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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

田園、まさに荒れなんとす。

2012-07-27 03:44:42 | よしなしごと
 地方都市郊外の田畑や田んぼと住宅街がせめぎ合っているようなところに住んでいます。ここに住みだしてから40年余、おりからの高度成長期とあって瞬く間に市街化するのではと思ったのですが、その後の拡張の鈍化とともに私の住まい辺りが田舎と街の接合点になっています。

 ようするに、かつてからの集落があり、田んぼを一反(約9.9174㎡)埋めて作ったアパートなどがあり、その間に従来の畑や田圃が生きているというまだら模様のところなのです。

 最初の写真を見てください。私のうちから徒歩3分ぐらいのところですが、まばらに生えているのは草ではありません。稲なのです。
 他の田では整然と植わっているのに、なぜこんなにまばらなのかというと、ちゃんと田起こしや田均しがされ、田植えがされた田圃ではないからです。

       
 
 結論をいえば、今年から休耕田になった田圃なのです。そして生えているのは、去年の切り株から出た稲の葉なのです。人はもう、稲を作るまいと決心したのに、田は長年の稲づくりを覚えていて、このように葉を出したのです。
 それはまるで、田が「稲を作りたいよ」と叫んでいるかのようなのです。

 この田は、今年の5月、ほかの田が田植えん準備に入ったにもかかわらず、一向にその気配がなく、私をやきもきさせた田なのです。私はこの田のことを5月25日付の日記に以下のように述べています。写真も当時のものです。

 「夕方、近くを散策。去年までちゃんと耕作されてきた田んぼが、今年は田おこしもされず放置されている。三方を住宅に囲まれ(とくに南側は高い建物)、一方はバス通りという離れ小島のような田んぼなので、もう米作りを諦めたのだろうか。それとも、この農家に何か変事があったのだろうか。
 野次馬根性がむくむくもたげて気になることしきりだ。いろいろ事情はあろうが、田んぼが減ってゆくことは少なからず寂しい。」

            

 それが結局、今年から休耕田になってしまったのです。
 しかし、その休耕にとりわけ寂しさを覚えるのは私がここに住んで40年以上、ここには常に青々とした田が広がっていたからです。

 一昨年の9月13日には、私はこの田のヘリに座り込んで、稲穂を数える老婦人を目撃し、とそれに関する記事と写真を載せています。

 「たぶん、この年代の人ですと、一本一本の苗をまさに手植えをして、さらに炎天下で田の草取りをし、収穫時にはひと株づつ鎌で刈り取った経験があることでしょう。
 その背中からは、重労働であったとはいえ、稲という植物と日常的に向き合って生活してきた往時を懐かしむような感じも伝わってきました。

 そういえば、豪雨などによる増水の折、田圃の見回りに行った老人が流されて死亡するという報道によく接します。自然の脅威の前には、わざわざ見に行っても何ともしようがないように思うのですが、それでも稲を見捨てることはできないのでしょうね。
 私はそれらの報道に接すると、殉職・殉死を思います。

 この女性の背中からも似たようなものが伝わってきます。
 何か神々しいものなどというといささかオーバーでしょうか。
 彼女個人がというより、その背中を通じて何千年間かの農耕民族のたたずまいのようなものが伝わってくるのです。

 しばらく行ってから振り返ると、この老婦人、田圃へと降り立ち、わさわさと中へ分け入って行きました。
 きっと、雑草が生えているのでも見つけたのでしょう。」

       

 しかし今、私はその田がまさに死滅する瞬間に立ち会っています。取り立てていろいろなことは言いますまい。
 ただふたつだけ言います。
 ひとつは、私に背を向けて懸命に一つの穂についた稲の実を数えていた老婦人は健在でしょうか、それが気になります。
 もうひとつ、難しいことはわかりませんが、食料自給率の低下が取り沙汰されてされているなかで、こうしてどんどん休耕田が増えてゆくということは、どこか日本の農業政策に欠陥があるのではないかということです。

 自然の美しさということがいわれますが、日本の自然は徹頭徹尾、人びとの歴史的な営みによるものです。
 山林の美しさも、山の民がその生活のなかで必要な手を加えたものです。平野の美しさは、米作る民が織りなした水の経路に即した営みの痕跡です。

 今それが荒れ果てようとしているようです。
 昨年聞いた山の民の話では、山林に入ることがいまや意味を失い、山は荒れ放題で、崩れた林道ももはや修理されないとのことでした。
 田園でもまたまた同様のことが静かに進行しつつあるようです。
 自然が私たちの営みと不可分であるとしたら、そうした荒廃は自然が戻ってくることではなく、失われてゆくことではないかと思うのです。

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