これは実際には動画で、文字が次第に集まるようになっていました。
中国の女性からX'masカード兼年賀状をもらいました。
それには以下のような文章が付されていました。
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ご無沙汰しております。
マスターはお元気ですか?
早くも2017年のクリスマスになります。2018年もすぐそこです。
月日が経つのは何と早いでしょう、と感心しながら、2018年の新年を迎えることになります。
今年の春から錦天城(Allbright)弁護士事務所の深セン事務所に転職しました。
それから、あっという間に年末になったという日々の忙しい業務に没頭していました。
あとどれ位続けられるか、体力次第です。
2018年はあまり変化のない、たまに息抜きができる、穏やかな一年になって欲しいですね。また、いつも通り、世界平和を願っております。
マスターにもご家族の皆様にも2018年がお元気で穏やかにお過ごすように、お祈りいたします。
2017年 冬至
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彼女はいまから20年以上前、中国からの留学生で日本にやってきて、当時私が経営していた居酒屋でアルバイトをしてくれていた人です。
私への便りが、「マスター」という呼びかけで始まるのは、当時、私が顧客や従業員さんからマスターと呼ばれていたからです。
その頃彼女は20歳前後でしたが、とても利発で、日本語の習得も早く(上の文章をご覧になってもわかると思います)、その辺の言語能力の低い日本人より遥かにうまい日本語を駆使しました。
酒場という場所柄、いまでいうセクハラ絡みの話題をふっかける客も時としてあったのですが、彼女は巧みな日本語でそれをうまくさばいていました。
加えていうなら、とても気立てがよく、また気が利くので、顧客からも従業員仲間からも可愛がられていました。いってみれば私の店のアイドル的存在でした。
法学部で、商法や民法畑を専攻していたのですが、その学業に専念するというので私の店を辞めました。その後も多少の連絡はあったのですが、いつの間にかそれも途絶えました。
ただ、風のたよりで大学院まで進み、学位を取ったことは知っていました。
その彼女と、どうして連絡が取れるようになったのかは長くなりますから、次回にでも述べます。
その後彼女は、その学業の成果を活かし、商社の貿易部門や法律事務所で仕事をしていたのですが、結婚し、一児をもうけたのを機会にいったんは仕事を退きました。しかし、子育てが一段落をした数年前からまた働いています。
北京の生まれ育ちなのですが、いまは深圳市(香港のすぐ北方 中国4大都市の一つで経済特区 中国のシリコンバレーと呼ばれている 人口1,500万人弱)で働いています。今年春までは日系の貿易商社にいたのですが、今は上の手紙にあるように、中国最大級の錦天城(Allbright)弁護士事務所に移ったようです。
これをみてもキャリアウーマンとしての彼女の能力の高さが伺えます。
しかし、余り忙しくなると、小説や映画が大好きな彼女の感性がその行き場所を失ったりしないかを心配しています。
まあしかし、私のことを思い出してこうして連絡をくれる限り、案じることはないように思います。
私の店で、かいがいしく働いていてくれた彼女の姿を瞼に浮かべると、つい微笑みが浮かぶのです。そして、次の瞬間、やがてその瞼に、ジーンっとするものを感じるのはやはり歳のせいでしょうね。