トランプ氏はいう。偉大なアメリカを取り戻す戦いが始まったと。
それに先立ってわが安倍氏はいった。失われた70年を取り戻すのだ。そのための憲法論議をよりシビアに始めるのだと。
闘争し、勝つことへの執念。
かつてナチスの将校、ヒムラーはその配下の兵士たちにこう語ったという。
「自然を見よ!どこをみても闘争がある 動物界でも植物界でもそうである。闘うことに疲れたものは没落するしかないのだ」
これらは社会ダーウィ二ズムに依拠した言説といっていい。
現状を是認し、そこで闘えという。そして、そこで勝利したもののみが生き延びることができると。
しかし、動物界や植物界はヒムラーのいうような弱肉強食の世界ではない。そこにあるのは適者生存の論理で、環境に適応し得たものが生き延びるということだ。
もし、弱肉強食が一般的だとすると、虎やライオン、猛禽類などが今や絶滅の危機にあり、逆に敵を襲うことを知らないうさぎなど草食のいわゆる弱小動物が増え続けているのがなぜかをか説明することができない。
人間の世界はさらに異なる。適者生存の範囲を自ら広げる能力、これが動植物とは異なる点であり、それがいわゆる文明といわれるものだ。
だから、闘って勝つことによってのみ活路が開けるというのは実は野蛮への後退にすぎない。
適者生存の拡大という文明が、悲惨の減少や生存率の向上に繋がるとしたら、闘って勝つは、必然的に他方での敗者を生み出し悲惨を撒き散らすこととなる。
「闘って勝つ」を国是とすることは、したがって文明からの退却、野蛮への転落を意味する。
人間の想像力は、闘って勝つ以外の道をも見いだせるはずだし、そうあるべきだろう。
東西で、そして南北から聞こえる「闘って勝つ」のスローガンはとてもおぞましいものに聞こえる。
21世紀を、新自由主義が跋扈する時代にしてはならない。
なお、「闘って勝つ」というほど勇壮ではなくとも、現状を固定したものと考え、そのなかでうまく立ち回ることができれば大丈夫だとたかをくくるのも、いわば新自由主義の取り巻きとして、それを支え続けるものというべきだろう。
いよいよ、虎が野に放たれた感がある。