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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

洗濯物が乾くまで

2009-11-26 11:09:35 | ポエムのようなもの
  洗濯物が乾くまで

 

  小春日和の陽射しを浴びて
  僕ら洗濯物
  乾く

  はじめはどっしりしているが
  性格が落ち着いてるせいではない
  僕らの中の湿気が
  そうさせるのだ

  小春日和の陽射しを浴びて
  僕ら洗濯物
  乾く

 

  陽射しが強まり風が手助けをすると
  湿気たちが去って行く
  アバヨと蒸発し
  アバヨと風に乗って

  小春日和の陽射しを浴びて
  僕ら洗濯物
  乾く

  ずいぶん体か軽くなった
  風が僕らを揺らしにくる
  くすぐったくなって揺れていると
  僕らが風になる

  すっかり乾いてしまった僕らは
  もう洗濯物ではないのだろうか



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2 コメント

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Unknown (只今)
2009-11-26 17:45:13
 別れる時の挨拶は、「サヨナラ」でなく、六さんの言われる「アバヨ」か、でなければ「サラバ」と言いたい。
 「サヨナラ」には、左様ならば致し方なしとの湿り気が感じられますが、「アバヨ」にはあっけらかんとした乾きがあるからです。
 その台詞の似合う人が、今日(26日)の『朝日』夕刊「文化欄」に登場しています。
 一人は鶴見さん、今一人は、不正規職からやっと脱した気鋭の学者・道場親信(和光大準教授)。
彼のその言やよし。
  
 =50年代のサークル運動は、その後の「市民運動」への地下水脈となり、国家や企業から自立した創造的な生き方の基盤となっている。=
 これって、私たちのことを言ってるんだよね、ともーろくした私は嬉しく呟きした。
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Unknown (六文錢)
2009-11-27 11:26:05
>只今さん
 私も読みました。
 鶴見さんの短歌のシンポでの話、全部聞けたらと思いながら読みました。第二芸術論への反論、リアリティと幅がありますね。

 道場氏の話も興味深いですね。50年代のサークル運動の大半は「左翼」(とくに六全協後)の肝いりで出来、それらサークル内でのフラクなどによる引き回しもあったように思うのですが、そうした「左翼」の思惑からはみ出たところに、創造的なもの、自由なものが生み出されたように思います。
 その意味では、只今さんなどの辿られた経過は、道場氏の分析に一致すると思います。

 なお、後半の分断された自己がTVなどの受容本位の余暇に吸収され、共同性への道を絶たれている現状においてのサークルの意義は、私が勉強しているハンナの思考とも重なるように思いました。
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