ソメイヨシノを追いかけるようにあちこちでハナミズキが咲いている。
この土曜日に行った岐阜県図書館の中庭では、ちょうど見頃の紅白のハナミズキが咲いていた。
このハナミズキは、いまや公園で、街路樹で、あるいは個人の庭園で、若い人たちには当たり前の光景になっている。しかしである、私のように古い人間にとっては、これほど多くのハナミズキを目にするようになったのは、せいぜい3、40年前からなのである。
私の10代、20代の頃には、それを見かけたことはなかった。おそらくそれを意識したのは40代の後半だったのではと思う。
この花の別名が、アメリカヤマボウシといわれるように、原産地はアメリカ大陸だからである。
それがどのようにして渡来したのかは、教科書にも載った時期があったようだから、知る人ぞ知るである。1912年、当時の東京市長(東京は市であった)が、友好の印としてアメリカにソメイヨシノの苗木を贈った。それが今に至るワシントンはポトマック河畔の桜である。
で、その返礼としてアメリカから贈られたのがこのハナミズキであった。その本数は、白40本、赤20本といわれる。麗しい花の交換物語である。
しかしながらそれから30年を経ることなく、日米は戦火を交えることとなったのも周知の事実。花を仲立ちとした友好を、政治的、経済的、軍事的国益が無惨にも蹴散らした歴史があるのだ。
この木がアメリカヤマボウシといわれる理由は、その花が日本の在来種、ヤマボウシに酷似しているからである。それもそのはず、両者ともにミズキ科の植物。
その違いはというとヤマボウシの花は白のみで、ハナミズキより遅れて花をつける。そのせいか、ハナミズキは葉よりも先に花をつけるが、ヤマボウシは葉がけっこう出揃ってから花をつける。
画面中央付近にキジバトが・・・・
一番の違いはその実だ。ハナミズキは花の後にそれぞれ独立した実を4個つけるが、ヤマボウシはまんまるな赤い実を一個付け、その中に4個の種子を蓄える。なお、この実はマンゴウに近い味がするというが、食したことはない。今度見かけたら試してみよう。
さて、話を戻そう。このハナミズキ、渡来して60年ほどしてから急速に全国に広まったようだ。そして今では、この時期を代表する花であるかのようである。
これを、政治、経済、文化、軍事における対米従属の象徴と見ることもできるかもしれない。しかしながら、できうるならば100年以上前の、友好交換のシンボルとしての意味合いをとりもどしてほしいものだ。状況はどう変わっても、花には罪はない。花は「なぜなし」に咲く。
「花ぞむかしの香に匂いける」だ。
この土曜日に行った岐阜県図書館の中庭では、ちょうど見頃の紅白のハナミズキが咲いていた。
このハナミズキは、いまや公園で、街路樹で、あるいは個人の庭園で、若い人たちには当たり前の光景になっている。しかしである、私のように古い人間にとっては、これほど多くのハナミズキを目にするようになったのは、せいぜい3、40年前からなのである。
私の10代、20代の頃には、それを見かけたことはなかった。おそらくそれを意識したのは40代の後半だったのではと思う。
この花の別名が、アメリカヤマボウシといわれるように、原産地はアメリカ大陸だからである。
それがどのようにして渡来したのかは、教科書にも載った時期があったようだから、知る人ぞ知るである。1912年、当時の東京市長(東京は市であった)が、友好の印としてアメリカにソメイヨシノの苗木を贈った。それが今に至るワシントンはポトマック河畔の桜である。
で、その返礼としてアメリカから贈られたのがこのハナミズキであった。その本数は、白40本、赤20本といわれる。麗しい花の交換物語である。
しかしながらそれから30年を経ることなく、日米は戦火を交えることとなったのも周知の事実。花を仲立ちとした友好を、政治的、経済的、軍事的国益が無惨にも蹴散らした歴史があるのだ。
この木がアメリカヤマボウシといわれる理由は、その花が日本の在来種、ヤマボウシに酷似しているからである。それもそのはず、両者ともにミズキ科の植物。
その違いはというとヤマボウシの花は白のみで、ハナミズキより遅れて花をつける。そのせいか、ハナミズキは葉よりも先に花をつけるが、ヤマボウシは葉がけっこう出揃ってから花をつける。
画面中央付近にキジバトが・・・・
一番の違いはその実だ。ハナミズキは花の後にそれぞれ独立した実を4個つけるが、ヤマボウシはまんまるな赤い実を一個付け、その中に4個の種子を蓄える。なお、この実はマンゴウに近い味がするというが、食したことはない。今度見かけたら試してみよう。
さて、話を戻そう。このハナミズキ、渡来して60年ほどしてから急速に全国に広まったようだ。そして今では、この時期を代表する花であるかのようである。
これを、政治、経済、文化、軍事における対米従属の象徴と見ることもできるかもしれない。しかしながら、できうるならば100年以上前の、友好交換のシンボルとしての意味合いをとりもどしてほしいものだ。状況はどう変わっても、花には罪はない。花は「なぜなし」に咲く。
「花ぞむかしの香に匂いける」だ。