なんで「梅雨明けだ」と気象台がいった途端、「そうですか」って素直に暑くならなきゃぁいけないんだよ。おかげで脳ミソが半分ほど蒸発してしまって、それで頭を振るとカラカラと音がするから残りの半分は干からびてしまったに違いない。
そのせいで勉強が一向にはかどらない。一応、書に向かうのだが、今まで知っていたことの再確認ばかりで「目からウロコ・・・」がない。おかげで強力接着剤で貼りつけたコンタクトレンズのようにどんよりとしたウロコ越しの風景しか見えない。
唐突だがやはり岐阜は山と渓谷の地だと思う。最近行った板取の山や渓を何かにつけて思い出している。
30代前半、若い日の夢の挫折の中で自堕落な生活を送っていた20代の後半にけじめをつけて新しい仕事を始めたと同時ぐらいに、渓流釣りの虜になった。
暇を見つけて谷へ通った。
夜中の2時に仕事を終えて、それから出発し、朝間詰め(此の時間帯と夕間詰めがよく釣れるのだ。渓流魚のお食事時間なのだろうか)に谷へ着き、ひとしきり釣ってから渓の木陰で昼寝をし、とんで帰って営業時間に間に合わせるという離れ業もよくやった。
これは養殖のアマゴ でも渓流の女王の面影はある
釣れたときには、「長良川水系吉田川〇〇谷のアマゴ」などと自慢気に書いて塩焼きで売ったこともある。
もちろん、ガソリン代や労賃からいったら完全な赤字なのだが、釣り人はそんな顕示をしたいものなのだ。
それが20年ぐらい続いたろうか。えさ釣りもルアーもフライもひと通りはやった。それがどうしたはずみか急に、行かなくなった。
肉体的な限界もあった。渓流釣りは鮒釣りなどと違って同じ場所で粘るわけではない。ほとんど沢登り同様で、行く手を阻む滝などがあると、遠巻きと言ってその周りをよじ登って上流へでなければならない。
この突き当たりの暗いとこところに尺イワナが
ただでさえそうなのに、何度かのブームがあって渓が荒れ、魚影も少なくなり、林道に車を止めて渓に降りたらそこから釣り始めることが出来る場所などほとんど無くなってしまったのだ。
車を止めたところからちょとした山を越えて林道も何も無い谷の上流へ出ることもざらだった。それでも釣れるという保証はなかった。
<釣りのガイド>まず手前の白い泡と岩の周りの泡の間の流れを丹念に探ります。それから、左上のややよどんだ暗いところを。それから、小さいポイントですが岩のすぐ右上の箇所、ともするとこんなところに大物がいるのです。
店で売ったり、近所へ配ってあるいたのも夢のまた夢になってしまった。
しかし、今でも渓を見ると血が騒ぐ。つい、あそこからこう竿を入れたら尺アマゴが・・・などと夢想する。
山はいい! 渓はいい!
こんなに暑い日が続くと、私の思いはそこへと逃避する。
熊よけの鈴を鳴らしながら、けもの道を行く若き日の私が目に浮かぶ。
そのせいで勉強が一向にはかどらない。一応、書に向かうのだが、今まで知っていたことの再確認ばかりで「目からウロコ・・・」がない。おかげで強力接着剤で貼りつけたコンタクトレンズのようにどんよりとしたウロコ越しの風景しか見えない。
唐突だがやはり岐阜は山と渓谷の地だと思う。最近行った板取の山や渓を何かにつけて思い出している。
30代前半、若い日の夢の挫折の中で自堕落な生活を送っていた20代の後半にけじめをつけて新しい仕事を始めたと同時ぐらいに、渓流釣りの虜になった。
暇を見つけて谷へ通った。
夜中の2時に仕事を終えて、それから出発し、朝間詰め(此の時間帯と夕間詰めがよく釣れるのだ。渓流魚のお食事時間なのだろうか)に谷へ着き、ひとしきり釣ってから渓の木陰で昼寝をし、とんで帰って営業時間に間に合わせるという離れ業もよくやった。
これは養殖のアマゴ でも渓流の女王の面影はある
釣れたときには、「長良川水系吉田川〇〇谷のアマゴ」などと自慢気に書いて塩焼きで売ったこともある。
もちろん、ガソリン代や労賃からいったら完全な赤字なのだが、釣り人はそんな顕示をしたいものなのだ。
それが20年ぐらい続いたろうか。えさ釣りもルアーもフライもひと通りはやった。それがどうしたはずみか急に、行かなくなった。
肉体的な限界もあった。渓流釣りは鮒釣りなどと違って同じ場所で粘るわけではない。ほとんど沢登り同様で、行く手を阻む滝などがあると、遠巻きと言ってその周りをよじ登って上流へでなければならない。
この突き当たりの暗いとこところに尺イワナが
ただでさえそうなのに、何度かのブームがあって渓が荒れ、魚影も少なくなり、林道に車を止めて渓に降りたらそこから釣り始めることが出来る場所などほとんど無くなってしまったのだ。
車を止めたところからちょとした山を越えて林道も何も無い谷の上流へ出ることもざらだった。それでも釣れるという保証はなかった。
<釣りのガイド>まず手前の白い泡と岩の周りの泡の間の流れを丹念に探ります。それから、左上のややよどんだ暗いところを。それから、小さいポイントですが岩のすぐ右上の箇所、ともするとこんなところに大物がいるのです。
店で売ったり、近所へ配ってあるいたのも夢のまた夢になってしまった。
しかし、今でも渓を見ると血が騒ぐ。つい、あそこからこう竿を入れたら尺アマゴが・・・などと夢想する。
山はいい! 渓はいい!
こんなに暑い日が続くと、私の思いはそこへと逃避する。
熊よけの鈴を鳴らしながら、けもの道を行く若き日の私が目に浮かぶ。
我が隠居殿はもちろん体力のいる渓流釣りなどとんでもない、もっぱら安全な鮎友釣りばかりです。
開高健さんの本私も「なんじゃいな・・」と思いました。料理人を連れて行き、良いのが釣れると「清涼魚にしよう」とのたまわり料理させるというので・・・でもあの人はひどいそううつだったし、お供の人皆にふるまうには仕方なかったのでしょう。そういえば佐高信氏に「本の紙魚」といわれた谷沢永一氏もそううつ仲間で、今頃はあの世で2人酒をくみかわし、ああだこうだと楽しく話していることでしょうね。
萬吉さんは伝説中の人でしたね。
萬吉さんはどちらかというとアユが主体でしたから、「食い波」とは多少ニュアンスが異なるかも知れませんが、川の流れ、波の形状を観て、その底面を推測し、奈辺に魚がいるかを推理する点では共通でしょうね。
>元部平憐 さん
開高健氏の『フィッシュ・オン!』を興味深く読んだことがあります。「なんじゃいこのひと、ベトナムに取材に行った傍らメコン川で巨大魚を釣ってるじゃん」などと思ったりしましたが楽しく読みました。
なお、標題の「フィッシュ・オン!」は、メコン川などでひとりであげられない様な巨大魚がヒットした場合、こう大声で叫ぶのだそうです。
すると近辺の釣り人が自分の竿を投げ出してヘルプに駆けつけるのだそうです。ライバルでありながら協力者、とても面白い関係だと思いました。
「仕方ないな」と引き受けましたが、翌年死去。
最後の言葉は、こうだったそうです。
「敵は巨悪や。つらい場面があるだろうが、悠々と急げ」
むかし見た名鉄のポスターを思いだしました。そこには「海に愛、山に恋」とありました(愛と恋の位置が違っているかもしれません)。水と緑と空、これは永遠であってほしいですね。残念ながら小生が幼年期をすごした山あいの川は、数年前に尋ねたところ、堰堤がつくられ、枯れていました。
追記:もうひとつ思いだしたのは長良川の名人・古田萬吉のことです。<釣りのガイド>で示されていることは、萬吉のいう「食い波」のことではないか、と素人の想像をめぐらせています。