人を殺傷できる道具が日常的に手の届くところにあるとしたらどうでしょう。
私は勝手に自分のことを温厚だと思っていますが、それでも時折は、「あいつは許せない。この世から消したほうが」と思うことがないわけではありません。あるいは、自己嫌悪のあまり、周辺を皆殺しにし、自分も命を絶とうと思うことがあるかもしれません。
そんな折に、私を諌めるのは、ある種の自制心と同時に、それを実行しようにもその手段が身近にないという事実です。だから、私のような軽薄な人間でもこれまで人を傷つけたりしないで済んできました。
しかし、自分の怒りや自暴自棄を短絡して実現しうる社会があったとしたらどうでしょう。それがまさにアメリカの銃社会なのです。
2017年の統計によれば、アメリカでは市民の約40%が銃を所有し、その総数は2億7,000万丁(複数所有を含む)にも及ぶといいます。それを反映して、アメリカでの銃による死者は年々ゆうに1万人を超えています。ちなみに、日本での銃による死者は毎年、数人程度です。
強盗や抗争、自殺など犠牲者は多岐にわたりますが、一時に多数の犠牲者を出す銃乱射事件も絶えません。1992年に起きたコロンバイン高校での13名が死亡した事件は、マイケル・ムーア監督の映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』によって著名になりましたが、その他、2017年ラスベガスの58人死亡、2016年フロリダ州ゲイ・ナイトクラブ50人死亡、コネチカット州サンディフック小学校28人、テキサス州サザーランドスプリングスキリスト教会27人、そして昨年の2月14日、フロリダ州パークランドの高校で17人が犠牲となった事件など、数え上げたら枚挙にいとまがありません。
在りし日の服部剛丈君(右)
ところで、そうしたアメリカでの銃社会についての日本人の犠牲者として思い起こされるのは、1992年、滞米中の高校生、服部剛丈君(ヨシヒロ君 当時16歳 名古屋の旭丘高校から盛田財団の奨学生として留学中)がハロウィンの最中、ルイジアナ州バトンルージュ市において銃で撃たれ、死亡した事件です。その詳細は以下にあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%95%99%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この悲しい出来事の通夜の席で持ち上がった、服部くんを偲び、アメリカでの銃暴力規制のための運動が、のちの「YOSHI(ヨシ)の会」で、そのコンセプトに基づく運動は、今日に至るまで連綿として継続しています。それらの内容は以下にあります。
http://www11.plala.or.jp/yoshic/
今回、その「YOSHIの会」が、とてもユニークで興味深い絵本を世に送り出しました。『アリッサとヨシ Alyssa and Yoshi』というタイトルです。どこがユニークかというと以下の諸点についてです。
この絵は服部剛丈君が中学3年の折の版画
1)絵本の作者は、亡くなった服部くんのお母さん、服部美恵子さんです。
2)この絵本の文章は、日本文と英文とが同ページの上下にあり、アメリカでの頒布にも対応しています。同時に、私のような英語初心者にとっては、英語の勉強にもなります。
3)絵本ですから当然、絵が付随していますが、それらの絵は特定の個人が描いたものではなく、愛知県あま市の甚目寺中学の学生400人の描いたものから選ばれたものです。
中学生たちは、アメリカのの銃社会について学び、絵本の文章部分を読んだ後、それぞれ想像を膨らませて絵を描いたそうです。ですから、一枚一枚、画風は違いますが、どれも力作揃いです。
4)この絵本の扉の部分には、亡くなった服部くんが中学の三年時に作った版画が載せられています。
5)これは内容に関わる部分ですが、 タイトルの「ヨシ」は服部君のことですが、「アリッサ」は上にも述べた昨年2月のフロリダ州パークランドの高校での銃乱射事件の犠牲者のひとり、アリッサ・アルハデフという女の子(当時14歳)です。
この二人が、天国で出会い、語り合うなかで、自分たちが理不尽に死ぬことになった銃社会についても語り合うというのが大筋です。
もちろん銃規制に関するプロパガンダもでてきますが、それ以上に、少年と少女のみずみずしい会話が続き、上に述べたように若い中学生たちの感性豊かな絵が添えられて、この絵本をぐんと引き立てています。
私が載せた写真などから、それをご想像ください。
一般書店には置かれていませんが、ご興味のある方は以下のアドレスへご注文、ないしはお問い合わせをしてください。一部、600円です。それによる収益は、もちろん、銃規制運動に充当されます。
yoshi-c@wmail.plala.or.jp
アメリカでの銃所持が、その建国以来の精神で、権力に武力を集中しないという意味で正当化する考え方があることもじゅうぶん知っています。しかし、権力がもつからわれわれもということではなく、権力のもつ武力が、自国民や他国民を殺傷しないこと、できればあらゆる権力が武力をもたない社会が到来すること、私は勝手にこの運動の射程距離が最終的にはここに至ると考えています。
銃や暴力に頼らない社会、それは端的に日本国憲法第9条のコンセプトなのですが、それ自身が危うくなっているいま、まず足元にある銃による暴力をなくそうという試みは、それを推し進める人たちのが考えている以上に、人類史的開けをもつかもしれないと勝手に思っているのです。
この絵本について伝える「中日新聞」
ある日、とつぜん銃が発射され、私たちをなぎ倒すような状況を生み出さないこと、そのためには、誰でもが銃を保持できる社会に厳しい規制を課すこと、まずはここから始めることが必要なのでしょう。
私は勝手に自分のことを温厚だと思っていますが、それでも時折は、「あいつは許せない。この世から消したほうが」と思うことがないわけではありません。あるいは、自己嫌悪のあまり、周辺を皆殺しにし、自分も命を絶とうと思うことがあるかもしれません。
そんな折に、私を諌めるのは、ある種の自制心と同時に、それを実行しようにもその手段が身近にないという事実です。だから、私のような軽薄な人間でもこれまで人を傷つけたりしないで済んできました。
しかし、自分の怒りや自暴自棄を短絡して実現しうる社会があったとしたらどうでしょう。それがまさにアメリカの銃社会なのです。
2017年の統計によれば、アメリカでは市民の約40%が銃を所有し、その総数は2億7,000万丁(複数所有を含む)にも及ぶといいます。それを反映して、アメリカでの銃による死者は年々ゆうに1万人を超えています。ちなみに、日本での銃による死者は毎年、数人程度です。
強盗や抗争、自殺など犠牲者は多岐にわたりますが、一時に多数の犠牲者を出す銃乱射事件も絶えません。1992年に起きたコロンバイン高校での13名が死亡した事件は、マイケル・ムーア監督の映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』によって著名になりましたが、その他、2017年ラスベガスの58人死亡、2016年フロリダ州ゲイ・ナイトクラブ50人死亡、コネチカット州サンディフック小学校28人、テキサス州サザーランドスプリングスキリスト教会27人、そして昨年の2月14日、フロリダ州パークランドの高校で17人が犠牲となった事件など、数え上げたら枚挙にいとまがありません。
在りし日の服部剛丈君(右)
ところで、そうしたアメリカでの銃社会についての日本人の犠牲者として思い起こされるのは、1992年、滞米中の高校生、服部剛丈君(ヨシヒロ君 当時16歳 名古屋の旭丘高校から盛田財団の奨学生として留学中)がハロウィンの最中、ルイジアナ州バトンルージュ市において銃で撃たれ、死亡した事件です。その詳細は以下にあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%95%99%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この悲しい出来事の通夜の席で持ち上がった、服部くんを偲び、アメリカでの銃暴力規制のための運動が、のちの「YOSHI(ヨシ)の会」で、そのコンセプトに基づく運動は、今日に至るまで連綿として継続しています。それらの内容は以下にあります。
http://www11.plala.or.jp/yoshic/
今回、その「YOSHIの会」が、とてもユニークで興味深い絵本を世に送り出しました。『アリッサとヨシ Alyssa and Yoshi』というタイトルです。どこがユニークかというと以下の諸点についてです。
この絵は服部剛丈君が中学3年の折の版画
1)絵本の作者は、亡くなった服部くんのお母さん、服部美恵子さんです。
2)この絵本の文章は、日本文と英文とが同ページの上下にあり、アメリカでの頒布にも対応しています。同時に、私のような英語初心者にとっては、英語の勉強にもなります。
3)絵本ですから当然、絵が付随していますが、それらの絵は特定の個人が描いたものではなく、愛知県あま市の甚目寺中学の学生400人の描いたものから選ばれたものです。
中学生たちは、アメリカのの銃社会について学び、絵本の文章部分を読んだ後、それぞれ想像を膨らませて絵を描いたそうです。ですから、一枚一枚、画風は違いますが、どれも力作揃いです。
4)この絵本の扉の部分には、亡くなった服部くんが中学の三年時に作った版画が載せられています。
5)これは内容に関わる部分ですが、 タイトルの「ヨシ」は服部君のことですが、「アリッサ」は上にも述べた昨年2月のフロリダ州パークランドの高校での銃乱射事件の犠牲者のひとり、アリッサ・アルハデフという女の子(当時14歳)です。
この二人が、天国で出会い、語り合うなかで、自分たちが理不尽に死ぬことになった銃社会についても語り合うというのが大筋です。
もちろん銃規制に関するプロパガンダもでてきますが、それ以上に、少年と少女のみずみずしい会話が続き、上に述べたように若い中学生たちの感性豊かな絵が添えられて、この絵本をぐんと引き立てています。
私が載せた写真などから、それをご想像ください。
一般書店には置かれていませんが、ご興味のある方は以下のアドレスへご注文、ないしはお問い合わせをしてください。一部、600円です。それによる収益は、もちろん、銃規制運動に充当されます。
yoshi-c@wmail.plala.or.jp
アメリカでの銃所持が、その建国以来の精神で、権力に武力を集中しないという意味で正当化する考え方があることもじゅうぶん知っています。しかし、権力がもつからわれわれもということではなく、権力のもつ武力が、自国民や他国民を殺傷しないこと、できればあらゆる権力が武力をもたない社会が到来すること、私は勝手にこの運動の射程距離が最終的にはここに至ると考えています。
銃や暴力に頼らない社会、それは端的に日本国憲法第9条のコンセプトなのですが、それ自身が危うくなっているいま、まず足元にある銃による暴力をなくそうという試みは、それを推し進める人たちのが考えている以上に、人類史的開けをもつかもしれないと勝手に思っているのです。
この絵本について伝える「中日新聞」
ある日、とつぜん銃が発射され、私たちをなぎ倒すような状況を生み出さないこと、そのためには、誰でもが銃を保持できる社会に厳しい規制を課すこと、まずはここから始めることが必要なのでしょう。