前回、なんだか思わせぶりは終わり方をしてしまったのは、書き始めるとついダラダラッとした文章になる悪癖のせいと深く反省している。
さて、映画の方であるが、娘と母、祖母の三代にわたる女性の物語である。
監督はジュリー・ロペス=クルヴァル・・・と偉そうに書いたが、この監督についてはよく知らない。たぶん、その映画を観るのはこれが初めてだと思う。
主人公と思われる娘に、マリナ・ハンズその母に、ご存じカトリーヌ・ドヌーヴ、そして祖母役にマリ=ジョゼ・クローズと、それぞれ個性的な女優さんが競演している。
冒頭での母娘の、なにやらざらっとした心理的葛藤のようなものから、いくぶん重いどんよりした状況の連続になるのかなと思っていたら、子供たちを捨てて家を出た祖母の日記が発見される辺りから、その展開にぐいぐいと引き込まれて行くことになる。
地方のプチブルジョワの家父長的で閉鎖的な家庭の中で自立を模索する女性の姿(祖母)、自立をした強い女性でありながら自分の母に捨てられたというトラウマを持つ母、そして自由であるが故に自己をどのように投企して行くかに悩む娘、これら三人のありようが、その映像においては時間の域をしばしば越境しながら進行しする。
そして意外な展開となるラスト。
しかし、それは未見の人のために語らぬのがマナーであろう。
ただし、その展開によって、この三代がおかれた位相が劇的に変化することだけはいっても許されるだろう。
そして、私たちが観てきた過程のこの変化をひとことで要約するような洒脱なセリフが放たれ、フェイドアウトして映画が終わる。
この最後のセリフが実にいい。
そのおしゃれなピリオドの打ち方には感心した。
これはまさに、アメリカ映画にも、日本映画にもない、ヨーロッパの映画そのものである。
なお、カメラは海辺の限定された空間にほとんどとどまるのだが、その映像は、全体のドラマの通奏低音のように、実にしっくりしている。
当初書いたキャストの祖母役と娘役が逆になっていましたので訂正しました。なんというそそっつかしさ。
さて、映画の方であるが、娘と母、祖母の三代にわたる女性の物語である。
監督はジュリー・ロペス=クルヴァル・・・と偉そうに書いたが、この監督についてはよく知らない。たぶん、その映画を観るのはこれが初めてだと思う。
主人公と思われる娘に、マリナ・ハンズその母に、ご存じカトリーヌ・ドヌーヴ、そして祖母役にマリ=ジョゼ・クローズと、それぞれ個性的な女優さんが競演している。
冒頭での母娘の、なにやらざらっとした心理的葛藤のようなものから、いくぶん重いどんよりした状況の連続になるのかなと思っていたら、子供たちを捨てて家を出た祖母の日記が発見される辺りから、その展開にぐいぐいと引き込まれて行くことになる。
地方のプチブルジョワの家父長的で閉鎖的な家庭の中で自立を模索する女性の姿(祖母)、自立をした強い女性でありながら自分の母に捨てられたというトラウマを持つ母、そして自由であるが故に自己をどのように投企して行くかに悩む娘、これら三人のありようが、その映像においては時間の域をしばしば越境しながら進行しする。
そして意外な展開となるラスト。
しかし、それは未見の人のために語らぬのがマナーであろう。
ただし、その展開によって、この三代がおかれた位相が劇的に変化することだけはいっても許されるだろう。
そして、私たちが観てきた過程のこの変化をひとことで要約するような洒脱なセリフが放たれ、フェイドアウトして映画が終わる。
この最後のセリフが実にいい。
そのおしゃれなピリオドの打ち方には感心した。
これはまさに、アメリカ映画にも、日本映画にもない、ヨーロッパの映画そのものである。
なお、カメラは海辺の限定された空間にほとんどとどまるのだが、その映像は、全体のドラマの通奏低音のように、実にしっくりしている。
当初書いたキャストの祖母役と娘役が逆になっていましたので訂正しました。なんというそそっつかしさ。
私はとても良かったった派。それにしても、女優陣が、魅力的なのに、男優陣は、わざとぱっとしないような人に、演技させてるね、という点では、みな一致。これはそうゆうキャステイングで、それを意図して演出しているという点でも、一致。
祖母と孫娘は、わかりあえる事が、多いね、とも言い合いました。
海は、漢字でも母を含んでいるし、フランス語は
いずれも、メールだし、あの海辺の田舎町に設定したのは良かったと、私は思いました。
孫娘役の女優さんの甘さの無いえらの張った顔が、なかなかいいですね。チャタレイ夫人をやった人?
>清水橋さん
ゴメンナサイ。
当初の私の記事では、祖母役と娘役のキャストが逆になっていました。
確かに孫娘の方が「レディ・チャタレイ」も演じたマリナ・ハンズです。
そういえば、男優陣はぱっとしませんでしたが、祖母の時代からの女性の地位の変遷の中での男性ということで、ことさらそうしたのでしょうね。
カトリーヌのご亭主はそこそこの味を出していたように思いますが。
映画全体としては、ある種のテーマ性(女性の自立に伴う問題?)を保ちながら、エンターティメント性をも持つという意味でうまくできていたと思います。
冠山さんのコメントで、私が生まれた年に起きた津山殺人事件(八つ墓村のモデル)を思い出しました。
50年代の結婚した女たちが、不幸を抱えていたように、60年代に結婚したおばママ達も、その窒息しそうな見えない籠に閉じ込められたような、焦燥感は、解かると言います。わずか一世代の違いですが、やがて女性の時代とか何とか言われて、この映画の祖母のような悲劇は、遠くなってゆくかもしれませんが。祖母、母、孫娘、みんな苦しみながら
変わってゆくと、思いましたと、家のおばママは、監督の意図を、自分に引き込んできょうかんしているようです。海はさまざまな感情を引き起こし、それをそのまま受け止めて、永遠ですね。