面白いコンサートへ行ってきた。
「ジャコバン国際ピアノ音楽祭 2018in岐阜 6月10日のマチネ・コンサートで
まず前半は「フォルテピアノで聽く名曲たち」そして後半はフランスのジャズピアニストのソロ演奏というその組み合わせ自体が面白い。
フォルテピアノのリサイタルというのは初めてで、媒体を通じてではない生の音も初めてだ。当日の楽器はモーツァルトなどが弾いた時期から数十年下った1830年代産のアントン・シュヴァルとリンク。この時代になると、当初脇の鍵盤や膝で操作していたペダル装置がつくようになる。しかし、全般の形状は華奢で、まだチェンバロの面影を宿している。
演奏が始まった。下に添付した内容とは変わって、ショパンの2曲の間に、フンメル、モーツァルト、クララ・シューマン、ロベルト・シューマンを挟むような構成だった。
演奏者は小川加恵さんで岐阜県は池田町の出身。中学生の折、ザルツブルグのモーツァルトの生家でみた古いピアノに魅せられ、東芸大の古学科修士課程、オランダは、デン・ハーグ音楽院修士課程などを経て、フォルテピアノの弾き手としてヨーロッパ各地と日本で活躍している。
彼女の活動は演奏家としてのそればかりではない。自らが魅入られた古楽器、とくにフォルテピアノの特色、歴史的経由、その魅力などなどを伝えるためのレクチャーに力を入れている。
この日の演奏会でも、一曲ごとにマイクを握り、その時代とその楽器をいつくしむような説明をしてくれた。古楽器に入れ込み、同時にその演奏家である彼女の解説は、モーツァルトが、ショパンが、シューマン夫妻が、この楽器でどんな音を紡ぎ出していたのかを彷彿とさせるもので、とても面白かった。
ところでその演奏というか音色だが、今様のピアノに比べまずは音が小さい。そして音色が柔らかい。高音部でもその音は決して鋭角的ではなく、どこか優しい。そうなんだ、モーツァルトのピアノ曲はこんな音だったのだと改めて納得するところが多かった。
ところでサプライズはその後にあった。
演奏を終えたソリストの小川利恵さんが言ったのだ。
「フォルテピアノに興味のある方はどうか舞台に上がって身近にご覧下さい」
もちろん、私も見たいと思った。
またたく間に前方の客が両サイドの階段から舞台へ上がり、フォルテピアノを取り巻いた。
小川利恵さんは鍵盤のところで説明をしているようだが、十重二十重と取り巻く群衆で立錐の余地もない。
そこで私は、待機作戦を取り、舞台上での人の減少を待った。これぐらいならフォルテピアノも見えるだろうという時期を見計らって舞台に上る。
しかし、小川さんが解説する鍵盤側は人でいっぱい。そちらは諦めて反対方向から写真を撮る。
今様のピアノだって内部をまざまざと見たことはないのだが、やはり全体に華奢である。弦もハンマーも優しい風貌をしている。何よりも、全体の形状がチェンバロに似ている。
チェンバロは撥音楽器であり、ピアノは打楽器であることは知っているが、しかし、その間には明らかに連続性がある。その生き証人がこのフォルテピアノなんだと思う。
写真は、舞台公開の後半に撮ったものだが、やはり鍵盤側には近付けなったため反対側から撮った。しかしおかげで、上方画面中央、ドレス姿で説明している小川さんがよく撮れた。
なお、私は、このサラマンカホールのメンバーも20年近くで、年数回としても100回ほど通っているのだが、この舞台に登ったのは初めてだった。フォルテピアノに夢中な人をしりめに、オペラのアリアでも歌ってやろうと思ったのだが、あいにく思い出される歌は、演歌ばかりだった。
小川利恵さんは、滑舌も良く、MCとしても優れた能力をもっている。そして何よりも、若き日に魅せられたというフォルテピアノへの情熱をもち続けている。大成を期したい。
コンサートの後半は、フランスの気鋭のジャズピアニスト、レミ・パノシアンのリサイタルで、こちらの方は普通のグランドピアノ。やはり音量と音の響きの振幅が違う。
ところで、ジャズの方だが、ひところよく聴いたのは、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、セレニアス・モンクなどなど1950~60年代のもので、もっているCDもそのへんのところである。
その後のジャズの歴史がどうなっていったのかはまったくわからないのだが、このレミ・パノシアンの演奏はそれらのどれとも異なっているようだった。アレンジメントとインプロビゼーションが錯綜しいて、かなり重層的な構成になっていた。
曲目は、最近お映画の主題歌などのアレンジや、もともと知らない曲などであったが、スタンダードナンバーの「キャラバン」はわかった。もともと大編成のバンドなどでも取り上げられる曲だが、ピアノソロでのその後半の熱演はホール全体にあふれるほどのエネルギッシュなもので、あちこちからブラボーの声がかかっていた。
アンコールはフレンチピアニストらしく「枯れ葉」。
フランスは、アメリカ発祥のジャズをいち早く取り上げ、1950年代から60年代にかけてはモダンジャズを取り入れた映画が多く作られたことでも知られているが、フランス特有の演奏スタイルなどというものはあるのだろうか。
その辺のところはまったくわからないのだが、この奏者の演奏を聞きながら、バラード調の静謐なところではドビュッシーが、次第にクレッシェンドする箇所ではラヴェルのイメージが重なって聴こえたのは、おそらく私の先入観によるものだろう。
https://salamanca.gifu-fureai.jp/1411/
「ジャコバン国際ピアノ音楽祭 2018in岐阜 6月10日のマチネ・コンサートで
まず前半は「フォルテピアノで聽く名曲たち」そして後半はフランスのジャズピアニストのソロ演奏というその組み合わせ自体が面白い。
フォルテピアノのリサイタルというのは初めてで、媒体を通じてではない生の音も初めてだ。当日の楽器はモーツァルトなどが弾いた時期から数十年下った1830年代産のアントン・シュヴァルとリンク。この時代になると、当初脇の鍵盤や膝で操作していたペダル装置がつくようになる。しかし、全般の形状は華奢で、まだチェンバロの面影を宿している。
演奏が始まった。下に添付した内容とは変わって、ショパンの2曲の間に、フンメル、モーツァルト、クララ・シューマン、ロベルト・シューマンを挟むような構成だった。
演奏者は小川加恵さんで岐阜県は池田町の出身。中学生の折、ザルツブルグのモーツァルトの生家でみた古いピアノに魅せられ、東芸大の古学科修士課程、オランダは、デン・ハーグ音楽院修士課程などを経て、フォルテピアノの弾き手としてヨーロッパ各地と日本で活躍している。
彼女の活動は演奏家としてのそればかりではない。自らが魅入られた古楽器、とくにフォルテピアノの特色、歴史的経由、その魅力などなどを伝えるためのレクチャーに力を入れている。
この日の演奏会でも、一曲ごとにマイクを握り、その時代とその楽器をいつくしむような説明をしてくれた。古楽器に入れ込み、同時にその演奏家である彼女の解説は、モーツァルトが、ショパンが、シューマン夫妻が、この楽器でどんな音を紡ぎ出していたのかを彷彿とさせるもので、とても面白かった。
ところでその演奏というか音色だが、今様のピアノに比べまずは音が小さい。そして音色が柔らかい。高音部でもその音は決して鋭角的ではなく、どこか優しい。そうなんだ、モーツァルトのピアノ曲はこんな音だったのだと改めて納得するところが多かった。
ところでサプライズはその後にあった。
演奏を終えたソリストの小川利恵さんが言ったのだ。
「フォルテピアノに興味のある方はどうか舞台に上がって身近にご覧下さい」
もちろん、私も見たいと思った。
またたく間に前方の客が両サイドの階段から舞台へ上がり、フォルテピアノを取り巻いた。
小川利恵さんは鍵盤のところで説明をしているようだが、十重二十重と取り巻く群衆で立錐の余地もない。
そこで私は、待機作戦を取り、舞台上での人の減少を待った。これぐらいならフォルテピアノも見えるだろうという時期を見計らって舞台に上る。
しかし、小川さんが解説する鍵盤側は人でいっぱい。そちらは諦めて反対方向から写真を撮る。
今様のピアノだって内部をまざまざと見たことはないのだが、やはり全体に華奢である。弦もハンマーも優しい風貌をしている。何よりも、全体の形状がチェンバロに似ている。
チェンバロは撥音楽器であり、ピアノは打楽器であることは知っているが、しかし、その間には明らかに連続性がある。その生き証人がこのフォルテピアノなんだと思う。
写真は、舞台公開の後半に撮ったものだが、やはり鍵盤側には近付けなったため反対側から撮った。しかしおかげで、上方画面中央、ドレス姿で説明している小川さんがよく撮れた。
なお、私は、このサラマンカホールのメンバーも20年近くで、年数回としても100回ほど通っているのだが、この舞台に登ったのは初めてだった。フォルテピアノに夢中な人をしりめに、オペラのアリアでも歌ってやろうと思ったのだが、あいにく思い出される歌は、演歌ばかりだった。
小川利恵さんは、滑舌も良く、MCとしても優れた能力をもっている。そして何よりも、若き日に魅せられたというフォルテピアノへの情熱をもち続けている。大成を期したい。
コンサートの後半は、フランスの気鋭のジャズピアニスト、レミ・パノシアンのリサイタルで、こちらの方は普通のグランドピアノ。やはり音量と音の響きの振幅が違う。
ところで、ジャズの方だが、ひところよく聴いたのは、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、セレニアス・モンクなどなど1950~60年代のもので、もっているCDもそのへんのところである。
その後のジャズの歴史がどうなっていったのかはまったくわからないのだが、このレミ・パノシアンの演奏はそれらのどれとも異なっているようだった。アレンジメントとインプロビゼーションが錯綜しいて、かなり重層的な構成になっていた。
曲目は、最近お映画の主題歌などのアレンジや、もともと知らない曲などであったが、スタンダードナンバーの「キャラバン」はわかった。もともと大編成のバンドなどでも取り上げられる曲だが、ピアノソロでのその後半の熱演はホール全体にあふれるほどのエネルギッシュなもので、あちこちからブラボーの声がかかっていた。
アンコールはフレンチピアニストらしく「枯れ葉」。
フランスは、アメリカ発祥のジャズをいち早く取り上げ、1950年代から60年代にかけてはモダンジャズを取り入れた映画が多く作られたことでも知られているが、フランス特有の演奏スタイルなどというものはあるのだろうか。
その辺のところはまったくわからないのだが、この奏者の演奏を聞きながら、バラード調の静謐なところではドビュッシーが、次第にクレッシェンドする箇所ではラヴェルのイメージが重なって聴こえたのは、おそらく私の先入観によるものだろう。
https://salamanca.gifu-fureai.jp/1411/
たしかに、「東京工業大学」→「東工大」と略しますが、「東京藝術大学」→「東芸大」とは言わないんじゃないでしょうか。普通は「東京芸大」「東京藝大」「藝大」だと思います。
おっしゃるように「東京藝術大学」のことです。要らざるところで「東芸大」などと変な略称を用いて無用な混乱を招いたとしたら、申し訳なく思います。
これに懲りず、またお越しください。