先般は正月用のお酒を頂いた話をした。
今回は青森のソウルともいうべきリンゴを頂いた話。
贈ってくれたのは津軽在住のTさんという女性。この方とはSNSで知り合ったのだが、お若い頃、集団就職で愛知県安城市辺りにに来られ、紡績を皮切りにレコード店など働いていらっしゃったという。その当時、定時制高校へ通われ、その折の教師だった男性が私の知り合いであったというご縁でTさんとも知り合うことができた。
津軽へ帰郷されてからの彼女は、りんご園やにんにく農家の手伝いをしながら、なかなか味のある油彩の絵画で、地方展の賞をたびたびとっている。SNSでの情報発信もなかなかユニークである。
そんな彼女だからリンゴの送り方も一通りではない。まさにそれが見ものだった。
贈っていただいたメインの品種は、現在の代表品種で青森リンゴの50%を占めるというフジを何十個かであったが、その最上段に並べられたものたちは、私にとってはまるでリンゴの博物館のように思えるものであった。
そこには、それぞれ品種の違う7個のリンゴが、彼女の配慮に依る手書きのラベルを付されて並べられていたのだ。
それらの品種は以下であった。
後列左より「星の金貨」「王林」「ぐんま名月」、中列左より「紅の夢」「トキ」「国光」、そして前列右が今回贈ってくれたメインのフジである。その左は、可愛らしい布製のリンゴである。まるでお手玉みたい・・・・。
こんなに多くの品種を一度に観るのは初めてである。もちろんその名前など知る由もなく、ただただ感服するのみだ。
これらについての、可愛らしい彼女の手紙が添えられていたので固有名詞を抜いて添付しよう。
さて、どれから食べようか。どれも気になるが、選んだのはこれまでに見たこともないちょっと黒ずんだ深い赤色で、異色の存在ともいえる中列左の「虹の夢」だった。これにして正解だったし、かつ驚いた。
これまで、その外皮が赤かろうが黄色かろうが、皮を剥いたリンゴというのはしっとりとしたクリーム色なのだが、これは違った。写真のように中までほんのりと赤いのだ。
これを皮切りに、いろんな品種のものを頂いたが、やや酸味がきついかな、これは甘いなといったぐらいで私の粗雑な舌にはその微妙な味の差は分かりにくく、いってみればもうどれも美味かった。
これは国光 フジと色合いは似ているが一回り小さい
中でもいちばん懐かしかったのが「国光」で、私の子供の頃、リンゴといったら「国光」と「紅玉」ぐらいしかなかった。彼女の手紙に依ると、「国光」は現在のメインの品種「フジ」の父方に当たるが、それ自体はもう希少品種とのこと。なんか惜しい気もするが、それが現在の主流の中に脈々と生きていると思えば慰めになる。
このリンゴの箱を開け、美しく並んだ林檎たちを見ながら私の脳裏に浮かび、その脳内で鳴り響いていたのはこの歌だった。最近はとんと聞かないが、どうしてなんだろう。
https:/ /www.yo utube.c om/watc h?v=pWC AnLGiM2 s
Tさん、今年のフィナーレを飾るにふさわしいプレゼント、ありがとうございました。
その美味しさもさることながら、いろいろと脳内を駆け巡る思い出などなども含めて、じゅうぶん楽しませていただいています。
【リンゴと卵のトリビア】
若い方は知る由もないが、戦中戦後の私の子供の頃にはリンゴと卵には共通点があった。
その一つはいまのような梱包資材がない頃、ともに籾殻が緩衝材として使われ、それを敷き詰めた中にリンゴも卵も並んでいたということだ。
そしてもう一つは、庶民にとってそれは、ほとんど病気のときにのみ味わえる貴重なものだったということだ。
卵は、最近やや怪しくなってはいるが戦後は物価の優等生といわれていてまあまあ気軽に手に入るが、戦前戦中は貴重品であり、病気見舞いなどに精をつけるとして珍重された。
リンゴもまた貴重品で、病気で食欲のないとき、摺りおろしたものを食べさせたりした。上に引用した「リンゴのひとりごと」の作詞者も、自分が入院していた折、見舞いに持参されたリンゴを題材にしてその詞を作ったといわれている。
今回は青森のソウルともいうべきリンゴを頂いた話。
贈ってくれたのは津軽在住のTさんという女性。この方とはSNSで知り合ったのだが、お若い頃、集団就職で愛知県安城市辺りにに来られ、紡績を皮切りにレコード店など働いていらっしゃったという。その当時、定時制高校へ通われ、その折の教師だった男性が私の知り合いであったというご縁でTさんとも知り合うことができた。
津軽へ帰郷されてからの彼女は、りんご園やにんにく農家の手伝いをしながら、なかなか味のある油彩の絵画で、地方展の賞をたびたびとっている。SNSでの情報発信もなかなかユニークである。
そんな彼女だからリンゴの送り方も一通りではない。まさにそれが見ものだった。
贈っていただいたメインの品種は、現在の代表品種で青森リンゴの50%を占めるというフジを何十個かであったが、その最上段に並べられたものたちは、私にとってはまるでリンゴの博物館のように思えるものであった。
そこには、それぞれ品種の違う7個のリンゴが、彼女の配慮に依る手書きのラベルを付されて並べられていたのだ。
それらの品種は以下であった。
後列左より「星の金貨」「王林」「ぐんま名月」、中列左より「紅の夢」「トキ」「国光」、そして前列右が今回贈ってくれたメインのフジである。その左は、可愛らしい布製のリンゴである。まるでお手玉みたい・・・・。
こんなに多くの品種を一度に観るのは初めてである。もちろんその名前など知る由もなく、ただただ感服するのみだ。
これらについての、可愛らしい彼女の手紙が添えられていたので固有名詞を抜いて添付しよう。
さて、どれから食べようか。どれも気になるが、選んだのはこれまでに見たこともないちょっと黒ずんだ深い赤色で、異色の存在ともいえる中列左の「虹の夢」だった。これにして正解だったし、かつ驚いた。
これまで、その外皮が赤かろうが黄色かろうが、皮を剥いたリンゴというのはしっとりとしたクリーム色なのだが、これは違った。写真のように中までほんのりと赤いのだ。
これを皮切りに、いろんな品種のものを頂いたが、やや酸味がきついかな、これは甘いなといったぐらいで私の粗雑な舌にはその微妙な味の差は分かりにくく、いってみればもうどれも美味かった。
中でもいちばん懐かしかったのが「国光」で、私の子供の頃、リンゴといったら「国光」と「紅玉」ぐらいしかなかった。彼女の手紙に依ると、「国光」は現在のメインの品種「フジ」の父方に当たるが、それ自体はもう希少品種とのこと。なんか惜しい気もするが、それが現在の主流の中に脈々と生きていると思えば慰めになる。
このリンゴの箱を開け、美しく並んだ林檎たちを見ながら私の脳裏に浮かび、その脳内で鳴り響いていたのはこの歌だった。最近はとんと聞かないが、どうしてなんだろう。
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Tさん、今年のフィナーレを飾るにふさわしいプレゼント、ありがとうございました。
その美味しさもさることながら、いろいろと脳内を駆け巡る思い出などなども含めて、じゅうぶん楽しませていただいています。
【リンゴと卵のトリビア】
若い方は知る由もないが、戦中戦後の私の子供の頃にはリンゴと卵には共通点があった。
その一つはいまのような梱包資材がない頃、ともに籾殻が緩衝材として使われ、それを敷き詰めた中にリンゴも卵も並んでいたということだ。
そしてもう一つは、庶民にとってそれは、ほとんど病気のときにのみ味わえる貴重なものだったということだ。
卵は、最近やや怪しくなってはいるが戦後は物価の優等生といわれていてまあまあ気軽に手に入るが、戦前戦中は貴重品であり、病気見舞いなどに精をつけるとして珍重された。
リンゴもまた貴重品で、病気で食欲のないとき、摺りおろしたものを食べさせたりした。上に引用した「リンゴのひとりごと」の作詞者も、自分が入院していた折、見舞いに持参されたリンゴを題材にしてその詞を作ったといわれている。