若葉が萌えている。
ここんとこ気が滅入って、必要な買い物以外の外出はしていないが、幸い、二階にある私の部屋の窓から若葉を満喫している。
この20日過ぎからは、外出の機会も増え、「社会復帰」の機会としたい。
巡る季節は、変化への期待を掻き立てるが、同時に、もはやそうした「伸びしろ」をもちあわせておらず、周辺からも失われるものが多い齢いを迎えた身としては、一抹の寂寞感を禁じ得ない。
芭蕉の句、行春や鳥啼魚の目は泪(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)は「奥の細道」への出発にあたり、千住の船着場で見送りの人たちと別れる不安を呼んだ句で、上に述べた私の心境とはいささか異なるが、「逝く春」からの連想で中句、下句への流れもなんとなく符合するように感じられる。
書かれたものは、こうして自分の心境のようなものを確認させると同時に、それに形を与えることによってある区切りをつけ、次への移行を促す働きもある。
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そうした働きに期待して、この月末、若葉の季節に臨みたいものだ。
幸い今月後半は、親しい人たちに逢ったりする機会やコンサートなどのスケジュールが入っていますので、久しぶりに口を開き会話を交わすことができそうです。
その皮切りは22日です。