怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

つい数ヶ月まで馬鹿にしていたものに夢中になっている自分

2019年03月14日 | ここの生活
年末に夫に贈られたゲーム機とゲームソフトのひとつに夢中になっている私。
米国、欧州では「Yakuza」と名付けられている日本のゲームだ。
そのシリーズのひとつに、難関があり、攻略方法がインターネットにある。日本のサイトだけでなく日本人以外の書き手によるアドバイスや動画が存在していて、日本はゲームまで世界進出をしているのか、と驚かされる。

わたしも行き詰っていたこの難関。

英語で解説されているとこがこの作品の国際性を語ってくれるだろう。
さまざまなレベルを選ぶことができ、私は一番やさしいのでプレイしているのだが、それでもこのカーチェイスの銃撃は非常に難しかった。
できないと、次の段階に進めないのが辛いんだ。
「ああ、ゲームなんて、くだらない。ここで止めちゃおうか」
と何度か思った。
去年12月まで、こうした家庭用ゲーム機で遊ぶのは子供のもの、って思っていた。実際、訪問先でその家のティーンエイジャーの子供たちがテレビを目の前に何時間もコントローラーを握っている姿を見た。
ふん、くだらない・・・
なーんて思っていた私がこのゲームを始めて、真反対のことを考えているのに笑える。
ゲーム、凄い、って。

結局、カーチェイスで諦め切ることができず、このシーンを朝1回、夜1回練習し続けることにした。
毎回毎回、途中で主人公の桐生さんは銃撃で死んでしまって落ち込んだものだ。
その「途中」が次第に先にまで進むようになって、希望が見出されたのが数日前。
その時は夜中に練習を始めたので、音声をほとんど聴こえなくして始めてみた。すると、最後までクリアできたんだ!音楽や爆撃、銃の音、などが無い分、落ち着いてできたようだ。
ノートに毎回どこまでどんな風に進めることができたか記録しておいた。30回目で達成!
夜中に思わず「やった!」と大きな声を上げた。ああ、翌朝義母に何か言われるか・・・とちょいと不安になったり。
しかし、なんとも恐ろしい光景だろうな。若者が熱心にやっているのならサマになる光景。中年女子が深夜に銃撃戦に夢中になっている様子を想像すると、自分でも怖い。ううう。

この熱心さでドイツ語を朝に夜に勉強したら、凄まじく上達するのではないか、とも思った。
昨日も、ハイチ人学生、インドネシア人女性、ドイツ人おばあさんの四人で会話したのだが、一番ドイツ語力が無いのは私だった。ドイツ人おばあさんが私を気にかけて「りすさん、ちゃんとわかってる?」と親切に尋ねてくれるのが辛かった。
このドイツ語会話を聞き取って正答にしないと次に進めないゲーム、とかあれば熱心にやるかも?
そんな製品、作っても売れないだろう。
語学習得は原始的な方法しかないのだろうな。記憶、記憶、記憶。
ビデオゲームも記憶が大切な部分があると解説されていた。ああ、年々衰えると思われる記憶力をこれから更に鍛えないと、ゲームの楽しささえ奪われるぞ。
人生、死ぬまで勉強だなっ








全然環境保護じゃあない

2019年03月12日 | 頑張って食べる
ウチの北側の道路工事は順調に進んでいる。ここは毎年秋にいい風景が見られる場所だった。
今年の秋からは、ここに羊たちがやってくることはないかもしれない。

飼育されている動物は、その飼い主の人間が世話をし続けてくれる可能性があるが、野生動物たちは確実にまた生息地を失っているわけだ。
モグラや鼠、うさぎ、ハリネズミがいたこの空き地。
彼らはどこかへ引っ越すことができたのだろうか。人間の経済活動のために他の動物たちが犠牲になっていることは皆承知なのだろうな。

その動物食いも止められないみたいだし。

冷凍庫から出されて台所で自然解凍している肉塊。
市販のザウアークラウトと一緒に煮込んで出来上がり・・・・
もう、この煮る前の肉を見ただけで食欲がなくなり、仕上がった料理を撮影する気もなかった。
料理の仕方にもよるか、私はこの肉が大嫌いだ。環境が許せば、ベジタリアンにだってなれそうな私。
義母に「一般的な日本人は肉食を始めて100年過ぎていないかもしれません」と言ったら、案の定攻撃し返してきた。
「ここだって、昔は肉を食べられるのは一部のお金持ちだけでした」
ああ、わかったよ、じゃあ、私たちももう少し肉食を避けたほうがいいのではないのか、と言ってみたかった。

ドイツ人が環境保護に関心があるって言うのは全然違うと思う。
上面だけのの環境保護だ。すべてはカネが回るほうが善、というのは世界各国どこでも同じ心情であることを認識しておきたい。






余計なことを言うな

2019年03月11日 | 家族
先週、義両親の結婚記念日があった。
夫に何か小さい贈り物をするように言われていた。外出先で出会ったポーランド人知人に花束がいいと勧められたのでそうすることにした。
スーパーで一束2ユーロで売られていたチューリップ。二束購入し、りす部屋に戻ってからひとつにまとめて包装紙に包みなおした。

案の定、義母から言われた。
「そんな無駄遣いして」
義両親に贈り物をするたびに彼女にそういわれ続けているので、単なる挨拶だと割り切ることができるが、それでもそれで気分がよくなるわけじゃあない。
おい、たったの4ユーロだぞ?4€×31日としても124ユーロだ。インゴルシュタット周辺の家賃の高さや、田舎であるとはいえ驚異的な居住空間を提供してくれている彼らにはゴミみたいな金額だ。私にとって4ユーロは凄まじい出費だから、まあ、義母が私を思ってくれていると思えばいいのだけれど、でも気分はよくない。

二束分のチューリップは二つに分けられて飾られた。
庭にはまだ飾るような花が咲いていないので、花を贈るいい時期だとも思った。
義父はこう言った。
「アフリカから、わわざわざ輸入されている反エコ商品」
はいはい・・・・
アフリカの自然を破壊しながら栽培されているらしいこの安い花々。知ってはいるが、この安さと品質の良さは止められない。
私は日常的に花を買っていない。せいぜい一年に1度程度だ。それくらい許してくれよ、お義父さん!
贈り主にとやかく言えるのは、身内という親しい間柄の特権だろうが、あまりそれを使ってはならぬぞっ
と、むかむかしながらも仕方ないと諦め気分だ。

さて、数日後の夜。
夫が後ろ手に何かを隠しながら近づいてきた。こうした行動は、何か私が喜ぶものを持って来た、という彼のやりかただ。
ちょいと期待して、出された品を見て、花束で学んでいることを忘れた。

「ゲームソフトは買わないでくださいって、言ったでしょう!?」
去年のクリスマスプレゼントにゲーム機をもらってから、かなりゲームに入れ込んでいる私だ。これ以上のソフト所有は火に油を注ぐようなものだ。いったい、何を考えているんだ!
・・・・・と一瞬のうちにそんな思考をめぐらせた次の瞬間、やっちまった、と気づいた。
私は義両親たちを非難できない。
ああ、彼らに言われ続けてやるさ、「そんな無駄遣いして!」。
だが、私自身は夫にそれを言ってはならない。義両親と夫では、関係性が違うからだ。もちろん、夫を優先して大事にするのは今のところ私の人生の大きな課題だ。
ああ、間違った発言撤回不能。いや、すぐに大喜びした態度を取ったけれど・・・
うううう・・・
この作品を調べたら、初めの部分は横須賀が舞台になっているとか。
同じ神奈川県だったが、私の住まいだったところから横須賀はかなり遠かったのでどんな場所なのかほとんど知らない。
では、このゲームで知ってやろうか・・・・のめりこむのがちょいと怖い。




自動車事故でバスが遅れた

2019年03月10日 | 健康
ドイツでは交通公共機関の遅れが普通にある。日本の首都圏でも、ここ何年かは電車の遅れが凄いらしいではないか。二年前の帰省時にも2,3度逢ってしまった記憶がある。
かなり田舎街のここでは、バスの遅れはあまりないのだが、それでも用心しなくてはならない。
走行中にいきなり故障、走行不能になったことさえあった。その時は時間に余裕を持って家を出たので遅刻にならなかった。
先日は交差点での事故で、遅れた。
このときは残念ながらバスの運行時刻表に合わせて家を出たので、遅刻が決定した。

じたばたしても仕方がない、携帯電話で遅刻の連絡を入れてあとはのんびり事故渋滞を楽しんだ。
ちゃんと記念撮影もね。左の大型トラックとその前にある青い車がぶつかった模様。
トラックの運転手は、ひと目でここに何世代にもわたって生活している人種ではない浅黒い精悍な感じの男性だった。
ドイツの道路は外国からの車も平気で走っているので、この運転手がドイツで生活しているかもわからないし、またドイツ語ができるかもわからない。取調べをしている警察官が何ヶ国語も達者という可能性もあるだろう。なにせ、地続きの欧州、警察も必然的に国際的にならざるを得ない。

母国では楽に安く運転免許証を取得できたのに、ここでは大金かけて自動車学校や免許取得試験を受けても簡単に落ちてしまうらしい。
某アフリカ人は母国では普通に運転していたので、具合の悪くなったドイツ人友人の代わりに彼の車を運転したら運悪く捕まってしまったそうな。もちろん、母国だけ有効の免許証だけで運転していたものでね・・・

外国人運転手は確実に増えている。
バスの運転手のほとんどが外国人だ。見た目が白人でも東欧からやってきた人ばかりだ。
彼らと何度か口論になったことがあったなぁ・・・。まあ、仕方がない。原住民たちはもう、バスの運転手をやりたくないのだろうな。

ともかく、みんな、安全運転でお願いしたい。約束の時間に私のバスが遅れないように。



商売は難しい

2019年03月09日 | ドイツ在住難民・移民
開店して一年たったかアフガニスタン食材店の店。
先日通りかかったら、明らかに閉店してしまった様子だ。

私も多少なりとも宣伝広告に協力したので、ちょいと残念だ。

去年秋に開店したチュニジア人夫婦のレストランは数ヶ月で閉店してしまった。
その後、往来でばったり夫人に逢ったので、理由を聞いてみた。
保健所が入り、換気扇をつけなければ営業してはいけないとされてしまったのだそうだ。
ではすぐに取り付ければいいものをどうして放っておいているのかよくわからない。

母国で商売するのとは違った難しさがあるのだろう。
「小うるさいドイツ」と彼らは思っているのかもしれない。
外国人たちは自営で成功しようと努力するものも多い。母国でも難しいものを外国でやるその根性は素晴らしい。
また、先駆者で成功した同胞をうらやましがっている声も聞いている。自分も後に続こうと鼻息を荒くしているのだろう。
特に、難民や経済的に弱い国から来た人たちはここでの社会的成功は母国に残した親兄弟を助けるためにも重要な要素だろう。

何回つまづこうが転ぼうがへこたれないだろう、移民・難民、頑張れよ。

サムライ大好き、ドイツ人。

2019年03月08日 | 日本
ちょいとだけ見に行きたいな、と考えていた博物館の特別展示、テーマが「侍」。
個人の所有物を公開しているものらしい。きっとそんなに期待できるものではないだろうと思いながらも機会があったので行ってきた。
ちなみに、この「Samurai」はドイツ語のつづりと発音のルールより「ザムライ」となる。
同行したドイツ人友人たちがみな「ザムライ、ザムライ」といい続けたのには参った。ここは日本語教室ではないので我慢して耐えた。日本人だって、英語とは大きくかけ離れた発音の英語らしき単語を多用していて、それがそのまま英語として通じないことを考えれば「さ」が「ざ」になるくらいかわいいものだっ

ミュンヘンの繁華街に凄まじく大きい入り口。 Kunsthalle München SAMURAI

多少なりとも日本語の解説とか期待したが裏切られた・・・・
日本とは違い、写真撮影にあまり厳しくないここだ。みな、携帯電話でお気軽に撮影していたので私も真似をした。ただ、展示物のその画像をここに貼り付けるのは問題になるかと予想して遠慮。
学校が休暇なので親子連れが多くいた。床に座り込んでなにかノートのようなものに書き込みをしていた。こんな光景、日本ではあまりありえないのでは?特別な子供コーナーでもないんだぞ。すぐそばには障子を模した展示物。何か書いていたらうっかりそれを汚す可能性だってあるのにね。お母さんらしき女性の背中がパンツからちらりと見えているのもちょいと見苦しい・・・・って思うのは小うるさい日本人だけ・・・・

展示物は個人所有物とは思えないほど大量にあり、また保存状態がとてもいいので驚いた。
この品々はいったいどういういった経緯で欧州人に渡ったのだろう。明治維新後、生活に困った武家が売りさばいたのだろうか。
高温多湿、震災が多い日本で保存されるより、低温低湿の欧州に渡ってよかったのではないか、とも考えた。
期待の数倍のすばらしい展示だった。
日本在住時には日本の甲冑などの展示を積極的に見にいく気になどはなれなかったのに、外国生活が長くなると、自分の生まれ育った文化をもっと知らねば、という意識になっていくのだろう。

最後にはお決まりの物品販売。
凄まじく高価な日本の品々が並んでいた。また、侍がテーマのドイツ語書籍もたくさんあった。

ここ5,6年の日本ブームは私が普通に生活していても感じる。
若い世代と知り合うと、60パーセント体感確率で「日本に観光に行きたい」と言うのだぞ。
いったい、どういうことなのだろうか。ものづくりは少々諦めて観光立国をも目指しているのか、日本政府?
あるいは少子化の埋め合わせに世界各国の人々を魅了して移住させる魂胆も?

ところで日本も各地に侍がテーマの博物館があるようだ。
次回の帰省時には行ってみたいここ。「サムライミュージーアム」
期間限定だがここのサムライ展示と勝負だっ、って対抗意識もありっ!?





義母にも焼きの誤り、義母も木から落ちる、義母の手から水が漏れる・・・・

2019年03月07日 | 奉仕活動
ウチじゅうになにやら香ばしい香りが漂っていた。香ばしい、ではなく何かこげているな、何を焼いているのだろう、と台所へ行ってみた。

焦げたケーキがあった。
義母はイラついて「中心が焼けていなかったのでもう一度十分ほどオーブンに入れたらこうなっちゃったのよ」と言い放った。
彼女を慰めるために「こげているのは周囲だけみたいなので大丈夫じゃあないかしら」と無理して言った私。

さすがにこげは苦かったが、まあ、他の部分は普通においしかった。

こんなに毎日焼いていても失敗することがあるのねぇ、もうそろそろ焼かないほうがいいんじゃあないかい、とひそかに考えた私。

手土産におにぎり

2019年03月06日 | 交友関係
ほぼ毎日焼いている義母ケーキ。昨日は自家製さくらんぼを載せたものだった。
冷凍保存されているさくらんぼを使い切るためにせっせと焼いている様子。

材料をきちんと計量しているだろうに、毎回微妙に仕上がりが違う。
たぶん、大雑把なんだろうな。
今回のは生地がしっとりしていていつもよりおいしく感じた。

ばざばさしているときはホイップクリームを添えるのだが、このときは必要に感じなかった。
毎日のように砂糖と油脂、大量の乳製品を摂取するドイツ生活。
純日本人遺伝子の私には寿命を短くする最大の原因。
とはいえ、義母が言うには戦前は生クリームなど手に入らなかったらしい。実家近所のスイス人は「欧州人は乳製品の摂りすぎで具合が悪くなっている」と言っていたな。
ここでも、乳糖不耐症の人は多く、牛乳や各種乳製品には乳糖抜きの製品が普通に出回っている。
おい。いい加減、そんなに乳製品摂取をやめたらどうだ。日本でもまだ、牛乳はカルシウム摂取に良いからガンガン摂れ、と説いている人がいた。

食べ過ぎ防止のためにも、私はこの残りのケーキを持って、今日の訪問先に行こうと計画していた。
義母にも了解を得ていた。
訪問先もガンガンケーキを食べるドイツ人家庭だ。普通に喜ばれるだろうが、私が日本人なのだから日本風に行こう、といつもより更に早起きして混ぜご飯のおにぎりを作った。

そういうわけで、残りのケーキは義両親二人で今日の午後のお茶の時間に全部消費してもらおう。






あまり適当でない節約方法かもしれない。

2019年03月05日 | 節約
冬物衣類在庫処分セールをたまたまやっていた。
サイズや好みの問題もあり、なかなかここで衣類を購入するのは難しいが、見て歩くのは好きだ。
子供衣類も一応、見ておく。
そこで見つけた手袋3双組み。

2.50ユーロの値札がついているのだが、この日はさらに50パーセント引きで買うことができたんだ。
元の値段2.50ユーロも、すでに割引されている値段だから、凄まじいお徳さだ。
こういったセールは狙ってもなかなか遭遇できない。運にかかっているな。

もちろん、もともと安い品なのでたいした期待はできない。耐久性がない。ポリエステル100パーセントでたいして温かくもない。
だが、この製品で充分だ。
屋外に長くいる仕事などをしていると、もっときちんとした防寒具が必要だろう。
私は手袋をよくなくす。
高価なものを使うのは危険だ。義母に皮の手袋をもらったが(彼女の使い古し)これもなくしたら悪いと思い、ずっと使わないでいる。
そういうわけで、こうした安物が私には大活躍だ。
だが、毎年のように冬の終わりのセールでこうした手袋を買うので、さすがに失くす機会と買う機会のバランスが崩れ、手袋だらけになってきている。
義母にいわせれば、ひどく無駄な買い物だろうな。
必要になったときに、その時の値段で買うのが一番合理的だろう。
まあ、こうした小さい散財は、単なるお楽しみってわけだ。これも少々辛い毎日の、ちょっとした気分転換ってことで、よしよし、って自分で自分を納得させている。

ドアノブの位置でのだめを思い出す。

2019年03月04日 | 家屋
愛読漫画「のだめカンタービレ」の内容に、ドアノブがドアの真ん中にある描写が何度も出ていた。
フランスには普通にあるのだろうな、と特に疑問に思ってはいなかった。きっと開け辛いのではないか、とも思っていた。
ここでも、ときどき見かける。

見るたびに「のだめカンタービレ」を思い出す。ああ、すでに古い作品になりつつあるなぁ。読み返してみると、連載時の時事問題や流行の物事がストーリーに織り込まれていて、当時は笑えたけれどいまじゃあ全く笑えない・・・

このドアは最近の流行でなく、昔のものなのだろう。

いちど、開け閉めしてみたいと思いながら毎回見ている。

新聞

2019年03月04日 | 交友関係
この地域で読まれている新聞の地域記事には、かなり頻繁に知人友人、親族などの写真が掲載される。
義母の妹もよく出ていて、そうした写真を見つけると荒っぽく(丁寧に、って書きたかったがその切った後を見るととてもそう表現しにくいのが難点)その部分を切り取って保存している。

Published in Donaukurier of 25. Januar 2019
人口規模の小さい街ならではの新聞記事だ。
この彼女は週に一度程度挨拶を交わすだけの関係だが、見た目が可愛らしいのでちょいと気になる人でもある。
英語の先生をやっているらしい。

今日もつくづく思った。
義母の家事支配権はまったく動じることなく、私はまったくそれに口を出すことは不可能であることを。
最近、義母の昼食作りを手伝うのが億劫だ。
以前よりさらに私の一挙一動が気になるようだ。すでに大丈夫だろうと圧力鍋のふたを取ろうとすると「まだだっ」、煮物の鍋をテーブルに移そうとすると「まだ味見をしていないっ」とうるさい。
すでに永らく、こうした扱いにも「家賃、家賃」と耐えてきているので大丈夫だが、それでもやはり、平静な信教ではいられない。
彼女が一人で台所に立っていたほうが、彼女自身の精神衛生にもいいだろう、とあまり手伝う気にならなくなっているのも事実だ。

ヒトの老化は他の動物と違うなあ、とつくづく思う。
身体が弱るより、精神面が硬直していくのが大変だと思う。自分が正しい、という感覚をなかなか変えることができなくなっていくのだろう。
私の彼女にって新しいやり方などは、もう、まるで受け入れられないし、そもそも自分の息子(私の夫)が肉食をかれこれ長く避けていることさえ受け入れられない様子だ。
今日も、ドイツ風カツレツを義母は息子にガンガン食え食え攻撃を仕掛けていた。
彼はもう慣れているのだろう、きわめて冷静に「ママ、僕は肉を食べない主義なんです」と言った。
この発言に対し、義母は「これは豚肉ではなく鶏肉です」と答えるのだから、もう、会話が成立していない。
豚も鶏も肉じゃあないかい?と脇から突っ込みたくなるのを我慢しているりす。
二人のこの同じ会話が今日の昼食時に3度ほど繰り返された。
夫が、声を荒げないで冷静に対処していることに驚かされる。さすが、義母歴私より長くて鍛えられえいるっ。

食べ切れなければ、そのまま残しておいて、後で食べればいいという考え方も義母は嫌な様子だ。
それについては義父と義母がほぼ毎日昼食時に討論している。
もう、これは挨拶のようなものなのだな、と自分がイライラしないように深呼吸しながら食べる。

ああ、義両親同居。
やはり、あまり勧める物事ではない。
自由はない分、恵まれている部分があるのは充分承知しているというのを再び書き添えておこう。















リンゴは義両親のために

2019年03月03日 | 義母
義両親たちが買ってきたスーパーのクラップフェン。

先日も書いたように、スーパーのこの品は菓子専門店で売られているものと比較すると格段に質が劣る。
よりおいしいものを食べなければ、楽にスーパーのを食べられるけれど、このときはそのおいしいのを食べた直後だったので、義母の食え食え攻撃にあっさりと反撃できた。
「食べたくありません」
私の後姿に義母は何かガタガタ言い続けていたが、無事に食べないでいることができた。

週末ケーキ。ミラベレというプラムに似た果実を冷凍保存したものを使ったもの。

なんだか、べちょべちょな仕上がりだな。私は端っこの固い部分をちょいと切ってつまんだだけだ。
「おいしいです」とちゃんと義母には報告した。
ま、それは本音だ。義母のケーキは見掛けは悪いが、決してまずいことはない。だが、毎日のように食べさせられることに腹立たしく思うだけだ。絶対、健康によくないはずなのに。

ウチで収穫したリンゴがとうとう終わりになってきたそうだ。

去年8月に収穫で、今まで持ったのだから凄い。
いったいどんな量が採れるのか私は正確に知らない。また、その保存技術も凄い。
単に地下室に置いているだけだけれど、私だったら絶対腐らせてしまうだろうな。
そんな大事なリンゴなので、私は食べるのを遠慮して、義両親たちに食べきってもらうことにしている。

寿司は買ったほうがいいかも

2019年03月01日 | 奉仕活動
午前十時に逢うことになったトルコ人難民C子さん。

一年ほど前から親しくしている。ここ数ヶ月は少々遠い語学講座に通っているのでめったに会えなくなったんだ。
実のところ、彼女と会うのが面倒で、約束するときも躊躇した。その日の午後の用事との兼ね合いを考えると、ウチでゆっくりしたいものだ、などと考えてしまっていた。いや、ウチでゆっくりするのは、根本的にできないのだけれどね、義両親がいる限り・・・・
だが、実際逢うと、彼女の生まれながらの明るい性格とまっすぐな心に癒された。
「わたしね、トルコでは違う宗教や人種との共存なんてテーマは考えなかったの」
ここで嫌な思いをすることもあるのだろう。頭巾をしていると採用しないという職場も多いらしい。
そういう経験から、自分と違う考えや見た目の人々と共存していかなくてはならないことを学んだのだろうな。
16歳の息子さんは遠くの全寮制学校へ通っている。
ドイツの全寮制の学校というと、古い日本の少女マンガを思い出すぞ。1990年代からはBLってところか?
お金に余裕があるが子供の世話をするのが面倒な親たちが入れる学校と思っていた。このトルコ人一家は母国では夫婦とも公務員だったので、そういう点では安定した経済力を持っていたのだろうな。
ここではまだ二人とも仕事をしていないのに、どうして親元を離れて生活させるだけの財力があるのか不思議でもある。実家が金持ち?
C子さんが言うには、息子さんは家にいるとゲームばかりしていて全く勉強しないのだそう。
ゲームができない環境に入れるのが目的だと。それは確かに重要だ。難民の子供がここで確かな将来を得るためには、ここで何世代も生きているドイツ人と競争しなくてはならない。ドイツ語の習得は必須だ。(最近は英語のみの職場も多くある様子だが、ここで育つ上で、ドイツ語を操って学校の成績を良くおかなくてはならない)
彼のドイツ語力はさして高い様子ではない。ティーンエイジャーでの外国移住の難しさかもしれない。
おお、彼には頑張ってもらわなくては。
写真は7歳の次男にドイツ語の書籍を選んでいるところだ。教育熱心なお母さん。

彼女と別れたあと、次の用事に向かった。
そこでは、この時期に好んで食べられるこれをごちそうになった。
この街で一番古い菓子屋の揚げパンだ。義両親が買ってくるスーパーの同じ品とは比較にならないほどおいしい。
義母の手作りは更においしいのだが。これを作るには凄まじい手間隙がかかるので、もう今後の人生、義母に頼むことはしないことにしている。

そのあとにやってきたのは、寿司。

この街の中心街にできた新しいアジア食レストランだ。従業員たちを観察したところ、ベトナム人のようだ。
非常においしかった。
寿司はすでに日本の物という感覚を脱しなくてはいけない。「どうも、日本が発祥のようすだ」などと言われる日も近いと思う。