いよいよ3月、月初めから渓流釣りが解禁になったところもあります。
昔なら寒かろうが何だろうが、このイベントに参加せずにおくものかといそいそとでかけたものですが、もう渓へゆかなくなって何年経つでしょうか。
そのおかげで命拾いをしたアマゴやイワナは何匹いることでしょう。彼や彼女たちは私の老化と怠慢に感謝すべきなのです。
しかし今も、何かの拍子に渓流の近くを通りかかると心踊るものがあります。でももう、車から降りて簡単に竿を出せるようなところではほとんど釣れないのです。
渓の話はともかく、明日はひな祭りですね。百歳の老女がひな祭りに華やぐという話を聞きましたがとても感動しました。何歳になろうが「ひいなの祭り」は女の祭り、おおいに華やいでほしいものです。
このお雛様の写真はノリタケ・カンパニーのウインドウで撮したものです。高さはわずか10センチほどですが、陶磁器製とは思われないほど精妙にできています。
お値段もセットで17万円とお値打ちなのでこのブログをご覧の女性全員にプレゼントしようと思ったのですが、それだけのセット数が揃わないとのことでした。残念です。
その代わりに、すべての女性がひいなの日を幸せに迎えられますよう、私が手塩にかけた(という程でもないのですが)水仙をお届けします。
ひな祭りといえば桃の花でしょうが、今年は桃の開花が遅いのです。
「ひなまつり」という歌がありますね(サトウハチロー作詞・河村光陽作曲)。子供の頃、あの歌の歌詞でいつも頭の中を巡るのは「お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔」というくだりでした。
実の両親に死に別れた私に、二つ歳上の姉がいて、別々のところへ貰われて行ってずっと逢うことがなかったからだと思います。
40歳過ぎに再会し、今では消息もはっきりして交流もあるのですが、子供のころに刷り込まれたものが残ってのでしょうか、スーパーなどでこの時期かかるこの歌のうち、その箇所だけが鮮明に耳に聞こえます。
古希をとっくに過ぎた男の変な感傷なのは自分でもわかっているのですが、なぜかほんとうにその箇所だけはっきり聞こえるのです。
昔なら寒かろうが何だろうが、このイベントに参加せずにおくものかといそいそとでかけたものですが、もう渓へゆかなくなって何年経つでしょうか。
そのおかげで命拾いをしたアマゴやイワナは何匹いることでしょう。彼や彼女たちは私の老化と怠慢に感謝すべきなのです。
しかし今も、何かの拍子に渓流の近くを通りかかると心踊るものがあります。でももう、車から降りて簡単に竿を出せるようなところではほとんど釣れないのです。
渓の話はともかく、明日はひな祭りですね。百歳の老女がひな祭りに華やぐという話を聞きましたがとても感動しました。何歳になろうが「ひいなの祭り」は女の祭り、おおいに華やいでほしいものです。
このお雛様の写真はノリタケ・カンパニーのウインドウで撮したものです。高さはわずか10センチほどですが、陶磁器製とは思われないほど精妙にできています。
お値段もセットで17万円とお値打ちなのでこのブログをご覧の女性全員にプレゼントしようと思ったのですが、それだけのセット数が揃わないとのことでした。残念です。
その代わりに、すべての女性がひいなの日を幸せに迎えられますよう、私が手塩にかけた(という程でもないのですが)水仙をお届けします。
ひな祭りといえば桃の花でしょうが、今年は桃の開花が遅いのです。
「ひなまつり」という歌がありますね(サトウハチロー作詞・河村光陽作曲)。子供の頃、あの歌の歌詞でいつも頭の中を巡るのは「お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔」というくだりでした。
実の両親に死に別れた私に、二つ歳上の姉がいて、別々のところへ貰われて行ってずっと逢うことがなかったからだと思います。
40歳過ぎに再会し、今では消息もはっきりして交流もあるのですが、子供のころに刷り込まれたものが残ってのでしょうか、スーパーなどでこの時期かかるこの歌のうち、その箇所だけが鮮明に耳に聞こえます。
古希をとっくに過ぎた男の変な感傷なのは自分でもわかっているのですが、なぜかほんとうにその箇所だけはっきり聞こえるのです。
何かドラマを幼いながらに感じたのでしょう。「新妻鏡」というメロドラマの映画を、見て失明した綺麗な人が障子の桟をなでながら泣くシーンに、感動して痛ませがきだったそうなので。でも、今朝の朝日新聞によれば、サトー・ハチローは、あの歌を抹殺したかったそうなので、不思議ですね。国民的童謡になってしまって。
私も「朝日」の記事、読みました。
歌詞の内容の間違っているという部分にはまったく気づきませんでしたが、たしかに全体は写実的な描写に終わっているようですね。
唯一、「お嫁にいらした・・・」のくだりが詩情を感じさせるのかも知れません。
したがって私がそこに惹かれるのも、あながち個人的な事情に依るものばかりではないのでしょうね。
まあしかし、子供たちにとっては平易でわかりやすく、ゆったりしたメロディとあいまってまさに国民的な童謡といっていいでしょう。なにせ、もう80年も歌い継がれているのですから。