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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

昆虫たちの夏 そして広島忌

2012-08-07 02:14:27 | 想い出を掘り起こす
 私のうちには大きな植木鉢に植えたゴムの木があリます。十数年前になくなった父が残したものです。ですから割合大事にしています。
 父のうちにあった折は年間通じて玄関の土間にあったのですが、私のところではそれだけのスペースがありません。ですから、10月ぐらいから翌3月ぐらいの間は屋内に置き、陽気のいい間は屋外に置きます。

 ところで先日、水やりをしていたらひどく葉が傷んでいます。どうしたのかなぁと思って葉の裏を見たら、そこに約20匹ほどの黄緑色の虫がくっついているのです。
 アララ、こいつらの仕業かと驚いたのですが、それがとても綺麗なのです。
 残酷な殺し方はしたくないと思って、一匹一匹引っぺがすようにして別の草むらへ持ってゆきました。そこで彼らが生き延びられるかどうか、そこまで責任はもてません。

            

 写真は最後の一匹です。あまり綺麗なので人差し指でちょっと触ってみました。
 その時、ピリリと痛みが走りました。痛みはなかなか去りません。触ったところが少し赤くなり腫れてきました。「なんでやねん」というのが私の驚きです。
 ネットで調べたら、これはイラガという蛾の幼虫で、やはり触ると刺されて痛い、なかにはかなり強い毒性をもつものもいるとありました。

 なんでも綺麗なものに触れたがるのはよくないくせですね。これまでの人生、綺麗なものに接近しすぎて痛い目にあったことが何度もあったにも関わらずです。
 年齢を経ることが同時に経験の蓄積にならない典型的な例ですね。

            

 夜、まじめに書きものをしていたら、セミが監視にやってきました。そしてそのままそこに居続けます。携帯カメラで10センチぐらいに近づき、フラッシュを焚いてもいっこうに動じません。「オイオイ、寝ちゃったのかい」とそのままにしておいてやりました。

                

 さて、昨日は広島忌。NHK・BSで、広島県立広島女学校の当時の一年生10名の日記をもとにしたセミ・ドキュメンタリー、『少女たちの日記』を観ました。日記を題材にし、生存者の証言を加えているだけにリアリティがありました。悲惨を悲惨として直接に描いているのではなく、またそうしたシーンも全く出てこないのですが、日記を残した10名が全て死亡し、そのうちの半数の遺体そのものが不明というあたりが言い尽くせない現実として迫って来ました。
 あんなに懸命に生きていた少女たちが一瞬のうちに消えてなくなるなんて。

 日記の筆者のひとりが被曝するほんの少し前、それまですれ違って挨拶をするのみだった県中の男子生徒に、川を挟んではじめて言葉をかわすシーンがありました。言葉といっても声ではありません。その頃、中学生や女学生に必須だった手旗信号で自分の名前を告げるシーンでした。
 私はいろいろあって手旗信号がある程度わかるのです。映像ではその下にもちろん文字が出るのですが、私はそれを見ないようにして、彼女が懸命に発信するのを読みとっていました。

 このあたりはもちろん挿入されたドラマだなのですが、戦中の男女交際への規制が厳しかったなか、いかにもさもありなんというシーンでした。
 その折の相手と思われる男性から、半世紀たってから彼女の家族に届けられた似顔絵が、当時の彼女の写真とそっくりだったのです。この部分はもちろん実話です。私の涙腺がちょっと緩みかけたのはこのあたりです。
 もう彼女たちは、残された人たち(そのなかには私たちも入ります)の記憶の中にしか生きてはいないのです。
 考えてみれば彼女たちはすべて、私よリたった六歳年上の人たちだったのです。


     
           閉じるとき栞をはさむ広島忌    林和琴?

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