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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

廃車へのオマージュ そして「消えた廃車」

2012-01-11 16:15:44 | フォトエッセイ
 もう何度も廃屋に惹かれると書き、それらの写真も載せてきた。
 同じように廃車にも惹かれる。とりわけ、下取りにも出されず、解体もされずに放置されているようなものにだ。

 廃屋の場合はもちろんそこで生活した人々への想像が膨らむが、それらは時間的な経緯に沿ったものであることが多い。どんな時代に建てられ、どんな人々がそこで生まれ、生活し、それぞれの時代を生きてきたのか、そしてなぜ廃墟と化したのか、などなどである。

       
                わが家に近い

 一方廃車に関する想像は平面や空間とかかわる。
 どこでできた車で、どんな人を乗せ、どんな道を走ったのだろうか。たぶん、私が行ったこともないようなところ、走ったことのない道を走り、見たことのない風景のなかを走っていたのだろう。
 最終的には何万キロぐらい走ったのだろうか。その間、事故には逢わなかったろうか。そして下取りにも出されず、廃車になって置かれているいきさつは。
 なかには、ある種の物語を秘めたものもあるようだ。

       

 上のものは3年ほど前、三方五湖近くの漁港で見かけたものである。
 漁具の保管庫のような役割をしていた。

       

 ついで、昨秋、中津川から下呂へ向かう街道筋で見かけたものである。
 車に詳しい人が見れば、どこのメーカーのどういった車かが分かるであろう。

       

 これが一番新しく、今年になって撮ったものだが、いくぶん謎めいている。
 運転席にも助手席にも何やらものがつめ込んであり、完全な廃車を物置がわりに使っているのだろうと思って前後に回ってみて驚いた。ちゃんとナンバー・プレートが付いていて、登録されている車両なのだ。したがって自動車税も払い、何年に一回は車検も受けなければならないはずである。
 しかしご覧のように、近年走った形跡はないし、これからも走るようには見えない。
 もう一つの驚きは、この車両は放置ではなく然るべき所に置いてあるのだが、その場所というのが、今こうしてこれを書いている私の部屋から直線距離にして50mと離れていないことである。そんなこともあってこれ以上詳しくは書きにくい。

 最後のものには物語がある。
 これはもう数年前に近くの川にかかる国道の橋梁近くで撮したものである。
 車そのものは上に掲げたものに比べ一番まともでまだまだ走れそうである。
 誰がこんな所にこんな車を捨てたのだろうと近づいて驚いた。
 中から老人と一匹の猫が現れたのだ。
 とっさのことで、モゴモゴと挨拶をしたのだが、先方もあまり気にせず軽く挨拶を返してよこした。

       

 こんなことを予期していたら、いろいろ尋ねるところだったのだが、驚きのあまり、また彼の生活を乱すことを恐れ、黙って引き下がった。
 写真で見る通り、リア・ウインドに紙が貼ってあるのは、住居を覗かれないための策である。
 私は当時、一度ぐらいこの写真をネットに載せたかもしれないが、その場所については慎重に特定されることを避けてきた。彼のすみかがそれらを取り締まる行政に知られ、強制撤去されることを恐れたからである。

 その後、そこを折に触れて訪れた。
 その老人にであったことはないが、車体の近くの鍋釜や焚き火の跡から、そこでの生活が継続されていることは確実だった。ただし、その車体が最初見た折に比べ輝きを失いつつあったのは止むをえないであろう。
 一度は、あの折の猫も見かけた。
 しかし、写真はもう撮らなかった。
 人が住んでいる以上、もう廃車ではない。

 昨年、久しぶりに行ってみた。
 そこに車両があったかすかな痕跡があるのみだった。

 
 

 

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