落語の「饅頭怖い」ではないが、ものはいってみるものである。
5月19日付のこの欄に、山椒が好きなのだが鉢植えのものを何度買ってきても枯らしてしまって巧く育たないと泣き言を書いた。
http://pub.ne.jp/rokumon/?entry_id=2162702
書いた本人はそんなことは忘れてしまって、先般、名古屋で月一回行われる勉強会というかお話会に出ていたら、あの記事を読んでくれたHさんという女性が、自宅で採ったという山椒の小枝を沢山持ってきて下さった。
これが本当の「驚き、桃の木、山椒の木」である。
スーパーなどで売っているポリ袋に入れたそれとは違って、香りはすこぶるいい。おまけに、山椒は小粒でぴりりと辛いという可愛い実まで付いている。
ところでこれをくれたHさんご夫妻、私と同じ岐阜のお住まいなのだが、岐阜の中心部を挟んでお宅は北東、私の家は南西と対角線上にある。従って、この山椒の枝は、Hさん宅から名古屋へ、そして名古屋から拙宅へと三角形の旅をしたことになる。
写真で見るとさほど量は多くないが、最初もらったのはこの数倍はあった。
お調子者の私は、頂いたのが嬉しくてそれを吹聴し、欲しい人にお裾分けをしたのだった。
そればかりではない。
この日の集まりは、やはり私がここに4月7日付で記した、わずか三年あまりの付き合いだったが同年齢ということもあり、それなりに濃密な関係であった伊藤益臣氏の死を悼み、彼を看とった方を招いてその晩年を聞く会でもあったのだ。
http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20090407
かの益臣氏と彼女の晩年が、充実し、互いに満たされたものであったことを聞き、死んでしまった益臣氏に嫉妬すら覚えた次第であった。
で、なぜそれが山椒と関連するかは次のような経緯があったからである。
定例の会が終わった後、益臣氏がかつてよくいっていた補習事業(2次会)も終了し、いつもなら散会なのだが、有志の間で益臣氏の行きつけのバーというかスナックを訪問しようという話がまとまった。
筆頭のH氏(山椒をくれた人とは関係ない)をはじめ、Yさん、Kさん、そして私であった。
実はこの店、益臣氏とほとんど初対面の折、「六さん、是非付き合って下さい」と彼に連れて行かれた店である。
さすが、Mという企業とそのネットワーク内なのだろう、この店を訪れる後輩たちに対し、益臣氏は押しも押されぬ先輩面をしていた。
で、その話と山椒との関連であるが、私が酒というものを口にし始めた頃巷に蔓延していて、そしておそらくは益臣氏もそれを口に運んだであろうことが間違いないハイボールというものを飲みたくなって、私はそれを注文した。その酒に山椒の葉を浮かべて飲んだ。H氏もそれにならった。益臣氏がいたら彼もそうしただろう。
そんなわけでそこで一定程度消費したのと、それを説明したついでにその店に一枝置いてきたこともあって、私の持ち帰り分はさらに減少したのであった。
博愛衆に及ぼすということで、これをくれたHさんもこれを了承してくれることと思う。
なお、上の山椒の写真とともに写っている本は、朝日歌壇などで活躍したモーレンカンプ・ふゆこさんの歌集である。同時に発表した句集共々、日本総発売元のYさん(上にも登場した人)がその宣伝に獅子奮迅の努力をしている。
なお、モーレンカンプ・ふゆこさんにはかつてここでも言及したことがある。
彼女はオランダ在住だが、彼の地から日本の現状を憂う歌などを発表したところ、ネット右翼と目される連中が悪態をつき放題にし、彼女を売国奴と断じた言説がネットを飛び交った。
だが、彼らが決定的に知らない、また知ろうともしない現実がある。
それは、モーレンカンプ・ふゆこさんの熱烈なファンに美智子皇后がいて、二人はおそらく連絡もあるということである。
ネット右翼は、天皇家も反日であると断定するのだろうか。
なんともややこしい話である。
しかし、そんな生臭い話とは関係なく、山椒は確実にその香りを放っている。
5月19日付のこの欄に、山椒が好きなのだが鉢植えのものを何度買ってきても枯らしてしまって巧く育たないと泣き言を書いた。
http://pub.ne.jp/rokumon/?entry_id=2162702
書いた本人はそんなことは忘れてしまって、先般、名古屋で月一回行われる勉強会というかお話会に出ていたら、あの記事を読んでくれたHさんという女性が、自宅で採ったという山椒の小枝を沢山持ってきて下さった。
これが本当の「驚き、桃の木、山椒の木」である。
スーパーなどで売っているポリ袋に入れたそれとは違って、香りはすこぶるいい。おまけに、山椒は小粒でぴりりと辛いという可愛い実まで付いている。
ところでこれをくれたHさんご夫妻、私と同じ岐阜のお住まいなのだが、岐阜の中心部を挟んでお宅は北東、私の家は南西と対角線上にある。従って、この山椒の枝は、Hさん宅から名古屋へ、そして名古屋から拙宅へと三角形の旅をしたことになる。
写真で見るとさほど量は多くないが、最初もらったのはこの数倍はあった。
お調子者の私は、頂いたのが嬉しくてそれを吹聴し、欲しい人にお裾分けをしたのだった。
そればかりではない。
この日の集まりは、やはり私がここに4月7日付で記した、わずか三年あまりの付き合いだったが同年齢ということもあり、それなりに濃密な関係であった伊藤益臣氏の死を悼み、彼を看とった方を招いてその晩年を聞く会でもあったのだ。
http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20090407
かの益臣氏と彼女の晩年が、充実し、互いに満たされたものであったことを聞き、死んでしまった益臣氏に嫉妬すら覚えた次第であった。
で、なぜそれが山椒と関連するかは次のような経緯があったからである。
定例の会が終わった後、益臣氏がかつてよくいっていた補習事業(2次会)も終了し、いつもなら散会なのだが、有志の間で益臣氏の行きつけのバーというかスナックを訪問しようという話がまとまった。
筆頭のH氏(山椒をくれた人とは関係ない)をはじめ、Yさん、Kさん、そして私であった。
実はこの店、益臣氏とほとんど初対面の折、「六さん、是非付き合って下さい」と彼に連れて行かれた店である。
さすが、Mという企業とそのネットワーク内なのだろう、この店を訪れる後輩たちに対し、益臣氏は押しも押されぬ先輩面をしていた。
で、その話と山椒との関連であるが、私が酒というものを口にし始めた頃巷に蔓延していて、そしておそらくは益臣氏もそれを口に運んだであろうことが間違いないハイボールというものを飲みたくなって、私はそれを注文した。その酒に山椒の葉を浮かべて飲んだ。H氏もそれにならった。益臣氏がいたら彼もそうしただろう。
そんなわけでそこで一定程度消費したのと、それを説明したついでにその店に一枝置いてきたこともあって、私の持ち帰り分はさらに減少したのであった。
博愛衆に及ぼすということで、これをくれたHさんもこれを了承してくれることと思う。
なお、上の山椒の写真とともに写っている本は、朝日歌壇などで活躍したモーレンカンプ・ふゆこさんの歌集である。同時に発表した句集共々、日本総発売元のYさん(上にも登場した人)がその宣伝に獅子奮迅の努力をしている。
なお、モーレンカンプ・ふゆこさんにはかつてここでも言及したことがある。
彼女はオランダ在住だが、彼の地から日本の現状を憂う歌などを発表したところ、ネット右翼と目される連中が悪態をつき放題にし、彼女を売国奴と断じた言説がネットを飛び交った。
だが、彼らが決定的に知らない、また知ろうともしない現実がある。
それは、モーレンカンプ・ふゆこさんの熱烈なファンに美智子皇后がいて、二人はおそらく連絡もあるということである。
ネット右翼は、天皇家も反日であると断定するのだろうか。
なんともややこしい話である。
しかし、そんな生臭い話とは関係なく、山椒は確実にその香りを放っている。
補習授業にも出てくれたMさん。座っている場所、雰囲気がいつしか益臣さんそっくりなので驚きました。知ってか知らずかMさんは微笑みながら私に、益臣さんとの最後の最後の別れのときの気持ちを話してくれました。内容はYさんにもちゃんと伝えなければと思いました。
益臣さんの店でのハイボールに山椒の葉は、おしゃれでしたね。Kさんも楽しそうにグラスに浮かべていましたよ。他方で私は、山椒の葉をそのままかじってみました。益臣さんもきっとそうすると思ったからです。かじった山椒は、うまい山椒でした。かくて私は、Yさんへなすべき伝言をすっかり忘れました。
ところで、あの日の山椒の経路をトレースして見ますと、「人間は<モノ>と<ヒト>と<シルシ>と<コト>がつくる世界に生きている」とどこかで読んだことを思い出します。私の中では、いま、あの山椒はまさに<シルシ>となって広がっています。(山椒をくれた)Hさんに、私からもいわせてください。ありがとう
物事は、単純に二つに割りきれるものではありません。
小林よしのりの漫画では、「・・・と左翼はいう」
という表現が頻繁に出てきます。
このような、ステレオタイプ的な言葉は
好きではありません。
いわゆる、レッテル貼りです。
ですから、私は、右翼とか左翼とかいう
表現は使いません。
あの店での益臣氏との時間には、いつもHさんが立ち会っていてくれましたね。その意味で、Hさんとあそこを再訪できたのは良かったと思います。
また、YさんやKさんに、ここで私たちは益臣氏と戯れていたのですよという実態を知ってもらえたと思います。
山椒を噛むと口腔に広がる強烈な香り、これは、わざわざこれをお持ちいただいたもうひとりのHさん共々、益臣氏への記憶にも繋がりそうです。
私も今日、左翼とか右翼という規定が何かを同定するのに有効だとは思っていません。
ただし、ネット上で匿名性に隠れ、現状に批判的な言説に、非国民、売国奴、反日、チョーセン、シナ人という罵声を投げかけ、語らってブログを炎上させたりする連中を、現在の一般的な呼称に従いネット右翼、あるいはネウヨといいます。
私には自称「右翼」の友人もいて、その間には論争が可能なのですが、ここにいいう連中はそれですらありん。私もかつて、非国民、売国奴といわれ、シナかチョーセンへ行けといわれたことがあります。問答無用で対話すら成り立たないところでの一方的な言い立てです。
こうした連中は現在、一般にネット右翼、あるいはネウヨといわれているのですが、彼らをどう呼んだらいいのでしょうか? 現在使われている一般的な呼称より適切なものがあればそれを使用します。ご教示下さい。
なおこれらは、冒頭に述べた左翼vs右翼といった二分法とは全く別のネット上の現象を指すものだと理解していますし、それら一般的な二分法には私自身単純に分割不可能だと思っています。
「この道を泣きつつわれのゆきしこと わが忘れなばたれか知るらむ」
をタイトルにした小沢信男の代表作をまだ目にしていないのではないか、と蔵ってあった筈のその『新日文』(1964年)を、押し入れに入って探したのですが見当たりません。しかし先程「冠山」さんにテレしたら、持っているよとのことなので、来月には冬子さんはじめ皆々さんにご覧いただこうと思っています。
それは、田中克己の「この道を泣きつつわれのゆきしことわが忘れなばたれか知るらむ」をタイトルにした作品。
その作品が掲載されていた『新日文』1964年は、切り抜き保存した積もりだったので押し入入って探したのですが見当たりません。ため息ついて先程『冠山』さんにテレすると、あるよとのこと。
来月、来日の冬子さんを始め皆々さんの前に置くことを楽しみにしています。
冬子さんの句・歌集を読んで思ったことの一つ。
それは、冬子さんが美智子さんから助言を得たと思われる詩人・石原吉郎のことを、益臣を交えて話し合ってみたかった、ということでした。
山椒をこんなにも喜んでくださって恐縮ですがとてもうれしいです。益臣さんを偲んでみなさんで味わっていただいた由、もっとたくさん持って行けばよかったとおもいました。私のうちの庭には、山椒の芽がドクダミやシダの間からあちこちに生えてきているのです。手入れをあまりしていないので、まるで山の様です。苗の欲しい方には、今度何本でも持って行きます。御一報下さい。
終わりになりましたが、もくの会ではいつも楽しい時間を過ごさせていただき、ほんとうにありがとうございます。
こちらでは初めてですね。いらっしゃいませ。
先般の山椒、ありがとうございました。なんにでも乗っけて食べているので、家人があきれています。
昨日は米茄子のしぎ焼きを作りましたが、これは味噌の風味と相和してベストマッチでした。
益臣氏は本当に残念でした。
同年ということもあり、同じ時代を過ごしながら、相互に微妙に違う空気を吸ってきました。
その違いのようなものをもっと突っ込んで話してみたかったと悔やんています。
また、いろいろコメントを下さい。