今月16日にボジョレー・ヌーヴォーが解禁になりました。
ボジョレー好きの私は、既に2本いただきましたが、今年は当たり年?
2本とも、とてもまろやかで爽やかな味がしました。
最近では3年前のボジョレー・ヌーヴォーがとても美味しかったのですが、そのとき以来でしょうか。
ショップによっては早くも値下げをしているので、また値段につられてふらっと買ってしまいそうです。
飲酒運転取り締まり強化の背景もあり、例年のフィーバーがないのは、かえってラッキーだったりして・・・。(笑)
さて、ボジョレー・ヌーヴォーとは、およそかけ離れた音楽ですが、久しぶりにフルトヴェングラーのピアノ五重奏曲のディスクを引っ張り出して聴いてみました。
指揮者というよりも、作曲家としての名声を望んだフルトヴェングラー。
現実は、あまりにも偉大なマエストロとしての評価に比して、必ずしも彼の望んだようにはなりませんでしたが、彼が最後まで守ろうとしたドイツ音楽への熱い思いは伝わってきます。
(好き嫌いは別にして・・・)
私は彼の作品の中では、3曲のシンフォニーもいいけど、「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲」が好きで、時々聴きます。
ほかにヴァイオリンソナタ等の室内楽も作曲していますが、このピアノ五重奏曲が室内楽のジャンルでは代表曲と考えていいでしょう。
<曲目>
■フルトヴェングラー:ピアノ五重奏曲 ハ長調
第1楽章:Molto Allegro
第2楽章:Adagio
第3楽章:Ruhig
<演奏>
■ダニエル ベリック(P)
■エリシン弦楽四重奏団
さて、このピアノ五重奏曲のディスク。
今まで何回か聴いてきたのですが、実は1回も最後まで聴きとおせなかったのです。
このジャンルの曲にしては、まず演奏時間が異例に長い!
3楽章構成で、それぞれが(26分、22分、24分)という長さなんです。
どう考えても3曲分ですよね。
CDで楽しむ分には、初めからそう考えて聴く手もありますが・・・。
そして、何よりも、音楽そのものが冗長に感じてしまうことが、聴きとおせなかった原因です。
しかし、今日は嵌りました。
初めて、この曲を最後まで聴きとおせました。
ひょとして、ボジョレー・ヌーヴォーのおかげ?
第1楽章は、「弦のユニゾン」に「ピアノの合いの手」という組み合わせで曲が進みます。
2分半過ぎのフレーズはとても美しい。
しかし、やはり長いなあ。いろいろなファクターを詰め込みすぎ、という印象が拭えません。
いくら集中して聴いても、いつの間にか退屈してしまうのです。
今日聴いて素晴らしいと思ったのは、第2楽章。
ピアノのメロディがとても美しい。
ヴァイオリンをはじめとする弦楽器も、憧れを胸に秘めたような可憐な表情が、とてもいいですねぇ。
5分過ぎに登場する旋律は、どこか「さくらさくら」を思わせます。
また、この「さくらさくら」は、この楽章全体を通してのサブテーマのようになっています。
そして、11分過ぎのヴァイオリンのメロディは、まるで静かに何かを訴えかけているかのよう。
そして、チェロがそのヴァイオリンの訴えかけに真摯に応えます。このあたりの表情はドイツロマン派の素晴らしさそのもの。
19分過ぎからの、ピアニシモで歌うヴァイオリンとチェロの対話の妙は、この曲の白眉でしょう。
第3楽章にきて、ようやく明るさを感じる音楽になりました。
3分過ぎには、どこかベートーヴェンの「大公」を思わせるフレーズが出てきます。
この楽章が、各楽器の扱いを含めて、一番室内楽らしい雰囲気を感じさせてくれました。
各楽章を、それぞれ私の独断で評価すると、
第1楽章:△、第2楽章:◎、第3楽章:○
というところでしょうか。
この曲を、何度も最後までとおして聴くことは相当大変なことだと思います。
しかし、じっくり聴くと、フルトヴェングラー自身が語っている言葉を、この作品においても実践していることが分かります。
「私(=フルトヴェングラー)はいつも『存在するもの』からではなく『生成しつつあるもの』から出発します。私が思うに、音楽とは決して出来上がっているものではない、それは第1小節の音が鳴り始めた瞬間から発展し始め、それに続く全ての部分はここから生まれるのです。」
(ヘッカー著 「フルトヴェングラーとの対話」より)
ボジョレー好きの私は、既に2本いただきましたが、今年は当たり年?
2本とも、とてもまろやかで爽やかな味がしました。
最近では3年前のボジョレー・ヌーヴォーがとても美味しかったのですが、そのとき以来でしょうか。
ショップによっては早くも値下げをしているので、また値段につられてふらっと買ってしまいそうです。
飲酒運転取り締まり強化の背景もあり、例年のフィーバーがないのは、かえってラッキーだったりして・・・。(笑)
さて、ボジョレー・ヌーヴォーとは、およそかけ離れた音楽ですが、久しぶりにフルトヴェングラーのピアノ五重奏曲のディスクを引っ張り出して聴いてみました。
指揮者というよりも、作曲家としての名声を望んだフルトヴェングラー。
現実は、あまりにも偉大なマエストロとしての評価に比して、必ずしも彼の望んだようにはなりませんでしたが、彼が最後まで守ろうとしたドイツ音楽への熱い思いは伝わってきます。
(好き嫌いは別にして・・・)
私は彼の作品の中では、3曲のシンフォニーもいいけど、「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲」が好きで、時々聴きます。
ほかにヴァイオリンソナタ等の室内楽も作曲していますが、このピアノ五重奏曲が室内楽のジャンルでは代表曲と考えていいでしょう。
<曲目>
■フルトヴェングラー:ピアノ五重奏曲 ハ長調
第1楽章:Molto Allegro
第2楽章:Adagio
第3楽章:Ruhig
<演奏>
■ダニエル ベリック(P)
■エリシン弦楽四重奏団
さて、このピアノ五重奏曲のディスク。
今まで何回か聴いてきたのですが、実は1回も最後まで聴きとおせなかったのです。
このジャンルの曲にしては、まず演奏時間が異例に長い!
3楽章構成で、それぞれが(26分、22分、24分)という長さなんです。
どう考えても3曲分ですよね。
CDで楽しむ分には、初めからそう考えて聴く手もありますが・・・。
そして、何よりも、音楽そのものが冗長に感じてしまうことが、聴きとおせなかった原因です。
しかし、今日は嵌りました。
初めて、この曲を最後まで聴きとおせました。
ひょとして、ボジョレー・ヌーヴォーのおかげ?
第1楽章は、「弦のユニゾン」に「ピアノの合いの手」という組み合わせで曲が進みます。
2分半過ぎのフレーズはとても美しい。
しかし、やはり長いなあ。いろいろなファクターを詰め込みすぎ、という印象が拭えません。
いくら集中して聴いても、いつの間にか退屈してしまうのです。
今日聴いて素晴らしいと思ったのは、第2楽章。
ピアノのメロディがとても美しい。
ヴァイオリンをはじめとする弦楽器も、憧れを胸に秘めたような可憐な表情が、とてもいいですねぇ。
5分過ぎに登場する旋律は、どこか「さくらさくら」を思わせます。
また、この「さくらさくら」は、この楽章全体を通してのサブテーマのようになっています。
そして、11分過ぎのヴァイオリンのメロディは、まるで静かに何かを訴えかけているかのよう。
そして、チェロがそのヴァイオリンの訴えかけに真摯に応えます。このあたりの表情はドイツロマン派の素晴らしさそのもの。
19分過ぎからの、ピアニシモで歌うヴァイオリンとチェロの対話の妙は、この曲の白眉でしょう。
第3楽章にきて、ようやく明るさを感じる音楽になりました。
3分過ぎには、どこかベートーヴェンの「大公」を思わせるフレーズが出てきます。
この楽章が、各楽器の扱いを含めて、一番室内楽らしい雰囲気を感じさせてくれました。
各楽章を、それぞれ私の独断で評価すると、
第1楽章:△、第2楽章:◎、第3楽章:○
というところでしょうか。
この曲を、何度も最後までとおして聴くことは相当大変なことだと思います。
しかし、じっくり聴くと、フルトヴェングラー自身が語っている言葉を、この作品においても実践していることが分かります。
「私(=フルトヴェングラー)はいつも『存在するもの』からではなく『生成しつつあるもの』から出発します。私が思うに、音楽とは決して出来上がっているものではない、それは第1小節の音が鳴り始めた瞬間から発展し始め、それに続く全ての部分はここから生まれるのです。」
(ヘッカー著 「フルトヴェングラーとの対話」より)