【はじめに】もう何度かの土曜日を経験してきた。
70年以上生きてきたから、毎年五十数回の土曜日があるとして、約4,000回の土曜日を迎えてきたことになる。
それらのすべてがハッピィであったわけではない。
もしその全てがハッピィだとしたら、日曜日も月曜日も黙ってはいまい。
そんなわけで、今日は幾分ブルーな土曜日である。
そのわけはいうまい。いったところで人様の共感を得られる話でもない。
当然のことではあるが、こんな日の感慨は幾分八つ当たり気味になる。
どんな風にかというと、以下のようにである。
■午前中、近くの診療所へ行く。いわゆる病気の部類には入らないのだが、年齢から来る症状に対し薬などなど注入してその作用を和らげようという魂胆だ。
今回の目的はふたつ。ひとつは睡眠障害。
私のそれは途中覚醒といって、寝付きは悪くはないのだが2時間もすると目が覚めてしまい、そこから先の睡眠がうまく進まない。昨夜は特にひどかった。
変なときに目覚めてしまうと、変な想念に取りつかれる。
例えば、地球が爆発するのではないか、そしてそれはたぶん私のせいなのだといったことなどである。老人性の鬱というきわめて適切な表現が相当するのだろう。
もうひとつは、鉄板を背負ったように肩から背中が重いということである。
これも老人病には違いないが、徳川家康の「人生は重き荷を背負いて…」を連想させる。家康も頑固な肩こりであったに違いない。
それにしてもこの診療所、何度訪れてもBGMはモーツアルトの40番、しかも第一楽章のみのリフレインである。いくらモーツアルト好きでも食傷気味である。何よりもそこに四六時中いる自分たちが飽きないのだろうか。
■今日の新聞は読むところがない。品のない週刊誌以下の内容である。
A新聞の一面は、張という棋士が七冠を達成したという囲み記事のほかは、コラムも含めてすべてあの話である。
いま、それと並行して冬季国体が開催されている。A新聞は、それに関して、一段で見出しも含めて16行で片付けていた。
マニュアル写真をスキャナーで取り込んだのでよけいひどくなった
■私の住む地域で文化祭というものが行われている。市町村という大きな単位ではなく、小学校の一校下の規模である。その校下でのサークル活動の発表会と思えばいい。
見に出かけた。写真のコーナーで足を止めた。
「春へのざわめき」というタイムリーな題名を付けた作品があった。
しかし、その写真がよくない、やたら煩雑で、神経症を絵にしたような作品である。
どこのどいつがこんなものをと作者名を見たら、私の名前が記されていた。
下手くそめが!
■ブルーな土曜日といっても悪いことばかりではない。
私のうちの早咲きで桜ん坊のなる木の蕾が、昨日の雨にも誘われてもうかなり膨らんできた。
もう一週間もしたら、咲きそうな勢いである。
【おわりに】もうあと何回土曜日を迎えることができるだろうか。
そのうちにはもっとブルーな土曜日もきっとあることだろう。
今日はたぶん、そんな日のための練習に違いない。
70年以上生きてきたから、毎年五十数回の土曜日があるとして、約4,000回の土曜日を迎えてきたことになる。
それらのすべてがハッピィであったわけではない。
もしその全てがハッピィだとしたら、日曜日も月曜日も黙ってはいまい。
そんなわけで、今日は幾分ブルーな土曜日である。
そのわけはいうまい。いったところで人様の共感を得られる話でもない。
当然のことではあるが、こんな日の感慨は幾分八つ当たり気味になる。
どんな風にかというと、以下のようにである。
■午前中、近くの診療所へ行く。いわゆる病気の部類には入らないのだが、年齢から来る症状に対し薬などなど注入してその作用を和らげようという魂胆だ。
今回の目的はふたつ。ひとつは睡眠障害。
私のそれは途中覚醒といって、寝付きは悪くはないのだが2時間もすると目が覚めてしまい、そこから先の睡眠がうまく進まない。昨夜は特にひどかった。
変なときに目覚めてしまうと、変な想念に取りつかれる。
例えば、地球が爆発するのではないか、そしてそれはたぶん私のせいなのだといったことなどである。老人性の鬱というきわめて適切な表現が相当するのだろう。
もうひとつは、鉄板を背負ったように肩から背中が重いということである。
これも老人病には違いないが、徳川家康の「人生は重き荷を背負いて…」を連想させる。家康も頑固な肩こりであったに違いない。
それにしてもこの診療所、何度訪れてもBGMはモーツアルトの40番、しかも第一楽章のみのリフレインである。いくらモーツアルト好きでも食傷気味である。何よりもそこに四六時中いる自分たちが飽きないのだろうか。
■今日の新聞は読むところがない。品のない週刊誌以下の内容である。
A新聞の一面は、張という棋士が七冠を達成したという囲み記事のほかは、コラムも含めてすべてあの話である。
いま、それと並行して冬季国体が開催されている。A新聞は、それに関して、一段で見出しも含めて16行で片付けていた。
マニュアル写真をスキャナーで取り込んだのでよけいひどくなった
■私の住む地域で文化祭というものが行われている。市町村という大きな単位ではなく、小学校の一校下の規模である。その校下でのサークル活動の発表会と思えばいい。
見に出かけた。写真のコーナーで足を止めた。
「春へのざわめき」というタイムリーな題名を付けた作品があった。
しかし、その写真がよくない、やたら煩雑で、神経症を絵にしたような作品である。
どこのどいつがこんなものをと作者名を見たら、私の名前が記されていた。
下手くそめが!
■ブルーな土曜日といっても悪いことばかりではない。
私のうちの早咲きで桜ん坊のなる木の蕾が、昨日の雨にも誘われてもうかなり膨らんできた。
もう一週間もしたら、咲きそうな勢いである。
【おわりに】もうあと何回土曜日を迎えることができるだろうか。
そのうちにはもっとブルーな土曜日もきっとあることだろう。
今日はたぶん、そんな日のための練習に違いない。
ダミアの「暗い日曜日」というシャンソンがありましたね。~パダンーーパダンーーパダンまた聞こえるあの足音がーーー~という。
暗いときは暗くていいですよ。それでも時は過ぎて行きます。
今日は月曜日。雪村いずみの歌った「ブルーカナリー」も思い出しています。
さくらんぼの実る桜の蕾の、可愛らしいこと。
また綻んだら、見せて下さいね。
「ブルー・キャナーリー」は雪村いずみもですが、ダイナ・ショアーの原語盤も好きでした。高校生の頃、受験勉強をしながら聴いていました。アマリア・ロドリゲスの「暗い艀」とおなじ頃です。
歌といえば、今日の朝日歌壇・俳壇で、アメリカの竹中幾久子さんという人が、佐々木幸綱選の短歌で一首、金子兜太選と長谷川櫂選でそれぞれ別の句が選ばれているのが目に付きました。
うつし世の闇深ければきこえけり
寺山修司のマッチ擦る音 (岡田正子)
これは馬場あき子さんの選ですが、自己言及的な短歌ですね。
いい歳をして感傷に流されているわけには行きませんから、不眠と悪夢と自己嫌悪の世界から只今脱出中です。
ずいぶんこうしんがないからしんぱい。
わたしも、もう2かげつもじぶんのいえにかえってなくて、ほんとうにつかれたけど、もうちょっとのがまん。
こうどこうげんにも、もうすぐ春がやってくるけど、六おじさんのとこは、もう春がドンドンとびらをたたいているよね。
心配をかけてすみません。
ちょっと心身のバランスを崩して、今までのように何かを書き散らす自分に自己嫌悪のようなものを感じてしまいました。
今は少し薄らいできて、稿料をもらって書かなければいけないものや、仲間内との約束のものには手をつけ始めています。
しかし、いったん目覚めた自己嫌悪のようなものは周波的にやってきて、一度書いたものを載せずにそのまま没にしたりしてきました。
そんなことで気づいたら一週間以上書けませんでした。
でも、着実に回復しつつあります。
とりあえず、写真だけでも載せるところから始めます。
先般は猫のさんこさんから、今回は犬のなつめちゃんから、慰めの言葉をもらって、私は幸せです。
春のニュースでも載せますか。