本来なら今日は長良川中流域の鮎の解禁日であり、それに合わせ、長良鵜飼、小瀬鵜飼が開始される日でもある。
しかし今のところ、このコロナ騒ぎで開始の目処は立たず、延期されることとなっている。無観客で、つまり、遊覧船での観覧をなくして、ただ鵜飼漁のみをという案もあるようだ。
鵜飼といえば岐阜の観光の目玉、この痛手は大きい。とりわけ今年は、その期待値が大きかったこともあって、いっそう落胆の度合いも大きいようだ。
というのは、NHKの大河ドラマ『麒麟が来る』の特にその前半は岐阜が舞台で、それだけに従前から手ぐすね引いて今年の観光収入を当て込んでいたからだ。
もちろんこれは鵜飼のみならず、美濃から飛騨を含めた岐阜県全体の期待を担ったものだった。
それがこの騒ぎ。観光収入は増収どころか例年の実績を大きく下回るであろうことはすでに明らかだろう。
それだけではない。これまでに使った自治体や地域全体の宣伝経費はすべて空振りに終わるし、一部の観光施設は、人員の増加や設備の整備、増設でさまざまな投資をしているところも多い。
そのために借り入れをしたりしていれば、負債のみが残ることとなる。
大河ドラマや朝ドラに依拠して地域の振興を夢見るというのは、次第に大きくなる地域格差の中で、地方が試みる藁にもすがるような試みだ。それを無残に打ちひしがれた口惜しさは大きいだろう。
しかし、それを愚痴ることもなく岐阜県人は感染の防衛に歯を食いしばっている。
今年の後半、もしこの騒ぎが落ち着いたなら、岐阜へ足を運んでほしい。ここでの私の知人なら、一部の案内をかってでても良い。
奥美濃に発した清流長良川が、山あいを縫うようにして流れ、岐阜市の北部で濃尾平野へとデビューする、どこか懐かしさを誘う土地だと思っている。
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https://www.youtube.com/watch?v=3xhYFA6rvS8
これからの宵、長良河畔の散策は気持ちがいい。伊吹山から養老山脈にかけて日が落ち、川面を夕闇が満たす頃、上流から篝火を焚いた六艘の鵜舟が順に下ってくる。それが近づくに連れ、トントントンと船べりを叩き、ホウ、ホウ、ホウと鵜を励ます掛け声が涼風に乗って聞こえはじめる。
篝火の火の粉が川面に散り、流れを赤く染める中、鵜匠が操る12羽の鵜が、代る代る潜り、鮎を捕らえる。それらを注意深く見守っている鵜匠が、これという鵜を船べりに引き上げ、鮎を吐かせて取り込む。
やがて、漁の終着。六艘の船が横一列に並び、鵜を操る。クライマックスの総がらみだ。鵜を引き上げ、鵜籠に戻す頃、篝火も痩せ、やがて深い闇と静寂が支配する時間が訪れる。
「ぎふの庄ながら川のうがひとて、よにことごとしう云ひのゝしる。まことや其興の人のかたり伝ふるにたがはず、浅智短才の筆にもことばにも尽くすべきにあらず。心しれらん人に見せばやなど云ひて、やみぢにかへる、此の身の名ごりおしさをいかにせむ。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉 (真蹟懐紙・夏・貞享五)」