2月1日の拙日記で触れたややレトロな建設機械の件ですが、今度はそれを使って行われている作業についての報告です。
私がここに越してきて以来四十数年間、ここはズーッと水田でした。
最初のは昨秋の写真ですが、こんなにたわわに実っていました(手前の箇所は休耕田です)。
ここに昨年末から異変が起き始めました。前述の機械が入って何やら作業が始まったのです。何がどうなるのだろうと思ってその変転ぶりを見極めようとしていたのですが、作業は遅々として進みません。二、三日根をつめて作業が続くかと思うとしばらくの間放っておかれます。
何やら土を掘ったり集めたりしているようですが、その全貌はつかめません。
はじめは土壌改造か何かで土を全部入れ替えるのかと思いました。
今年になって、何やら線状のものが走っていることに気付きました。畝なのです。それまでは真っ平らな田圃にくっきりと畝が立ち上がろうとしているのです。
それでも田圃の一隅に小山のように積み上げられた土が残っています。たぶん、畝の凹面から削り取った土なのでしょう。
で、どうなるんだろうかと見守っていたのですが、それから一ヶ月ほど放置されたままでした。ようするに二月一日の拙日記で述べたのは放置されたままの状況だったのです。
そして、二、三日前から、やっと新しい動きが始まりました。小山のような土が、中型のトラックに積まれてどこかへ運ばれ始めたのです。
山のように積み上げられた土が、田圃の真ん中でもどこか別の隅でもなく、まさにここにおかれて理由がやっとわかりました。この面こそトラックを横付けできる道路に面しているからです。
写真でご覧になるように運搬の作業は行われています。一体土はどこへ運ばれているのでしょうか。全部一人の作業ですかが、積む、運ぶの時間的なサイクルから見てさほど遠くではなさそうです。あとをついて行けば分かりそうなのですが、そこまでするのは野次馬道から著しく逸脱することとなります。
今日も土は運ばれています。あれだけ畝を作っただけなのにけっこうな量があるもんだと感心しています。
いずれにしろ、水田から畝が出現し、四十数年見慣れた水田に代わって、何か稲作以外のものが始まりそうなのです。それが何であるかはさっぱりわかりません。
願うことなら、私の目を楽しませてくれるものをと思うのですが、それは勝手な言い分に過ぎません。
というようなわけでそこに何が作られるのか、それはどんな絵になるのか、私の野次馬根性はまだまだ続くのでした。
最後ですが、私がここに来てからだけでも四十数年、それ以前おそらく何百年にわたって稲作の田圃であったところを、他のものに転作するということには重大な決断が必要だったことでしょう。
そして、昨年から三ヶ月にわたってまったく一人で、機械を操作して畝を作り、トラックを運転して土壌も運ぶという作業をこなしている彼の姿からは、その決断をなんとしても生かしてみせるという固い意志が溢れているようにみえるのです。
一介の野次馬ではありますが、彼の決断とそれによる労役が、豊かな成果をもたらすよう祈っています。
何ができるのか楽しみだなぁ。
また報告しますね。
私がここに越してきて以来四十数年間、ここはズーッと水田でした。
最初のは昨秋の写真ですが、こんなにたわわに実っていました(手前の箇所は休耕田です)。
ここに昨年末から異変が起き始めました。前述の機械が入って何やら作業が始まったのです。何がどうなるのだろうと思ってその変転ぶりを見極めようとしていたのですが、作業は遅々として進みません。二、三日根をつめて作業が続くかと思うとしばらくの間放っておかれます。
何やら土を掘ったり集めたりしているようですが、その全貌はつかめません。
はじめは土壌改造か何かで土を全部入れ替えるのかと思いました。
今年になって、何やら線状のものが走っていることに気付きました。畝なのです。それまでは真っ平らな田圃にくっきりと畝が立ち上がろうとしているのです。
それでも田圃の一隅に小山のように積み上げられた土が残っています。たぶん、畝の凹面から削り取った土なのでしょう。
で、どうなるんだろうかと見守っていたのですが、それから一ヶ月ほど放置されたままでした。ようするに二月一日の拙日記で述べたのは放置されたままの状況だったのです。
そして、二、三日前から、やっと新しい動きが始まりました。小山のような土が、中型のトラックに積まれてどこかへ運ばれ始めたのです。
山のように積み上げられた土が、田圃の真ん中でもどこか別の隅でもなく、まさにここにおかれて理由がやっとわかりました。この面こそトラックを横付けできる道路に面しているからです。
写真でご覧になるように運搬の作業は行われています。一体土はどこへ運ばれているのでしょうか。全部一人の作業ですかが、積む、運ぶの時間的なサイクルから見てさほど遠くではなさそうです。あとをついて行けば分かりそうなのですが、そこまでするのは野次馬道から著しく逸脱することとなります。
今日も土は運ばれています。あれだけ畝を作っただけなのにけっこうな量があるもんだと感心しています。
いずれにしろ、水田から畝が出現し、四十数年見慣れた水田に代わって、何か稲作以外のものが始まりそうなのです。それが何であるかはさっぱりわかりません。
願うことなら、私の目を楽しませてくれるものをと思うのですが、それは勝手な言い分に過ぎません。
というようなわけでそこに何が作られるのか、それはどんな絵になるのか、私の野次馬根性はまだまだ続くのでした。
最後ですが、私がここに来てからだけでも四十数年、それ以前おそらく何百年にわたって稲作の田圃であったところを、他のものに転作するということには重大な決断が必要だったことでしょう。
そして、昨年から三ヶ月にわたってまったく一人で、機械を操作して畝を作り、トラックを運転して土壌も運ぶという作業をこなしている彼の姿からは、その決断をなんとしても生かしてみせるという固い意志が溢れているようにみえるのです。
一介の野次馬ではありますが、彼の決断とそれによる労役が、豊かな成果をもたらすよう祈っています。
何ができるのか楽しみだなぁ。
また報告しますね。
水田は風景としてばかりではなく、生態系や水の循環にとっても重要な役割を果たしているようです。
なお、竹林は里山などで人の手が入らないため、ドンドン増えてほかの植物圏を圧迫しているそうなのですが、ただし、手の入らない竹林はとても乱雑で鬱蒼としていて、おそらくN響大好き。さんが残してほしいものとはイメージが違っていると思います。