当地では珍しく-5℃を記録する寒さの中、またその枝に先頃降った際の残雪を留めている樹で、枇杷が花を付けました。
この前からつぼみが膨らんではいたのですがちらちらっと咲き始めたのです。
目立たない地味な花ですが、房状になった花の一つ一つは桜や梅に似ています。
けっこう花房を付けていますから、今年も沢山実を付けることでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/60/e8479de82eaa834fa4c4f6891ac83b95.jpg)
話は全く変わりますが、今朝の新聞で見た週刊誌の広告についてです。
私は週刊誌を読む習慣(ここんとこ洒落ではありません)はないのですが、その広告は電車の宙吊りなども含めてよく見ます。結構面白いですね。
ところでここに並んで載っている「週刊文春」と「週刊新潮」の二誌の構成、同じ人が編集長ではないかと思うくらい驚くほど似ていますね。
右のトップ部分は民主党とその内閣の批判記事、そして左の特集部分は東宮ネタと全くうり二つです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/69/5d697367e3e827dfac48f605c7013a35.jpg)
あんまり似すぎると両誌の特徴がなくなってしまうのではないかと心配するのですが、もちろん余計なお世話でしょうね。
読んではいないのでこの両紙の内容については言及しませんが、これらとの比較において、一般の新聞の政治面での論調がほぼ同じであることが気にかかります。
かつては一般紙はそれなりの矜持があり、特に政治面については世論誘導的な記事は慎重に避けていたのですが、昨今はここに載せた両週刊誌と余り変わらないようです。
ようするに、一般紙は比較的淡泊で、週刊誌の方は一般紙が書かないレベルまで言及するという棲み分けがあったようなのですが、どうもそのボーダーが怪しくなっているように思うのです。
報道というのはいろいろ多様性があることが望ましいと思います。
一般紙はその社なりの一つの筋に従って冷静に書くべきでしょうし、週刊誌はさらにえぐい記事をものにして一般紙を出し抜く、そうした棲み分けや多様性がないと単一の世論形成にお互いに寄与しているようで、面白くはないし、また恐い点もあるように思います。
この前からつぼみが膨らんではいたのですがちらちらっと咲き始めたのです。
目立たない地味な花ですが、房状になった花の一つ一つは桜や梅に似ています。
けっこう花房を付けていますから、今年も沢山実を付けることでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/60/e8479de82eaa834fa4c4f6891ac83b95.jpg)
話は全く変わりますが、今朝の新聞で見た週刊誌の広告についてです。
私は週刊誌を読む習慣(ここんとこ洒落ではありません)はないのですが、その広告は電車の宙吊りなども含めてよく見ます。結構面白いですね。
ところでここに並んで載っている「週刊文春」と「週刊新潮」の二誌の構成、同じ人が編集長ではないかと思うくらい驚くほど似ていますね。
右のトップ部分は民主党とその内閣の批判記事、そして左の特集部分は東宮ネタと全くうり二つです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/69/5d697367e3e827dfac48f605c7013a35.jpg)
あんまり似すぎると両誌の特徴がなくなってしまうのではないかと心配するのですが、もちろん余計なお世話でしょうね。
読んではいないのでこの両紙の内容については言及しませんが、これらとの比較において、一般の新聞の政治面での論調がほぼ同じであることが気にかかります。
かつては一般紙はそれなりの矜持があり、特に政治面については世論誘導的な記事は慎重に避けていたのですが、昨今はここに載せた両週刊誌と余り変わらないようです。
ようするに、一般紙は比較的淡泊で、週刊誌の方は一般紙が書かないレベルまで言及するという棲み分けがあったようなのですが、どうもそのボーダーが怪しくなっているように思うのです。
報道というのはいろいろ多様性があることが望ましいと思います。
一般紙はその社なりの一つの筋に従って冷静に書くべきでしょうし、週刊誌はさらにえぐい記事をものにして一般紙を出し抜く、そうした棲み分けや多様性がないと単一の世論形成にお互いに寄与しているようで、面白くはないし、また恐い点もあるように思います。
そういえば、健康雑誌もそうですね。やはり数社がこぞって広告を出しているのですが、どれがどれだか全く見分けがつきません。
ただし、正直に言うとさ昨年末以来の腰痛で、ついちらりと視線が向かったのは事実です。
でも、読んだら治るのでしょうかね(などといいながら、今度図書館へ行ったら覗いてみたりして)。
ところで、某「雑記通信」、各紙の菜の花掲載カルテルを暴いたのを皮切りに、さらに一層メディア・リテラシーにチャレンジされることを期待いたします。
そういえば「文春」のほうにはありますが「新潮」にはありませんね。
この号の名古屋地区に関しては「文春」の圧勝でしょうね。
それに関心を示した市民が買う上に、不都合な人たちが買い占めるとしたら大変な売り上げですね
それにしても一冊三五〇円のものを何万部と買い上げる資金はどこから出るのでしょう。
「新潮」もあとを追うのかなと思いましたが、選挙に突入してからはもう書けないのでしょうね。
情報を上からの下達ではなく、その質、量ともに需要の方から積み上げてゆく試みですね。
>九条護。さん
そうですか。
そうすると 週刊文春vs週刊新潮
週刊ポストvs週刊現代
という関係が成立しているわけですね。
それにしても前者の組み合わせは、その広告で見る限り双生児のように似ていますから、九条護。さんのおっしゃるように意識的にそうしているのでしょうね。
後者の広告の組み合わせ、今度注意してみています。
それはともかくこの地方の新聞にも、ついこの間まで季節の写真(例えば、渥美半島の菜の花)を同日に掲載するということしばしばで、これは両者の採点をする楽しみを読者に与えてくれるものでしたが、突然にそれがなくなりました。
一説には、心ない某雑記通信がそのことを採り上げたからだということも聞かれますが、真相は解りません。
内容は読んでみると、かなり違いますよ。
週刊ポストと週刊現代も同じ関係です。
これはこれで良いのです。以上四誌の読者として、
これが魅力なのです。
こういうものなのです。