戦争は嫌だ。それを仕掛けたプーチンは悪い。擁護する余地はない。
だから何はさておき戦争をやめさせ、これ以上の犠牲者を出してはならない。
それを確認した上で言うのだが、プーチンの個性にそれを還元するのではなく、その歴史的背景も勘案すべきだろう。
かつてウクライナは、ロシアの圧力を跳ね返すために、ナチスドイツと組んだことがある。1941年から45年まで続いたいわゆる独ソ戦争がそれである。
この戦争で、当時のソ連はおおよそ2,300万人の命を失った。
なんとか独軍を押し返した結果、当時のソ連はウクライナを含む東欧圏を獲得した。
しかしそれらも、1990年代のソ連圏崩壊によってウクライナとロシアは従前の隣国の関係になった。
そして今度は、欧米側が西からロシアに迫りつつある。経済圏としてのEUと軍事面でのNATO(北大西洋条約機構)という実質上の軍事同盟だ。
ウクライナがそれに加入することは、国境を接しているロシアには脅威だ。
折しもウクライナでは、かつてナチスと組んで戦った将軍の名誉回復をし、通りの名前に採用したというニュースもあった。プーチンの口から、「ウクライナのネオ・ナチ化」などという言葉が発せられるのはこうした事情を指しているものと思われる。
そしてまた、つい昨日、ウクライナで抵抗する女性兵士を含む軍人たちの写真が載せられたが、すぐに削除されるという事態が起こった。この女性兵士の胸にナチの紋章がつけられていたというのだ。
これらを述べたからといって、プーチンの戦争を正当化しようとするわけではないし、プーチンを許すべきだというわけでもない。
どんな結末であるにしろ、やがて戦は終わらねばならないし終わらせねばならない。
実は、今更言ってもしょうがないが、戦端が開かれる前からの私の主張は、ウクライナはNATOへの加盟を棚上げにする。そしてロシアは、ウクライナへ侵攻しないであった。
おそらくそれに近い線での終焉が図られるであろうが、なぜここに至る前に、その線での妥協が一時的にしろなされなかったのか?こうした一定の犠牲を伴ってからしか歴史は動かないのか?
快楽原則や現実原則と同時に「死への欲動」の蠢きを許すことによってしかことは進まないのだろうか。
冬の寒さで開花が遅れているとぼやいていた父譲りの樹齢40年ほどの紅梅の鉢植えが、やっと花をつけはじめた。花は、少し望遠気味に撮ったほうがうまく撮れるので、かなり離れて撮るのだが、それでもその芳香が鼻孔をくすぐる。近づけばむせ返るほどだ。
戦争があろうがなかろうが、花は咲くし、私は飯を食わねばならない。
そこで最近の昼食から。
*その一 自家製のカレーうどん
ルーを使わないで、むかし家庭で作っていたように、カレー粉にメリケン粉を混ぜてよく溶き、一旦、火を止めて流し入れ、徐々に加熱してとろみを付けるようにした。
出汁は、実はこれ、前日のおでんの残りを使ったので、そのままの味にカレー味を加えたのみ。よく観ていただくと、うどんの具材はネギのほかはおでんの残り。
*その二 春キャベツ主体のラーメン
春キャベツ!柔らかみと甘みがベストマッチだ!ラーメンに使用。黒っぽいのはまだ茶色いものを自宅で湯がいた生わかめ。
出汁はオイスターソースやラー油、ごま油を隠し味程度に加えたが、基本的には塩味。その方が、春キャベツや生わかめが引き立つというものだ。
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