昨日の朝日新聞にプロ野球広島カープで監督を務められた方の兄さんの話がありました。落とされた原爆で被災さていたそうですが、そのことを一言も口に出されることはなかったそうです。しかし今回、語り始められたとの記事でした。思い出したことがあります。極寒の地シベリアで11年間、死と直面してこられた方です。同じく収容されていた方々はその地獄故に発狂され、自殺される方々が絶えなかったとも聴きました。敵軍隊の靴の音が聞こえると、今日は自分が殺される番だと乱れられる姿が常だったようです。私が仕えたその方も同じ思いで想像を絶する過酷すぎる日々を送っておられたことは間違いありません。期間が11年間にも及んでも何の情報もないことから、そのご両親はその方が既に故人となっておられると思われていたそうですが、ご夫人は生存を信じておられたこともお聴きしたことがあります。その方は周囲から、当時のことを本に著されるよう要望され続けておられたようで、私も1度だけではありますが直接、ご本人に申し上げたことがあります。そのときのご返事は「50%はその気になっている」でした。しかし、とうとうそれは実現はされませんでした。周囲の方々のその要望に不純な気持ちはなかった、と推量しますし、勿論私もそうでした。後世の者が生きる上での糧として参考にできれば、との想いからであった筈です。しかし今、よくよく考えてみますと所詮は私も周囲の人達もその方の心の底の想いに到達出来る筈はなかったのです。冒頭記載の方もそうですが、過去の事実を思い出すことさえされたくなかった、触れたくなかったのに違いありません。