対照的だ。
しかし、そこからイーゴリが自分の心を奮い立たせ、緊張感を高めながら次第に高揚した音楽を創り上げていくさまは、まさに圧巻。
そして終曲は、そのままの高いテンションで一気呵成にエンディングまで持っていく。
素晴らしいショスタコーヴィチだと思った。
もちろん、ザンデルリングの重厚でスケールの大きな伴奏も見逃せない。
録音も素晴らしいし、こんな演奏が遺されていたのかと思うと、胸が熱くなる。

さあ、今夜は松本でサイトウキネンのブリテンを聴く。
ちょっと遅い夏休みになったけど、実はこのフェスティバルを観るために遅くしたようなものなので、こちらも本当に楽しみだ。

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
<演奏>
■I.オイストラフ(vn)
■ザンデルリング 指揮 ベルリン交響楽団
<録音>1966年10月3日 メトロポールテアター、ベルリン
コメント (2)
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