<日時>2008年9月16日(火) 19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ハイドン:交響曲第67番 ヘ長調 Hob. I-67
■ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調
(アンコール)
■マルトゥッチ:ノットゥルノ
<演奏>
■リッカルド・ムーティ指揮
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
待望のウィーンフィルを昨日聴いてきました。
素晴らしかった。ただただ素晴らしかった。
私が心から聴きたいと思う至福のサウンドが、そこにありました。
思えば、初めて生のウィーンフィルを聴いたのが、このサントリーホールです。
忘れもしません。3年前の10月のとある日曜日のことでした。
初めて彼らのモーツァルトを聴いたその日から、ウィーンフィルは私にとってもはや別格の存在になったのです。
そのときの感激ぶりはブログでも書きましたが、いま読み返すとあまりに一途な表現で汗顔のいたりですが、その神々しいまでの演奏はいつまでも絶対に忘れないでしょう。
さて、この日の席は2階席のセンターブロックで前から2列目。
ウィーンフィルのブルックナーを聴くには、まさに絶好のポジションです。
この日、開演前にちょっとしたサプライズがありました。
席に着いてパンフレットに目を通していると、右手のステージ側の2階客席にカメラマンが大勢待機して何やらざわざわしています。
これはどうしたことかと首をかしげていると、皇太子様が来られていたのです。
音楽好きの殿下のことですから、何も不思議なことではないのですが、やはりウィーンフィルだと改めて感心した次第です。
ステージが明るくなると、例によってコンサートマスターのキュッヘルを先頭にしてメンバーが入ってきました。
チューニングが終わると、いよいよマエストロ・ムーティの登場です。
タクトを振り下ろし、ハイドンの8分の6拍子の細かく刻む音が流れ出した瞬間、もう紛れもないあのウィーンフィルの響きがホール全体を包みます。
1分も経たないうちに、私の目頭は熱くなってきました。
演奏されたハイドンの67番は、滅多に演奏されることのないマイナーな交響曲ですし、3年前のモーツァルトの名品クラリネット協奏曲とは、正直なところ「音楽の格」という点において比べるべくもありません。
しかし、そこで奏でられた響きは、間違いなく3年前と同じ感動を私にもたらしてくれたのです。
私は、この愛するウィーンフィルの柔らかな響きに身をゆだねながら、3年前に初めてこのホールで生のウィーンフィルを聴いた頃のことを思い出していました。
さらに、それから遡ること1年前(もう4年も前のことなんですね・・・)に経験した、文字通り「激務」としか言いようのない状況で仕事をしていた日々のこと、その4年間に大きくなってくれた子供たちのこと、そして今こうして再び生のウィーンフィルを聴ける幸せ、それらの感情が重なり合って、きっと胸がいっぱいになったのだと思います。
「癒し」という言葉がありますが、私にとって、ウィーンフィルの音はまさしくそれだったのですね。
少し感傷的になってしまいました。
話をハイドンに戻します。
このシンフォニーは、ハイドンの交響曲の中でも、特に室内楽的な雰囲気を色濃く感じさせる作品ですが、もうこの手の音楽をやらせたらウィーンフィルの右にでるオケはないでしょう。
温かく、優雅で、かつ知的な遊び心に溢れた演奏。
マエストロ・ムーティも、ウィーンフィルの美質をとことん発揮させるスタイルで、それが最上の結果を生み出していました。
メヌエットでは、2本のソロヴァイオリンがわざと音をはずして演奏する箇所が出てきますが、音をはずしながら奏でるそのリズムの何と粋なこと!
思わず口元が緩んでしまいます。
そして、終楽章で聴かせてくれたヴァイオリン2本と独奏チェロの3重奏は、まさに飛び切りの美しさでした。
こんなに素敵なハイドンを聴かせてくれて、本当にありがとう。
(後半のブルックナーの感想は、明日書きます。)
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ハイドン:交響曲第67番 ヘ長調 Hob. I-67
■ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調
(アンコール)
■マルトゥッチ:ノットゥルノ
<演奏>
■リッカルド・ムーティ指揮
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
待望のウィーンフィルを昨日聴いてきました。
素晴らしかった。ただただ素晴らしかった。
私が心から聴きたいと思う至福のサウンドが、そこにありました。
思えば、初めて生のウィーンフィルを聴いたのが、このサントリーホールです。
忘れもしません。3年前の10月のとある日曜日のことでした。
初めて彼らのモーツァルトを聴いたその日から、ウィーンフィルは私にとってもはや別格の存在になったのです。
そのときの感激ぶりはブログでも書きましたが、いま読み返すとあまりに一途な表現で汗顔のいたりですが、その神々しいまでの演奏はいつまでも絶対に忘れないでしょう。
さて、この日の席は2階席のセンターブロックで前から2列目。
ウィーンフィルのブルックナーを聴くには、まさに絶好のポジションです。
この日、開演前にちょっとしたサプライズがありました。
席に着いてパンフレットに目を通していると、右手のステージ側の2階客席にカメラマンが大勢待機して何やらざわざわしています。
これはどうしたことかと首をかしげていると、皇太子様が来られていたのです。
音楽好きの殿下のことですから、何も不思議なことではないのですが、やはりウィーンフィルだと改めて感心した次第です。
ステージが明るくなると、例によってコンサートマスターのキュッヘルを先頭にしてメンバーが入ってきました。
チューニングが終わると、いよいよマエストロ・ムーティの登場です。
タクトを振り下ろし、ハイドンの8分の6拍子の細かく刻む音が流れ出した瞬間、もう紛れもないあのウィーンフィルの響きがホール全体を包みます。
1分も経たないうちに、私の目頭は熱くなってきました。
演奏されたハイドンの67番は、滅多に演奏されることのないマイナーな交響曲ですし、3年前のモーツァルトの名品クラリネット協奏曲とは、正直なところ「音楽の格」という点において比べるべくもありません。
しかし、そこで奏でられた響きは、間違いなく3年前と同じ感動を私にもたらしてくれたのです。
私は、この愛するウィーンフィルの柔らかな響きに身をゆだねながら、3年前に初めてこのホールで生のウィーンフィルを聴いた頃のことを思い出していました。
さらに、それから遡ること1年前(もう4年も前のことなんですね・・・)に経験した、文字通り「激務」としか言いようのない状況で仕事をしていた日々のこと、その4年間に大きくなってくれた子供たちのこと、そして今こうして再び生のウィーンフィルを聴ける幸せ、それらの感情が重なり合って、きっと胸がいっぱいになったのだと思います。
「癒し」という言葉がありますが、私にとって、ウィーンフィルの音はまさしくそれだったのですね。
少し感傷的になってしまいました。
話をハイドンに戻します。
このシンフォニーは、ハイドンの交響曲の中でも、特に室内楽的な雰囲気を色濃く感じさせる作品ですが、もうこの手の音楽をやらせたらウィーンフィルの右にでるオケはないでしょう。
温かく、優雅で、かつ知的な遊び心に溢れた演奏。
マエストロ・ムーティも、ウィーンフィルの美質をとことん発揮させるスタイルで、それが最上の結果を生み出していました。
メヌエットでは、2本のソロヴァイオリンがわざと音をはずして演奏する箇所が出てきますが、音をはずしながら奏でるそのリズムの何と粋なこと!
思わず口元が緩んでしまいます。
そして、終楽章で聴かせてくれたヴァイオリン2本と独奏チェロの3重奏は、まさに飛び切りの美しさでした。
こんなに素敵なハイドンを聴かせてくれて、本当にありがとう。
(後半のブルックナーの感想は、明日書きます。)