怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ドアノブの位置でのだめを思い出す。

2019年03月04日 | 家屋
愛読漫画「のだめカンタービレ」の内容に、ドアノブがドアの真ん中にある描写が何度も出ていた。
フランスには普通にあるのだろうな、と特に疑問に思ってはいなかった。きっと開け辛いのではないか、とも思っていた。
ここでも、ときどき見かける。

見るたびに「のだめカンタービレ」を思い出す。ああ、すでに古い作品になりつつあるなぁ。読み返してみると、連載時の時事問題や流行の物事がストーリーに織り込まれていて、当時は笑えたけれどいまじゃあ全く笑えない・・・

このドアは最近の流行でなく、昔のものなのだろう。

いちど、開け閉めしてみたいと思いながら毎回見ている。

新聞

2019年03月04日 | 交友関係
この地域で読まれている新聞の地域記事には、かなり頻繁に知人友人、親族などの写真が掲載される。
義母の妹もよく出ていて、そうした写真を見つけると荒っぽく(丁寧に、って書きたかったがその切った後を見るととてもそう表現しにくいのが難点)その部分を切り取って保存している。

Published in Donaukurier of 25. Januar 2019
人口規模の小さい街ならではの新聞記事だ。
この彼女は週に一度程度挨拶を交わすだけの関係だが、見た目が可愛らしいのでちょいと気になる人でもある。
英語の先生をやっているらしい。

今日もつくづく思った。
義母の家事支配権はまったく動じることなく、私はまったくそれに口を出すことは不可能であることを。
最近、義母の昼食作りを手伝うのが億劫だ。
以前よりさらに私の一挙一動が気になるようだ。すでに大丈夫だろうと圧力鍋のふたを取ろうとすると「まだだっ」、煮物の鍋をテーブルに移そうとすると「まだ味見をしていないっ」とうるさい。
すでに永らく、こうした扱いにも「家賃、家賃」と耐えてきているので大丈夫だが、それでもやはり、平静な信教ではいられない。
彼女が一人で台所に立っていたほうが、彼女自身の精神衛生にもいいだろう、とあまり手伝う気にならなくなっているのも事実だ。

ヒトの老化は他の動物と違うなあ、とつくづく思う。
身体が弱るより、精神面が硬直していくのが大変だと思う。自分が正しい、という感覚をなかなか変えることができなくなっていくのだろう。
私の彼女にって新しいやり方などは、もう、まるで受け入れられないし、そもそも自分の息子(私の夫)が肉食をかれこれ長く避けていることさえ受け入れられない様子だ。
今日も、ドイツ風カツレツを義母は息子にガンガン食え食え攻撃を仕掛けていた。
彼はもう慣れているのだろう、きわめて冷静に「ママ、僕は肉を食べない主義なんです」と言った。
この発言に対し、義母は「これは豚肉ではなく鶏肉です」と答えるのだから、もう、会話が成立していない。
豚も鶏も肉じゃあないかい?と脇から突っ込みたくなるのを我慢しているりす。
二人のこの同じ会話が今日の昼食時に3度ほど繰り返された。
夫が、声を荒げないで冷静に対処していることに驚かされる。さすが、義母歴私より長くて鍛えられえいるっ。

食べ切れなければ、そのまま残しておいて、後で食べればいいという考え方も義母は嫌な様子だ。
それについては義父と義母がほぼ毎日昼食時に討論している。
もう、これは挨拶のようなものなのだな、と自分がイライラしないように深呼吸しながら食べる。

ああ、義両親同居。
やはり、あまり勧める物事ではない。
自由はない分、恵まれている部分があるのは充分承知しているというのを再び書き添えておこう。