材木屋について三回ほど書いてきましたがそのおまけのようなもの。
私んちというか、私んちに隣接する材木置場にテレビクルーが入ったのです。私を撮しに来たわけではないから関係ないのですが、材木置場との境界にある洗濯干場の使用はやめました。私のパンツで画面を飾るわけにはゆかないからです。
ところで、何を撮しに来るかというともちろん材木ですが、今回はその中でもイチョウの製材されたものが主役なのです。
なぜイチョウかというと、いま密かなブームとなっているイチョウのまな板生産プロジェクトの最初の関門、原材料となるイチョウを私の甥がやっている材木商が供給しているからです。
テレビの番組は、そのイチョウのまな板が原木から製品になってできるまでをドキュメンタリーとして撮すものらしいのです。
イチョウがどうしてまな板になるのかをWikiは以下のように書いています。
「イチョウは油分を含み水はけがよく、材料も均一で加工性に優れ、歪みが出にくい特質を持つ。カウンターの天板・構造材・造作材・建具・家具・水廻りなど広範に利用されており、碁盤や将棋盤にも適材とされるほか、特にイチョウ材のまな板は高級とされている」
ほかにもこんな記述もあります。
「いちょうは、和食の料理人が好んで使うまな板です。特にいちょうの一枚板のまな板を使うのはプロとしての憧れのようなもの。なぜいちょうが選ばれるかというと、最大の特徴は、含まれる油分が多いため、水はけがいいこと。カビの原因となる水が残りにくいから、カビが発生しにくいのです。
まな板は、硬すぎると包丁を傷めてしまうし、柔らかすぎると傷が多くついてそこから雑菌が発生してしまいます。いちょうは硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどいい硬さ。さらに、フラボノイドが多く含まれていて消臭効果があり、生魚を切っても匂いが残りにくいところも大きなポイントですね」
といったわけで、写真はすべてイチョウの木で、「A」とか「B」とか記してあるのは、節を避けた大まかな木取りの印なのです。
なお、ライトを浴びてインタビューに応えているのは私の甥っ子です。
まだ若いのですが、木に関しては、私の亡父、義弟譲りの三代目の専門家です。丸太を観ただけで、どの角度でどうノコをあてて製材したら、どんな木目の材木が得られるかを熟知しています。それによって、自然が育んだ命が私たちへの有用性として生き返るのです。
家業を継がなかった不孝者の私ですが、やはり材木屋の息子なのだと思います。
若年の頃(1960年頃)、私がTVで撮されたり、新聞に書かれたりして、同業の集まりなどで、「あんたんとこの息子さん、えらい派手にやっとんさるなも」と冷やかされても、「あれにはあれの考えがありますから」といってくれた亡父をしみじみと偲んでいます。
私んちというか、私んちに隣接する材木置場にテレビクルーが入ったのです。私を撮しに来たわけではないから関係ないのですが、材木置場との境界にある洗濯干場の使用はやめました。私のパンツで画面を飾るわけにはゆかないからです。
ところで、何を撮しに来るかというともちろん材木ですが、今回はその中でもイチョウの製材されたものが主役なのです。
なぜイチョウかというと、いま密かなブームとなっているイチョウのまな板生産プロジェクトの最初の関門、原材料となるイチョウを私の甥がやっている材木商が供給しているからです。
テレビの番組は、そのイチョウのまな板が原木から製品になってできるまでをドキュメンタリーとして撮すものらしいのです。
イチョウがどうしてまな板になるのかをWikiは以下のように書いています。
「イチョウは油分を含み水はけがよく、材料も均一で加工性に優れ、歪みが出にくい特質を持つ。カウンターの天板・構造材・造作材・建具・家具・水廻りなど広範に利用されており、碁盤や将棋盤にも適材とされるほか、特にイチョウ材のまな板は高級とされている」
ほかにもこんな記述もあります。
「いちょうは、和食の料理人が好んで使うまな板です。特にいちょうの一枚板のまな板を使うのはプロとしての憧れのようなもの。なぜいちょうが選ばれるかというと、最大の特徴は、含まれる油分が多いため、水はけがいいこと。カビの原因となる水が残りにくいから、カビが発生しにくいのです。
まな板は、硬すぎると包丁を傷めてしまうし、柔らかすぎると傷が多くついてそこから雑菌が発生してしまいます。いちょうは硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどいい硬さ。さらに、フラボノイドが多く含まれていて消臭効果があり、生魚を切っても匂いが残りにくいところも大きなポイントですね」
といったわけで、写真はすべてイチョウの木で、「A」とか「B」とか記してあるのは、節を避けた大まかな木取りの印なのです。
なお、ライトを浴びてインタビューに応えているのは私の甥っ子です。
まだ若いのですが、木に関しては、私の亡父、義弟譲りの三代目の専門家です。丸太を観ただけで、どの角度でどうノコをあてて製材したら、どんな木目の材木が得られるかを熟知しています。それによって、自然が育んだ命が私たちへの有用性として生き返るのです。
家業を継がなかった不孝者の私ですが、やはり材木屋の息子なのだと思います。
若年の頃(1960年頃)、私がTVで撮されたり、新聞に書かれたりして、同業の集まりなどで、「あんたんとこの息子さん、えらい派手にやっとんさるなも」と冷やかされても、「あれにはあれの考えがありますから」といってくれた亡父をしみじみと偲んでいます。