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奥美濃寒水(かんすい)白山神社の掛踊=ユネスコ無形文化遺産を観る

2023-09-12 17:29:41 | 催しへのお誘い

 九月九日「重陽の節句」、古来、菊を嗜む日とするがそれは旧暦のこと、新暦ではやや早いと地区のサークルの人たちとともに、奥美濃寒水(かんすい)白山神社の掛踊を観にでかけた。
 郡上八幡からさらに20km近く北東へ分け入った山間部におおよそ三百年前から伝わるというここの秋の祭礼への奉納踊りは、昨年、郡上踊りなどとともにユネスコ無形文化遺産に指定されたものである。近くの郡上踊りは従来より有名で、ここの掛踊りもそのバリエーションぐらいに誤解されるかもしれないが、まったく異なる。その違いは追って説明しよう。

       

 夕方までの踊り見物、ここは10年ほど前にも訪れているが、人家が散財する農山村で、飲食店やコンビニなどはまったく存在しない地域である。したがって昼食や飲み物は用意してゆかねばならない。そこで、その事前調達で、目的地に一番近い長良川支流の吉田川沿いに走る国道472号線沿いにある道の駅・明宝(別名、摺墨=するすみの里)でそれらを求める。

      

 この道の駅がなぜ「摺墨の里」と言われるかというと、『平家物語』にもでてくる「宇治川の先陣争い」で、梶原源太景季が騎乗したという名馬、摺墨の産駒地といわれるからである。この道の駅の中央には、この摺墨と騎乗する梶原景季の立派な銅像が鎮座している。
 なお、これは郡上踊りの踊り歌10曲のうち、「かわさき」と並んで人気がある「春駒」の中でも歌われている。余計なことだが、この「春駒」、日本民謡のうちでは珍しくアップテンポな曲といわれる。以下を参照されたい。

 https://www.youtube.com/watch?v=q1DHd7CyMHg
 目的地、寒水白山神社へ着いた。10年前に来た折には、ずいぶん近辺を歩き回り、祭り支度の模様や神社へ集まる集落の人々を撮したりしたが、今回は体力の衰えを考え、神社近辺の寒水川やその付近を見て回るにとどめた。その代わり、神社で写真を撮るに適した拝殿廻りのやや高い位置に居所を構えて待機した。 

      

     
   
       
           グッズ売り場で待機する巫女姿のJC
     
           同様に待機する報道陣の一角
     
              始まりを待つ一般の人

 さて、郡上踊りと寒水の掛踊りの違いであるが、後者はそれが、盆踊りではなく秋祭りに神社へ奉納されるという点あり、さらに大きな違いは、郡上踊りが近郷近在はむろん、遠来の観光客をも含め不特定多数が参加する踊りなのに対し、この掛踊りは露払い2名から踊幟持ち4名に至る総勢100~130人の、それぞれ定められた衣装と持ち物が決まった「役者」たちによって演じられるという点にある。もちろん、その踊りの進行順序も決まっている。

           
             いよいよ入場 赤鬼姿の露払い
           
               主役・折太鼓の一人
      
                  花笠
        
         田打ち 文字通り田を打ち均す動作を演じる
      
                  笛吹き

 神社境内に入場した各役者が大きな円陣を組んでそれぞれの役割に応じた振り付けの舞をするが、そのクライマックスには、長さ3.6mシナイと呼ばれる花飾りを背負い、胸に太鼓を抱えた4人の折大鼓という主演クラスの踊り手が、その他の役者たちが作る円陣の中央で、音頭取りの歌に合わせ、太鼓を打ち鳴らしながら激しい動きの舞いを披露する。
 その舞の激しさに、シナイに飾られた花が散乱するが、それが地面に落ちるや三枚目役の大黒舞たちが素早く駆け寄り、その花を奪い合ったりして賑わせ、円陣の外の一般観客に手渡す。その花は縁起物で、家へ持ち帰り、一年間飾っておくといいことに恵まれるという。
     

 踊りは休憩を挟んで2時間ほど続くが、その登場人物の多彩さ、役割の違い、衣装の華やかさ、踊りそのものの流麗さなどなど、飽きる暇がないままに終わる。
     

                  奴 

     

                  花笠

      

                折太鼓

      

                  奴

           
               露払い=赤鬼の舞

 ユネスコ文化遺産指定後初めて、コロナ後初の一般観衆参加の催し、さぞかし観衆も多いだろうと思ったが、それほどではなかった。むしろ、10年前のほうが多かったように思う(翌10日にも開催されたからそちらが多かったかもしれない)。
 しかし、いくら観衆が多くても、この辺の集落に金が落ちる受け皿はないから集落が潤うことはほとんどない。なぜこんな無粋なことを言い出したかというと、この行事に寄せるこの地区の負担を考えたからである。

      
             これも含めた3枚は奴
      
     
     
              抱かれた子も参加者
     
            いよいよクライマックスへ

 すでに述べたように、この掛踊り、役者だけでも最低100人を要する。さらに裏方のスタッフなどを考えると、150人ほどが必要人員となる。
 ただださえ過疎化が進むこの集落で、これだけの人数を動員し、これを維持してゆくことは並大抵ではないことは、実行委員会の責任者の挨拶に滲み出ていた。

 実際のところ、多くの山村や漁村などで、代々続いたきた伝統ある祭りや行事が、人知れずひっそりと消えていった例は多いし、いまもその趨勢は変わらない。
 そんな折からユネスコ文化遺産への指定、精神的な励みになるし、行政からの助成金も多少は出るであろう。しかし、それを支える人手の減少は金銭づくでも片付く問題ではない。

      
            以下、クライマックスのシーン
      
      
      
      


 その意味では、こんな大変なものに指定されてしまった以上、もはややめるにやめられない足かせをはめられたともいえる。ようするに、これを存続させるための地域の人たちの甚大な努力は続くとうことだ。

 しかし、実際に私の眼前に繰り広げられた趣深い踊りの展開、それに参加した老若男女の人々の屈託のない爽やかな笑顔には、そうした裏事情を乗り越えて、一致団結してなにごとかを成し遂げた人たち特有の晴れやかな表情が溢れていた。

      

                                                                  大黒など

      

               退場する花笠

 それらの人々に心からの拍手を送りながら、私の中での葛藤は続く。都会地とは異次元の過疎化の中で、アヒルの水かきのような水面下の努力でやっと保たれている伝統行事、それをいつまでも続けとただただ思うのは、一応都会地に住む私のエゴイズムにすぎないのではないかと。
 私にできることは、今のところこうしてそれを不特定多数の人々に知らせることでしかない。

 *踊りであるから動きをとクライマックス近くの動画を3本載せておく。似たようなシーンになってしまった。もっと前半から動画に撮っておくべきだったと悔やんでいる。

    https://www.youtube.com/watch?v=9Zvlq8WwuKI
    https://www.youtube.com/watch?v=-uwa-QjAN28
    https://www.youtube.com/watch?v=rhnbd7dzHKU





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