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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

おりん婆さんは自分の歯を石で砕いた 捨てられる老女と捨てられない爺

2020-11-07 01:33:19 | よしなしごと

 一日中曇りの予報だったが、午後二時ぐらいから秋の日差しが。
 予約してあった歯科へ出かける。別にどこも悪いところはないのだが、市の医療行政の一環として、「口腔検診」が安価で受けられるというので腰を上げた次第。

         
 空は典型的な秋模様。ただし、大雑把な私には、うろこ雲、いわし雲、羊雲の違いがよくわからないのだ。どうやら雲の高さや、その厚みなどで分けるようだ。

            
 近くの鎮守の森、まだ紅葉していないが、それぞれの木々の色合いが鮮やか。

 その近くにちょっとした梅の畑があって、私がこの近くへ越してきてから半世紀余、ここの梅たちもすっかり老木の貫禄がついてきた。まるで広重の絵のようだ。
 
         
 しばらくゆくとツワブキの蕾が。

          
 歯科医はリニューアルオープンをしたばかりで、新築の香が。あちこちに花が置かれ、ピンクの胡蝶蘭がひときわ鮮やか。

         
 検診結果は、年齢に対してとてもいい、とのこと。ただし、もう少しこまめに検診などのケアーをしてくださいとのこと。そういえば、今年はこれでまだ二回目だ。
 ついでに歯垢を取るなどしてもらう。口をあけっぱなしはつらいが終わればスッキリする。

 ありがたいことに歯の健康はいいとされたのだが、しかし、それが恥とされた時代もあった。深沢七郎の小説、『楢山節考』(木下恵介と今村昌平で二度映画化されている)では、おりん婆さんが年相応に自分の歯が悪くならないことを恥じて、石で自分の歯を砕く場面がある。
 日本には、あちこちに姥捨伝説があるようだが、寡聞にして爺捨て伝説は聞いたことはない。女性は、おりん婆さんのように健康でも一定の年齢で捨てられたのに、男性は足腰立たなくとも共同体に留め置かれたのだろうか。もちろん背景には、男尊女卑の家父長制度がある。

 なお、この姥捨てを題材とした映画には、上記の今村の息子・天願大介が監督した『デンデラ』があり、これは捨てられた老婆たちが山中で共同体をなし、捨てた世の中に復習するというストーリーである。

         
 話が逸れた。ついでに、いつもあまりゆかない歯科医近くのスーパーへ。
 いつも行くところは、品揃えはいいが、ドンキの系列になってからはさあ買え、いざ買えと音響やポップが小うるさい。
 その点、ここはそれほどうるさくないし、地元の経営だけに野菜類はやや安い。

 玉ネギが七個で200円台と安かったのでそれをゲット。ほかに魚類、肉類、練り物類などを。これで3日分の食糧は確保。

 帰って、それらを冷蔵庫などへ仕舞う作業をしたが、2キロ強で4千数百歩歩いたのみなのになぜか息切れをし、呼吸が楽ではない。
 自分の呼吸器系統も衰えたものだと気落ちをしながら作業を続け、さらに洗濯物を取り込みにでて、ふと気づいた。

          
 そうなのだ、出かけるときにしたマスクを帰宅しても外さず、おおよそ10分近くというもの、いろいろ動き回っていたのだ。

結論衰えていたのは、呼吸器関連ではなく、ズバリ私の頭脳だった。嗚呼!

 


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